ハッピー・ライラック2
南国を再現したパームハウスに、睡蓮が浮かぶ大きな池をぐるっと囲むウォーターリリーハウス。
2つの温室を回ったところで、
「大変……! さっきの池のとこで、ハンカチを置いてきちゃったわ!」
ポケットをさぐったアナベラが、慌てて声を上げた。
「ベティ、一緒に来て! すぐに取ってくるから、先生はここで待っていてくださる?」
「わかったわ、気を付けてね!」
にっこりと教え子に頷いたソフィー先生は、ライラックの木陰にある、ベンチに座った。
『せっかくのお出かけだから、先生もちょっとオシャレしましょうよ!』
アナベラにねだられて、いつもは家庭教師らしく、きちんとまとめている金髪を、左側だけ少し編んで前にたらし、残りは背中に波打たせている。
去年作った白いドレスは、新しい飾り襟でパリッと見せて。
頭にはストランドで買ったばかりの、淡いアイボリーのつば広帽子。
『まるで今日だけ、「レディ」に戻ったみたいね?』
ふふっと微笑んで、ガイドブックを広げていると、本の上に影が落ちた。
「失礼、ソフィー先生ですよね?」
声をかけられ、顔をあげると
「まぁ、イーサン様……?」
兎穴で何度かお会いした、次代ウルフ公爵が、眩しそうな笑顔を見せていた。
「ベティ……こっちよ! 早く!」
「アナベラ様! そんな所にしゃがむと、新しいドレスに泥が……」
心配そうな声をかけるベティも、今日は淡いグリーンの外出着と帽子で、オシャレしている。
「もーっ! ドレスが汚れたら、洗えばいいじゃない!
あっ、ほら――イーサン様がいらしたわ!!」
先生が座るベンチの、道を隔てたちょうど真向かい。
こんもりとしたセイヨウトネリコの、茂みの影からこっそりと、アナベラとベティが顔を覗かせた。
「今日こちらに来る予定を、イーサン様にお知らせしておいたの! お姉様は何とかいう紳士に夢中だし、二人の距離が縮まるチャンスよ!」
「確かに、お二人――お似合いですよねぇ」
うっとりとベティが視線を向ける先には、
淡いグレーのスーツを着たイーサンが、少しかがんで、白いドレス姿のソフィー先生に、話しかけている。
「さっきほらエントランスで、先生の悪口言った、失礼なヤツがいたでしょ?」
「はい! あのジャガイモみたいな顔の……」
「ふふっ、上手い事言うわね、さすがベティ! あいつにエンドウ豆ぶつけたの、イーサンお兄様よ! 指の先で跳ね飛ばすコツ――ジェル兄様に昔、教わったんですって!」
「へぇ、やりますね!」
「まるで先生の、騎士みたいよね!?」
「はいっ! ステキですー!」
うっとりと盛り上がる、元悪役令嬢とメイド。
さてその頃、
「これは……びしょ濡れですね! 一体どうされたんですか!?」
ソフィー先生が隅っこに座るベンチに、広げられたタオル。
その上に置かれた、水が滴る小さな手提げ袋とその中身、手鏡やペンや財布等を見て、騎士で次代公爵のイーサン・ウルフは、とまどいの声を上げていた。
「その……睡蓮の池に落としてしまったんです。少しはしゃぎすぎて」
「あぁ――アナベラらしい」
納得して楽しそうに、頷くイーサンに、
「違います」
そっと、否定する先生。
「違うって、何が?」
「はしゃいで落としたのは、アナベラではありません……わたしなんです」
恥ずかしそうに小さな声で、ソフィー先生は答えた。
『アナベラ、ほら! こちらの橋から池を渡れるのよ!』
『わぁっ……きれい! 白にピンク――いろんな色の睡蓮が!』
『あっ、黄色もありますよ!』
ウォーターリリーハウスで、はしゃぐ一行。
なかでも一番はしゃいでいたのは、
『ほらっ! あそこに、珍しい紫の睡蓮がっ!!』
ぶんっと勢いよく指さした、ソフィー先生の右腕から、レティキュール――ご婦人用の小さな手提げバッグが、池に向かってすっ飛んで行った。
「幸い、係員の方がすぐ、拾い上げてくださって」
「それで……ここに広げて、乾かしている訳ですか?」
くくっと楽しそうに、イーサンが笑う。
「お恥ずかしいですわ。『植物』の事になると、つい夢中になってしまって。まるで子供みたいに」
真っ赤になった頬を両手で押さえる、何とも愛らしい仕草。
次代公爵は、ほわ~っと見とれながら。
「いや、分かります。好きな事には、誰でも夢中になりますから」
「まぁ……イーサン様にも、そんな事がありますの?」
にっこり問いかける、金髪の乙女。
その右手をそっと取り、銀髪の青年は、思いを込めて
「それは……」
『あなたです』と、紅茶色の瞳に、告げようとした。




