50. 「あんな話」の真相
「お母さん…本当に毎週あの調子だったの…?」
「そうよ。初めてお父さんと飲んだ時からあの調子よ?」
春ちゃんは酔っぱらうとそのまま寝てしまうから…と、食事の前にお風呂に入るように言われ、春ちゃんが入浴を済ませるのを待って食事となった。
父がこちらに住んでから趣味で始めた家庭菜園で栽培された新鮮な夏野菜で彩られた食卓。母の料理はすごく美味しい。しかも、取れたての野菜を使っているから尚更だ。
母の料理を食べると、私なんてまだまだだな…と思う。
母は父と春ちゃんによく冷えたビールを出すと、キッチンへ戻り揚げ物を始めた。そんな母を手伝うべく私もキッチンへ。
豚ロース、牛ヒレ、鶏の笹身と大葉、海老、烏賊、カジキ、鶉の卵、ナス、ピーマン、玉葱、南瓜…。
母がどんどん揚げていく一口サイズの串揚げが揚がる度、食卓へ運ぶ。途中空いた瓶ビールを回収して、冷えた大吟醸を出して…。
串揚げをすべて揚げ終え、揚げ油を片付けてから母と食卓へ戻ると、いい感じに酔いが回ってご機嫌な父と春ちゃん。
こんな楽しそうな父、初めてかもしれない。
「母さん、辛口の純米大吟醸がもう1本あっただろう?持ってきてくれ。」
「いえいえ…お父さん…もう十分ですって…もったいないっす…」
「俺が飲みたいんだ…まぁ春太郎くんも遠慮せず飲め、それともウィスキーにするか?」
「じゃあ同じものを頂きます…。」
いつの間にか父と春ちゃんは仲良くなっていたらしい。酔っぱらった時限定らしいけれど…。
あっという間に、2本目の大吟醸の4合瓶も空にして、ウィスキーをロックで飲み始め、グラスの中身が半分ほど減ったころ、春ちゃんの様子が変わり始めた。その前からご機嫌だったけれど、さらに上機嫌というか…常に顔をくしゃくしゃにして笑っているというか…もはや笑いすぎて目が無くなっている?
めちゃめちゃ可愛らしいけど…呂律が怪しい。大丈夫だろうか?
「今日、式場の見学に行ったんすけど、どこ行っても『とっても綺麗な方ですね』って麗が褒められるんですよ。だから俺、『美人な上に性格もめちゃくちゃ可愛くてたまらないんです』って思いっきり惚気てきました。麗が席を外した時に、ですけど。」
「父親の俺が言うのもなんだが、麗はかほりに似て美人だからな。自慢の娘だ。」
「もう可愛くて仕方ないっす。…かほりさんの料理もすげぇ美味いですけど、麗の作ってくれる料理もめちゃくちゃ美味いんすよ…そんな麗と結婚させてもらえるなんて、俺、世界一の幸せ者ですよ…本当にありがとうございます!」
「そうだろう…麗を幸せにしてやってくれ。…浮気なんぞした日にはどうなるか分かっているんだろうな?」
「麗が可愛すぎて…浮気なんて無理ですって。」
「だよなぁ…麗以上の女なんていないだろう?ほら、もっと飲め、ハッハッハ……。」
これが噂に聞いていた「あんな話」というやつか…。
嬉しい反面、同じ空間にいるのが辛いくらい恥ずかしい。しかも、父が嬉しそうに相槌を打っているし、2人が意気投合してはしゃぐ姿がものすごくシュールだ…。
空いた皿を片付け始めた母に聞けば、春ちゃんは初回から毎週あんな調子だと言うし、父だって初めのうちは恥ずかしそうにしていたらしいが、慣れてくると相槌を打ってみたり、私の自慢をして春ちゃんと張り合うようになっていたらしい。
「お父さん、すごく楽しそうでしょう?実はね…5月の中ごろにはもうあんな感じだったのよ。毎週浅井くんが来るのをすごく楽しみにしていたみたいだし。勿論そんなこと口では言わないけれどね。…なのに、麗との結婚を許したら浅井くんが来なくなるんじゃないかって思ったらしくて…それでなかなか結婚を許せなかったみたい。だから時々こうして遊びに来てあげて。ここに泊まるのは麗の仕事もあるし難しいかもしれないけど…日帰りで顔を見せるだけでもお父さん喜ぶと思うから…お父さん、照れちゃって顔には出さないと思うけど。」
「春ちゃんにもびっくりだけど…それ以上にお父さんにびっくりしたよ…。私、恥ずかしくて同じ部屋にいられないんだけど…。」
「本当に聞いてるこっちが恥ずかしくなっちゃうわよね。…じゃあお風呂に入ってきたら?まだ始まったばかりだから、まだしばらく続くわよ?それとも2人の会話を最後までちゃんと聞きたい?」
「…お風呂に入ってきます。」
ちょっと聞いていたい気もしたけれど、全部聞いたら恥ずかしさでドキドキしすぎて心臓に悪そうなので母に言われたとおり、私はお風呂に入ることにした。
そう言えば、春ちゃんにすっぴんを見せるのは初めてな気がする。何気に、春ちゃんに会う時は気合を入れてメイクすることが多いからちょっと恥ずかしいなぁ…。
顔が違う!って思われたらどうしよう…。かといってお風呂上りにまたお化粧するのも変だし。
まぁ、高校生の頃はほぼノーメイクだったからすっぴんの私を知っていると言えば知っているんだけど…何しろ12年前の話だし、時間の経過は確実に肌に表れてるし…。ちょっと嫌っていうか…恥ずかしい。
今後、一緒に暮らすことになるからそんな事言ってもられないんだけど…初めてすっぴんを披露するのは…緊張するよね…。
お風呂から上がり部屋着に着替え、髪を乾かしてから居間に戻ると、父が千鳥足の春ちゃんを抱えて布団まで運ぼうとしているところだった。
「ほら、支えてやってるから自分で歩け。ちゃんと布団で寝ろ…。」
「なんかいつもすいません…。」
「春ちゃん…大丈夫?」
「麗ぁ…平気だって…」
「平気じゃないだろう…いいから歩け。」
私も慌てて父と反対側から春ちゃんを支え、客間へ連れて行く。客間にはすでに布団が敷かれていて、父はその布団の上に春ちゃんを座らせた。
「後は頼んだ…春太郎くんを寝かせたら麗は自分の部屋で寝なさい。」
父はそう言うと、客間を出て行き、父の自室へ向かったようだった。
「麗ぁ…愛してるよ…俺が幸せにするからな…。」
「ちょっと春ちゃんてば…」
抱きしめられてキスされる。嬉しいけれど、春ちゃんがベロンベロンに酔っているのが複雑…というか残念…。
「春ちゃん、飲み過ぎだって…大丈夫?」
「だいじょぶだいじょぶ…あれ?麗ぁ…いつもと雰囲気違うなぁ…。」
「お風呂入ってメイク落としたからね…いつもと顔違うでしょ?」
「いつもも可愛いけど、俺はなんかこっちの方が好きだなぁ…めちゃめちゃ可愛い…」
「ちょっと、明日も忙しいんだから早く寝なくちゃ。ほら、お布団かけてあげるから…。」
「そうだなぁ…明日も忙しいもんなぁ…」
春ちゃんを寝かせて布団をかける。春ちゃんはあっという間に寝てしまった。
こうして改めてみると春ちゃんは整った顔をしていると思う。意外と睫毛も長い。しばらく寝顔を眺め、存分に堪能したところで静かに部屋を出る。
客間を出てキッチンへ行くと母がまだ片付けをしていたので私も手伝うことにした。
「浅井くん、なかなか可愛らしい寝顔してるわよね。寝言もすごいのよ?聞いた?」
「ううん、まだ聞いてない。でも寝る前にやっぱり恥かしくなること言ってから寝たよ…。」
母は愉しそうに「ふふふ…」と笑うと急にしんみりした顔になった。
「去年の今頃…ここを出て行った麗が心配でたまらなかったけれど…もう大丈夫そうね。」
「あの部屋、まだ私の部屋になってるんだね。お父さんに『麗の部屋で寝なさい』って言われた。」
「そうなのよ、いつ麗が帰ってきてもいいようにってお父さんが。もうその心配はなさそうだけどね。お父さん、もし博之くんがあの街に戻って来ることになったら麗を家ここに連れてくるつもりだったみたい。どこかでばったり会いでもしたら…また麗が壊れてしまうんじゃないかって恐れていたのよ…。」
「そうだったんだ…でも、もう会っても大丈夫だよ。私には春ちゃんがいるから…。それに…もう1回会ってるんだよね。春ちゃんのお蔭で立ち直れたの。」
「じゃあ、もう麗の部屋はいらないわね。我が家の『麗の部屋』で麗が寝るのは今日が最後かしら?」
母は、少し寂しそうに笑った。
博之に…正確には博之の両親に結婚の話を白紙に戻して欲しいと告げられてから、この家で過ごした1ヵ月と少しの間、私に与えられた私の部屋。それ以降も、ここに泊まる時、私はそこで寝ている。
「明日も忙しいんでしょう?片付けはもうほとんど終わったから…ありがとう。麗も早く寝なくっちゃ。朝が辛いわよ?」
母に甘えて私はこの家の『私の部屋』に向かった。
泣きたくても、涙が出ないくらい辛くて、まるで抜け殻の様だった私がおよそひと月過ごしただけの部屋。当時のまま、最低限の家具が置かれ、着替えと私のわずかな荷物がそのまま置かれていた。
あまりいい思い出の無い『私の部屋』。なのに、もう無くなってしまうと聞けば「寂しい」と思ってしまう私なのだった。




