女神の前髪2
翌日の早朝から、アナベラとベティとソフィー先生の3人は、ヘア伯爵家の馬車に乗り、一路狼城に。
途中の村で、休憩と早めの昼食を取り、昼過ぎには狼城――ウルフ公爵家の屋敷に到着した。
「ようこそいらっしゃいました、ギボン子爵令嬢」
ソフィー先生に向かって頭を下げる、公爵家の執事。
「いえっ、わたしは家庭教師で……子爵令嬢はこちらの」
「こんにちは! アナベラ・ギボンです」
白いドレスのスカートを摘んで、元気に挨拶する元悪役令嬢。
「これは――大変失礼しました」
子供好きらしい執事が、目を細めると
「あのね、ソフィー先生も『ご令嬢』なのよ。亡くなったお父様が貴族だから」
内緒話をする様に、アナベラが小声で伝えた。
「さようでございますか……レディ・ソフィー、イーサン坊ちゃまを、よろしくお願いいたします」
「あっ、はい?」
白髪混じりの頭を下げる執事に、首を傾げる先生。
隣に控えていた家政婦が、『こほんっ』と咳払いした後で、
「大変失礼しました。庭園にご案内致します」
と、招待客の三人に、かっちりお辞儀をした。
「まぁっ……なんて美しいパーテア!」
案内された先には、大小80余りの花壇と、チェスの駒の形に刈り込まれたイチイの生垣、トピアリーが広がっていた。
「ソフィー先生、『パーテア』ってなぁに?」
アナベラの問いかけに
「植物で幾何学模様――四角とか三角を描く形式の、庭園のことよ」
先生が答える。
「まぁ、随分とお詳しいのですね!」
驚いた顔の家政婦に
「いえ――ただ植物が、好きなだけですわ」
恥ずかしそうに答える、ソフィー先生。
「ただお好きなだけの知識とは、とても思えませんが?」
生真面目な表情を崩した家政婦が、悪戯っぽく微笑んだ。
「先生! あそこの大きな花壇は、正方形よ!」
アナベラが指さした先には、大きな噴水を囲むように、四角い花壇が配置され。
ピンクやブルー、白や淡い紫の花が、咲き誇っている。
「薔薇に紫陽花、ラベンダーにチドリソウ。何てステキなお庭かしら……」
うっとりと呟いた、ソフィー先生の声に
「お気に召して頂けましたか?」
嬉しそうな声が重なる。
「えっ……?」
振り返れば、この屋敷と庭園の次期当主、イーサン・ウルフが――黒いスーツに蝶ネクタイ、ぴしっときめた正装で、楽しそうに佇んでいた。
招待のお礼を告げた後に
「イーサン様、例の『ライラック』はどちらに?」
待ちかねた先生が、早速尋ねる。
「ほら、あそこの壁に沿って生えている――右から3本目の木です」
ふわりとスカートを揺らし、花壇の奥に駆け寄る、白いドレスの後ろ姿。
金の髪は編み込んでから、ふんわりと頭の上にまとめて、ドレスに合わせた髪飾りを付け、耳の脇の両サイドだけ、ゆるく垂らしている。
「イーサンお兄様! 今日の先生、すっごくキレイでしょ? 白いドレスが、とってもお似合いで!」
「あの髪型もステキですよね!? 兎穴のユナさんが、結ってくださったんですよ!」
アナベラとベティから、口々に告げられて、
「うん……まるで、『花の女神』みたいだ」
薔薇に紫陽花、ラベンダーにチドリソウ。
花々の中に立つ、まるで一枚の絵画のような姿。
「これを、見たかったんだ……」
次代ウルフ公爵は、うっとりと呟いた。
「あっ、先生! あまり奥に行くとスカートが!」
ベティに慌てて声をかけられて、夢中で木の裏側を覗き込んでいたソフィーが、はっと気が付く。
「そうだったわ! 汚したりシミを付けたりしたら大変!」
「先ほどの家政婦さんに、エプロンをお借りしては?」
借り物のドレスを見下ろして、相談していると。
「だったら、これを……先生、ちょっと失礼」
「えっ……きゃ」
さっと上着を脱いだイーサンが、先生の腰にふわりと当てて、両袖をくるりと回し、前でぎゅっと縛った。
「わぁっ――黒いエプロンみたい! さすがイーサンお兄様!」
「これなら大丈夫ですね!」
手を叩いて喜ぶ、アナベラとベティ。
「でも、こんな上等なジャケットを……申し訳ないですわ」
ほんわりと頬を染めた先生は、まだ温もりの残る、見るからに上質な上着を見下ろす。
「気にしないで! もし汚れても目立たないし、シミにもならないから」
次代公爵に、優しく告げられて、
「ありがとうございます。では少しだけ、お借りしますわ」
なぜかドキドキと――高鳴る胸を押さえて、ソフィー先生はやっと、小さく頷いた。
イーサンが呼んでくれた庭師から、木を植えた時期や手入れ方法、他の木との違いを確認して。
そっと花房を手に取り、まじまじと観察を始めたソフィー先生。
「ひとつ、ふたつ――あっ、ここにも! すごいわ本当に、ハッピー・ライラックがたくさん!」
紅茶色の瞳を輝かせて、花びらの数を確認しては、小さなノートに記入していると、
「先生、よろしかったら、わたしが書きますよ?」
ベスト姿のイーサンが、にっこり右手を差し出した。
「えっ……そんなご迷惑を。あらっ、アナベラとベティは?」
ライラックに夢中になっている間に、消えた教え子たち。
慌ててきょろきょろ、辺りを見回す先生に
「今、西側の森を案内させてます。鹿やリスがいると教えたら、アナベラが見たがって。
二人が戻って来たら、お茶にしましょう」
のんびりと、答えるイーサン。
「わたしったら――アナベラたちを放って、ひとりで夢中になって――ほんとに、お恥ずかしいですわ」
しょんぼりうな垂れる、金色の髪に見惚れながら
「そんなあなたに、わたしは夢中です……」
口の中でこっそり、次代ウルフ公爵は呟いた。
「えっ、何かおっしゃいましたか?」
「いえっ――二人で手分けした方が、早く終わりますよ! さぁ、ノートを貸して」
「はいっ! では、お願いいたします」
少し首を傾げてから、またライラックを数え始めたソフィー先生と、その真剣な横顔を盗み見ながら、ノートにペンを走らせるイーサン。
「あらあら、イーサンのあんな顔、初めて見たわ……!」
二人の共同作業を、公爵邸の2階の窓から、じっと見つめる人影がひとつ。
ふふっと、ローズ色に塗った唇の口角を上げて。
その人影はドレスの裾を翻し、階段へと足を向けた。




