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余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
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余り語られない撮影所のあれこれ(78) 「ロケーション現場」Vol.4「旧本多忠次邸」

★「ロケーション現場」Vol.4「旧本多忠次邸」


●豪邸、洋館の有名ロケ地

前回までは採石場だの廃工場だのといったアクションシーンに付きものの様なロケーション現場=ロケ地をご紹介してきましたが、今回はシブく「豪邸」ですw

但し、名前だけを提示されてもお分かりにならなくて「旧本多忠次邸」って何処?と、言われてしまっても当然ですのでw簡単にご説明をさせて頂きます。

特撮作品をはじめとして、様々な作品で「豪邸」や「洋館」としてのロケ地として使用されていた世田谷区野沢にあった建築物です。

なぜ過去形なのか?それは、数奇な運命のロケ地だからなのです。


尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。

そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。

東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。


●本多忠次とは?

先ずは、建物の所有者であった本多忠次氏の事からお話します。これは後で必要になって来るので、暫しお付き合い下さい。

本多忠次(1896年生~1999年没)氏は、徳川家四天王の本多平八郎忠勝を始祖とする現・愛知県岡崎市である旧岡崎藩の藩主であった本多家の子孫なのです。

忠次氏の父である本多家の十七代目・忠敬氏は、宮内省式部官、貴族院議員を歴任する一方、岡崎市の城址公園整備や教育振興に貢献した人物でした。

その次男として生まれた忠次氏は、学習院を経て当時最先端の学問領域であった東京帝国大学文科大学哲学科で学ぶなど、新しい時代を生きた新世代の人物でした。

その忠次氏が、周到な調査や準備期間を経て、敷地選定から建築基本設計を自分自身で行い、36歳(1932年)の時におよそ1年かけて完成させたのが「旧本多忠次邸」という建物なのです。


●建築物としての旧本多忠次邸

場所は、東京都世田谷区野沢三丁目でした。

建物自体は、昭和初期の邸宅建築に好んで用いられたスパニッシュ様式を基調に、一部チューダー様式を加味した木造2階建ての洋風建築です。

屋根には赤褐色のフランス瓦が葺かれ、1階の西側には車寄せが備えられた玄関、南側中央には三連アーチのアーケードテラス、続く東側には2階まで続く半円形のウィンドウを配置しています。

外壁は色モルタル仕上げで、アーチや窓の枠にはタイルが貼ってあります。

また前庭には、日本のスパニッシュ建築様式には欠かせないといわれる壁泉があり、吐水口であるシャチのレリーフが建物の妻飾りにある獅子と向かい合うように造られています。

内部は日本間と洋間を共存させた和洋折衷式となっており、接客空間と生活空間をうまく区別させた間取りは、家族の団らんやプライバシーを重視し始めた現代住宅へと変化する時代の先駆けといえます。

この接客空間と生活空間を合わせた部屋数は、1階に台所や浴室等の水廻りを含めて15部屋以上あり、2階にも10部屋近くの部屋を有しています。

各部屋の照明器具や家具は施主による趣向が凝らされ、当時流行したステンドグラス、モザイクタイルとともに邸内を彩っています。

館内のあちこちにはラジエターが設置され、廊下には個人の邸宅には珍しい消火栓も見ることができます。


戦後直ぐにはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収されます。

戦時中も疎開することなく守り続けた自宅を、一時的とはいえ強制的に取り上げられるのですから、本多忠次氏にとっては不本意で断腸の思いであったはずです。

ですから、建物に手を入れることは極力避けてもらいたい旨の手紙をGHQに提出し、自邸の保護を求めたという逸話が残っています。

それが功を奏したかどうかは分かりませんが、本多邸に居住したGHQ総司令官ダグラス・マッカーサーの顧問弁護士カーペンター夫妻は、大きな改造は行わなかったといいます。

接収住居の多くが改造されたなかでこのような事例は稀であったようです。

カーペンター夫妻が退居する際には、補修・修繕費用としての礼金が出たようです。


●特撮作品のロケ地

さて、戦後にどういった経緯でドラマや映画のロケーションセット先=ロケーション現場=ロケ地になったのかを今回調べてみたのですが、私の力不足で分かりませんでした。しかし、少なくとも特撮作品では1960年代後半からロケ地として使用されていたようです。

特撮作品に限らないロケ地としては、もっと以前からロケ地として使用されていた可能性はあります。


さて、特撮作品が多く製作された1968年からの10年余りの間にも「旧本多忠次邸」は多く使用されました。

その中でも主要な特撮作品と、「旧本多忠次邸」が作品中に使用された話数とそのタイトルを列記させて頂きます。


○怪奇大作戦 第3話「白い顔」

○戦え!マイティジャック 第19話「くいとめろ人間植物園!」

○仮面ライダー 第13話「トカゲロンと怪人大軍団」

○仮面ライダー 第42話「悪魔の使者 怪奇ハエ男」

○シルバー仮面 第9回「見知らぬ町に追われて」

○好き!すき!!魔女先生 第20話「恐怖の暗闇魔人」

○緊急指令10-4・10-10 第7話「闇に動くミイラ」

○緊急指令10-4・10-10 第14話「黒猫が見た」

○ミラーマン 第24話「カプセル冷凍怪獣コールドンに挑戦せよ!」

○ミラーマン 第43話「打倒!異次元幽霊怪獣ゴースト」

○超人バロム・1 第28話「魔人クビゲルゲが窓からのぞく!!」

○ワイルド7 第3話「恐怖のブラック・スパイダー」

○ワイルド7 第7話「マルコムを処刑せよ」

○レインボーマン 第14回「恐怖のM作戦」

○レインボーマン 第15回「殺人プロフェッショナル」

○流星人間ゾーン 第8話「倒せ!恐怖のインベーダー」

○流星人間ゾーン 第20話「激闘!ファイターの歌が聞える」

○スーパーロボット レッドバロン 第6話「レッドバロン戦斗不能」

○スーパーロボット レッドバロン 第29話「鉄面党ロボット三兄弟」

○ダイヤモンド・アイ 第9話「宝石展示会の陰謀!」

○コンドールマン 第15話「戦慄の日本炎上作戦」

○少年探偵団(BD7) 第1話「UFO地球を襲う1」

○超神ビビューン 第6話「鏡の中に消えた?白いドレスの少女」


私も1990年代の初頭にロケ地として撮影で使用させて頂きましたが、外観は勿論として内部も隅々まで撮影に使用させてもらいました。

流石に室内でのアクションシーン等の撮影は難しかったのですが、家具や壁面や床に傷を加えなければ、多くのシーンが撮影可能でした。

勿論、建物の外でも撮影可能でしたし、庭を2階のテラスから俯瞰撮影することも可能でした。

この建物の南側の庭では、爆発や血糊等の庭を汚す様なものを除き、簡単なアクションシーンの撮影も可能でした。

前途したように屋内に置かれている調度品は、そのまま撮影に使用できましたし、移動させることも可能でした。更に追加の調度品を置くことも可能でした。

撮影が終わって「撤収」の際には、ゴミを残さないことは勿論でしたが、移動した調度品を元に戻すことは当然のように行っていました。


●移築

1999年に建物の所有者であった本多忠次氏が亡くなると、世田谷区野沢三丁目にあった建物の維持や土地の問題が出てきます。

そこで、本多家は平成13(2001)年に、前途した始祖・本多平八郎忠勝が藩主を務めたことで縁を持った愛知県岡崎市に、この「旧本多忠次邸」の建物を寄付を申し出ます。

これを受けた岡崎市は、世田谷区野沢から10年余りの歳月をかけて平成24(2012)年に移設・復原工事を終え、岡崎市に新たに「旧本多忠次邸」を一般公開しました。

復原された「旧本多忠次邸」は、敷地面積約2,280㎡、建築床面積約522㎡で外観は屋根にフランス瓦を葺き、南側に3連アーチのアーケード・テラス、東側に2階部まで続く半円形のベイ・ウインドウと、世田谷区野沢にあった建物と方角も同じにキレイになって移設されました。


●あとがき

ロケ地というのは、現在は使用されていない土地や家屋や工場等といった建物が中心で、現在使用されている場所でも私立の大学や施設が休日の日を特別にお借りするというのが、定番となっているようです。

ですから、建物が解体されたり所有者が変わったりして、いつの間にかテレビや映画で観なくなっていくロケ地が多いのです。

そのような中でも、場所を変えても存続して頂けて嬉しい限りです。


今回の東京都世田谷区野沢三丁目にあった「旧本多忠次邸」は、現在では愛知県岡崎市に移設されましたが、岡崎市では一般公開すると共に、貸展示場としても貸し出されています。

外観的にはキレイになりましたが、建物の形はそのまま残されています。

今では、新型コロナの影響からマスクを着けない撮影は禁止されていますが、業を伴わない撮影場所としても利用されているようです。


さて、今回のロケ地「旧本多忠次邸」の現在のデータです。


○住 所:〒444-0011 愛知県岡崎市欠町字足延40番地1

○管理者:愛知県岡崎市

○T E L:0564-23-5015

○F A X:0564-23-5015

○開館時間:9時から17時(入館は16時30分)

○休館日:月曜日(祝日の場合は翌日以後の最初の休日でない日)、1月1日から3日、12月29日から31日、展示替期間

○入館料:無料(企画展等開催期間中は有料となります。)


○アクセス:

交通

バスの利用は、名鉄東岡崎駅の2番バスのりばから東公園口方面行きに乗車「東公園口」下車徒歩3分

車の場合は、東名高速道路「岡崎インター」から約5分(1キロメートル)。岡崎インターを名古屋方面に向かって出られますと、最初の交差点である「岡崎インター西」は右折できませんのでご注意ください。


○駐車場

専用駐車場はありません。東公園の駐車場(南、東、北各駐車場の合計収容台数約400台)をご利用ください。

なお、土曜日、日曜日、祝日、また東公園で催事が行われている時期は駐車場が大変込み合います。なるべく公共交通機関をご利用ください。

※東公園にはバスの駐車場がありません。バスを利用される団体様は事前にご連絡いただき、乗降場所等についてご確認ください。


○その他

館内は飲食禁止です。

(館内設置の給茶機についても新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から当面の間休止します。)

館内には多目的トイレ、エレベーターを新たに設置していますが、そのほかの部分はなるべく当時の姿そのままに復原しています。また家具等もすべて貴重な資料として展示しています。

建物の性質上、車椅子ご利用のかたは観覧、通り抜けが難しい箇所がありますので、ご了承ください。

入館に際しては履物を脱いでいただきます。素足のかたはスリッパをご利用ください。

敷地内は火気厳禁です。喫煙はご遠慮ください。

館内では刊行物やオリジナルグッズを販売しています。


○岡崎市役所

〒444-8601愛知県岡崎市十王町2丁目9番地

代表電話番号:0564-23-6000

FAX番号:0564-23-6262

開庁時間:月曜日~金曜日 8時30分~17時15分(祝日、12月29日~1月3日を除く)

※一部、開庁時間が異なる組織、施設があります。


今回の「旧本多忠次邸」。

現在では東京都内の跡地には、マンションが建っているようです。

世田谷区野沢の跡地ではなくて愛知県岡崎市に行けば、建物が無料内覧できます。

お側にお越しの際には是非。


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