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余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
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余り語られない撮影所のあれこれ(194) 「役に『色がつく』〜ヒーロー・悪役という役を考える〜」

余り語られない撮影所のあれこれ(194)

「役に『色がつく』〜ヒーロー・悪役という役を考える〜」


●ヒーロー・悪役

テレビや映画といった映像媒体よりも昔、演劇や田舎芝居にも「英雄」と「悪役」を演ずる人は存在しました。

神話や伝承は勿論、昔話、お伽話、逸話、寓話などの文献や口伝を伝える方法として、「人が演じる」という表現方法がとられた時から「役割=役」という存在が出来、その「役」が表現される「役割」に「英雄」や「悪役」を見出し、ひいては「役」を演じる「役者」にまでその「英雄」や「悪役」に対する感情を投影するという人間心理が働くことになっていきました。

それは、心理的に至極普通なのですが、「役」を演じている「役者」にとっては複雑な感情や状況を作り出す結果となることがあるのです。

今回は、そんな「英雄」や「悪役」を演じることについての心理を少し語ってみたいと思います。


尚、例によって情報のほとんどが約35年前です。

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。

また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在します。

その点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。

そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。

東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。

その点を予めご理解ご了承下さい。


●色がつく

役者には「役に”色がつく”」という言葉があります。

別に役者本人が着けようとしている「色」ではなくて、世間が「色を着けてくる」という状況になるということなのです。

この「色」とは、「役者」が演じた「役」の内容から連想される「性格」や「趣味嗜好」を、観客が勝手に「役者」本人に当てはめて「決めつけてしまう」行為や考えのことで、本人がどうであれ「色」が着いてしまうとなかなか払拭出来ないモノでもあります。

では、なぜ「色がつく」事が問題となるのでしょうか。

それは「それ以外の役のオファーが来ない」と言われ、実際に「ヒーロー」を演じ人気を得た役者には次にも「ヒーロー」のオファーが来やすくなります。

勿論、「悪役」を演じて人気を博した役者さんには「悪役」のオファーが来やすくなるのです。


この事から30年以上前の「ヒーロー役」や「悪役」を多く演じた役者さん達は、様々な役を演じる事こそが幅広い仕事に繋がると信じ、「色がつく」ことを嫌いました。


●払拭

「色がつく」事を嫌う役者さん達は、シリーズものでもない限り同じような役を連続して演じることも嫌いました。

特に「ヒーロー」を演じて人気を得た役者さんは、「色がつく」事を嫌って、敢えて「悪役」の役に挑戦するという事が往々にしてありました。


「ウルトラマン」の「ハヤタ隊員」を演じた「黒部進」さんは、ハヤタ隊員を演じた後に時代劇の悪役を演じていらっしゃいました。

とは言っても「黒部進」さんは、ハヤタ隊員を演じる前から悪役を演じており、むしろハヤタ隊員の様な「ヒーロー」の方が珍しい役柄なのです。

それでも世間では「黒部進=ハヤタ隊員=ヒーロー」という図式が根強く、幾ら悪役を演じても「ハヤタ隊員」のイメージは払拭出来ないでいます。

実際、私がご一緒にお仕事をした「特警ウインスペクター」でも第一話の悪役としてご出演して頂きましたが、私も「あ、ハヤタ隊員だ!」と心の中で小躍りしていました。


同じく「ウルトラマン」で「ムラマツ隊長」役でご出演されていた「小林昭二」さんも、流石に「仮面ライダーストロンガー」を最後にして、「新・仮面ライダー(スカイライダー)」の時の「立花藤兵衛」役のオファーに対して「役者ってのはわがままなもので、先へ先へ進んでいこうなんて思うのよ。お世話になって、こんなに思ってくれて、こんなこと言っちゃ申し訳ない、とんでもない不遜なことだと思うけど、勘弁してよ」と言って丁重に断ったというエピソードが残されています。

これは「立花藤兵衛役を卒業し、役者として更に次の段階に進みたい」という内容だと言われています。

しかし、「仮面ノリダー」の際には「立花藤兵衛」役でご出演されていました。

これは、番組からの再三のオファーに断り切れなかったといわれています。


特に昔の役者さんや演技にこだわりがある役者さん程、「ヒーロー」や「悪役」という特殊な役柄のイメージを払拭したいと思う方は多くいらっしゃる様です。


●ヒーローを生きる

それでは、「ヒーロー」を演じた役者さんのその後の役者人生を見ていきましょう。

前途した様に「ヒーロー」役のイメージは、払拭し難いものです。

ましてや人気を博した番組の主役であれば尚更で、他の番組の「ヒーロー」役や正義の味方に親しい役柄のオファーが次々と舞い込みます。

寧ろ端役であったとしても目立ち過ぎるからと、端役のオファーが極端に少なくなってしまうと言われています。

そのような役者さん達の中で、それでも「ヒーロー」役に徹した役者として「宮内洋」さんがいらっしゃいます。


現在では「ミスター・ヒーロー」とまで言われる「宮内洋」氏ですが、「ヒーロー」役のオファーの陰で自分に課した「ヒーローとしての制約」というか「矜持」がありました。

「一般の人の前、特に子供達の前ではタバコは吸わないし酒も飲まない」

「犯罪は犯さない」

「視聴者、特に子供たちのヒーローであるために…」

「ファンの人たちの夢を壊したくないからね」

それが「ヒーロー」として存在し続けることだというのです。

宮内洋氏には、ヒーローを演じる特撮ヒーロー番組は「子供たちに正義のここりを教える教育番組」という想いがあり、それを実践しているのです。

勿論、宮内洋氏のキャリアには、特に初期の頃において時代劇やアクションドラマの中で「悪役」を演じた経験も存在しますが、少なくともヒーローを演じ始めてからは、はっきりとした「悪役」を演じたことは殆ど無く、「ヒーロー」で在り続けています。

但し、宮内洋氏としては「ヒーロー」の中には様々な「ヒーロー」が居て、変身をしなくても「ヒーロー」である者もいるとしていて、「様々な『ヒーロー』を演じ分けていることも役者として楽しい」とも言っていらっしゃいます。


●悪役だけど善人

では「悪役」を演じた役者さん達はいかがでしょうか?

「強面」と称される役者さんが「悪役」を演じることが多いのですが、実のところそういった役者さんこそ「優しい」とか「善い人」というのが、業界の通例といっても過言ではないくらいに多いのです。

無口にしていれば「怖い」と感じてしまう役者さんでも、ダジャレや冗談が好きだったり、動物や子供が好きだったり、下ネタを笑いながら語ったりと、人懐っこく屈託なく笑う方だったりするのも「悪役」の役者さんの特徴だったりするのです。


地獄大使役で有名な「潮健児」さんが演じる「悪役」は「悪役」ではありましたが、どこか憎めない愛嬌のある「悪役」を演じられていらっしゃいましたし、ご本人もサービス精神が旺盛で、「人に楽しんで貰える」「自分が役に立てる」と思えることが大好きで、特に自身のファンの方々には寛容で、自分のことは二の次といった方でした。

さらに上下の分け隔てなく気遣いをされる方でもありました。


更に、幾つもの「悪役」を演じた汐路章さんは、奇怪な形相と独特のセリフ回しで怖さを表現されていた役者さんですが、私生活では無料の書道教室を開いて子供達と交流するなど、温厚な方でもありました。


「魔女を演じさせれば日本一の女優」と言われる「曽我町子」さんは、幾つもの「悪役」を演じましたが、その殆どが「どこか憎めない悪役」でした。

曽我さんは、役者という仕事には他人にも自分にも厳しい人でしたが、それは視聴者に対しての「責任」から出るものでした。

ですから、仕事を離れれば「面倒見の良い人」であり、特に後輩にはにこやかに接していたと言われています。


この様に、まるで「悪役」の役者さんの方が、人知れず「ヒーロー」を行っているかの様に「善い人」なのです。

「悪役」の役者さんは、「悪役」を演じているだけなのですから当たり前なのかもしれません。

映像の中で「悪役」を演じていても、その役者までもが「悪」とは限りませんから。


●映像と現実

しかし、映像内で「悪役」を演じた役者さん達は、往々にして役者自身が「悪」だと思われてしまう事があります。

つまり、映像の中の人物とその人物を演じている役者という現実を混同してしまう場合があるのです。

特に視聴者が幼少の場合には、「ヒーロー」と敵対する「悪役」に対して、殴る蹴るといった攻撃を当たり前に行って来たり、罵声を言ったり、そうでなくても怖さで泣いてしまう場合もある様です。

これが、年齢が上がっても映像という虚構と現実を混同してしまっている場合には、真偽不明の噂話や誹謗中傷等が出てきます。


その様な事は、海外にも存在するようで、映像の中での「悪役」を役者の本質かのように真偽不明の噂話や誹謗中傷等が散見される役者さんが存在します。

それは、「ハリーポッター」シリーズで「ドラコ・マルフォイ」という主人公ハリーに対する「悪役」を演じた「トム・フェルトン」氏です。

彼は、「ドラコ・マルフォイ」を演じたことをきっかけに、原作者の国イギリスにおいてまで「悪役のイメージ」を本人と同一視され、誹謗中傷を受けていました。

しかし、日本に「ハリーポッター」の新作映画のプロモーションをする為に訪れた際に、映画の日本人ファンの彼への歓迎に驚いたと言います。

日本人ファンの殆どは彼を「悪役:ドラコ・マルフォイ」ではなく「役者:トム・フェルトン」として歓迎したのです。

その日本人の感覚にトム・フェルトンは感激し、親日家となって行きました。


それは、日本人の多くが「虚構=役」と「現実=役者」を区別が出来ていたのではないかと言われています。

そして、日本人には「悪役」の人物像の中にも「なぜ悪意ある行動をとるのか」という「その人物の本質」を見ようとする「勧善懲悪」だけではない「物語」の複雑さが、世界最古の「物語」を始めとした古来の昔話から現代の小説、マンガ、アニメといったものに至るまで「試行錯誤」され「様々に分岐した虚構の世界」を創り出すまでに至って来た土壌があるからではないのかと思っています。

この事が、「悪役」を「悪」と断定しないで居られるのではないかと思っているのではないでしょうか?

しかし、それは逆を返せば「虚構」の世界を多く見てきたからこそ、「現実」を切り離して見る事が出来るのではないのかとも思えてくるのです。

それとも、そんな大それた事などではなくて、日本人が単に「有名人が好き」なだけなのかもしれませんが…


●色がつかない?

近年、「ヒーロー」や「悪役」を演じ、その番組が話題と成りながらも、「役」に対する「色がつく」ことをものともせずに役者としての成功を収めている若い役者さん達が多く出てきています。

つまり、役者としての「色がつく」という言葉を、「ヒーロー」であっても「悪役」であっても「色」として連続せずに、「役」を「演じる」という部分で見せて昇華して行く若手俳優が増えているのです。

確かに「きっかけ」は「ヒーロー」であり「悪役」だったかもしれませんが、それが「足掛かり」にしかなっていないのです。

そして、成功している若手俳優さん達の多くは「足掛かり」としているであろう「ヒーロー」や「悪役」に「色」を染められず、気がつけば「元ヒーローだったの?」「元悪役だったの?」という言葉が周りから聞こえてくる俳優となっているのです。


しかし、「ヒーロー」や「悪役」の「色」に染められずに乗り越えたにも関わらず、「ヒーロー」や「悪役」に対して「黒歴史」や「単なる足掛かり」としての意識ではなく、「原点」「あの作品がなければ今はない」と、染められる筈であった作品とその役柄を「誉れ」として受け止めている若手俳優が多くなってきたのです。


確かに今でも「色がつく」という事はあります。

それでも変化はしています。

時代の変化と言われればそれまでですが、今や「色がつく」という言葉が過去の言葉になってしまったのではないのか?と思えてならないのです。


●あとがき

「色がつく」という言葉には、視聴者側の感性や受け止め方、そして「メディア」や「噂」等の「情報」が多分に内包されています。

しかし、現代において「色がつく」という状況は、薄らぎつつあるようです。

そこには「ソーシャルメディア」の発達が関与していると思われます。

私は、情報社会の中で役者の本質的な言葉や行動が一般に多く開示され、「役柄」の上でしか知り得なかった「役者」自身の情報が視聴者の手に届きやすくなって来ているからだと考えています。

だからこそ、「役者」自身が「色がつく」事を恐れず、過去の自分の「ヒーロー」や「悪役」と向き合える様になって来ているとも思えるのです。


「若手俳優の登竜門」とも呼ばれる特撮番組は、1年間視聴者の前で「芝居」を見せ、成長できるという稀有な作品達です。

一般的な殆どの作品では、レギュラー出演が出来たとしても1年間という長期に渡り同じ役柄で演じ通せ、更に若手の拙い演技でも承諾して貰える作品は有りません。

「ヒーロー」であろうと「悪役」であろうと、拙い演技を勉強し、顔を売り、「若手俳優」という「淡い色」からステップアップを図れる好機なのです。

そこには、往々にして「役者」として経験豊富な役者さんも一緒に出演していますし、今や一流役者になったかつての「若手俳優」を育てたスタッフが多くいらっしゃいます。

一時的にせよどんな「色」に染まろうが、鯉が竜に成る為には「色」が必要な場合もあるのですから、「色がつく」事は最初のステップとして利用して貰いたいと思っています。


「若手」の成長を有名に成る前から知っていて応援しているという事を「喜び」と思える「推し活」の様な対象は、アイドルやスポーツ選手だけでなく「役者」にも当てはまります。


個人的には、「若手俳優の登竜門」たる特撮番組の「ヒーロー」や「悪役」であった「役者」が番組を巣立ち、多くの作品に「ヒーロー」や「悪役」以外の顔で出演している事は、かつての特撮番組の視聴者としては「頑張っているなぁ」とも思えますし、かつての「ヒーロー」が「悪役」を演じたとしても「新境地」を切り拓こうとしていると感じてしまうのです。

そして、いつか「何色の竜」として「昇竜」するのか、その姿を夢見たいのです。

これは、私だけなのでしょうか?

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