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余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
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余り語られない撮影所のあれこれ(170) 「知っている様で知らない『ピアノ線』」

余り語られない撮影所のあれこれ(170)

「知っている様で知らない『ピアノ線』」


●代名詞

特撮において、その代名詞と言えば「爆発」と「吊り」ではないでしょうか?

現在ではCG処理する事で簡単に映像化出来てしまう「爆発」と「吊り」ですが、やはり本物にしかない魅力もあるもので、昨今のハリウッド映画などではCG処理ではなく本物の「爆発」や「吊り」で表現しようとする映像も増えてきました。

今回は、実際の「吊り」に切っても切れない本当に切れない「ピアノ線」について語ってみたいと思います。

本当に「知っている様で知らない『ピアノ線』の世界」へようこそ!


尚、例によって情報のほとんどが約30年前です。

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在します。

その点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。

そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。

東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。


●ピアノ線とは

「ピアノ線」の語源は、楽器のピアノの弦に使われることによりますが、現在の「ピアノ線」が最初からピアノに使われていた訳ではありません。

「ピアノ線」が普及されるようになった19世紀後半以前では「鉄線」や黄銅による「真鍮線」などが用いられていました。

現在のピアノ用の「ピアノ線」は、音のむらを防ぐために真円度が高いこと、巻線加工のために平らにつぶしても割れないこと、チューニングピンに巻きつけても耐えられる曲げ強さなど、工業用のピアノ線より高度な品質が求められていて、特にミュージックワイヤーと呼ばれています。


基本的に「ピアノ線」とは、炭素鋼で作られた金属線で、硬鋼線であり強度が高い高級高張力鋼線です。

弾性率が高く、ベッドや建築用途のシャッター、自動車のシートなどのばね用の他、多少の伸び縮みを吸収する性能が求められるコンクリート補強、長大橋のケーブルなどにも利用されています。

因みに弾性率とは、力を加えても変形や断線しにくい率という事で、「ピアノ線」はこの弾性率が高い鋼材という事になります。


この様に非常に弾性率が高い為に、工作材料としても使用できるのですが、鉄線や真鍮線と比較して非常に硬いため、手作業での加工は困難な場合もあります。


総括として、直径2mm以上だと手で曲げるのはちょっと手こずりますが、1mm以下なら手で曲げられます。

見た目は表面が黒っぽい鉄の様に見えます。

一般的に販売しているのは0.3mm~2mmくらいだと思います。


●ピアノ線の用途

「ピアノ線」の用途は、楽器のピアノ用や「吊り」だけではありません。

「ピアノ線」の工業用途として、プレストレスト・コンクリートの圧縮力を与えるPC鋼材としての用途があります。

コンクリートは圧縮力には強いのですが、引張力には弱い部材のため、あらかじめ引張力を作用させた「ピアノ線」を用いてコンクリートに圧縮力を与え、外部からの引張力を相殺することでより強い構造を作れるという利点があります。

鉄道では、頑丈で長寿命、狂いが生じにくい利点から、プレストレスト・コンクリート製のPC枕木が用いられています。


また、軍事的にも利用されています。

既に第二次大戦期において、「ピアノ線」は陸海軍の航空機用操縦索(=コントロールワイヤー)、航空機用エンジンのバルブスプリング、機関銃の管バネ、気球係留索など軍需用品として様々な用途で利用されていました。

戦前の日本では、スウェーデンのギャルビダン社などから「ピアノ線」をすべて輸入していましたが、日米開戦により輸入が途絶し、軍関係者によって「ピアノ線」の研究が行われました。

軍から神戸製鋼に対して国産化が命じられ、1940年(昭和15年)に試作を開始し、国産化に成功したことで陸軍大臣より陸軍技術有効賞が授与されています。


更に、ソ連はノモンハン事件で「ピアノ線」を使った対戦車障害物を設置し、これに日本の戦車が敗退したという話もありますが、敗退した戦車隊の連隊長の証言によると「『ピアノ線』と伝えられたが細い軟鋼線である」と伝えられています。

そのほか、ヒトラー暗殺計画の絞首刑の道具としても使われたという記録もあります。


スポーツに於いては、ハンマー投げの球体部分と取手部分をつなぐ鋼線に使われています。



●荷重と線径

人間の様な重量物を「吊るす」為には「ピアノ線」は「細くても丈夫な撮影しても映りにくい鋼材」として用いられます。

「ピアノ線」の強度と張弾率は、1mmで約250kg〜350kgの重量の物を「吊るす」事が可能だと言われています。

ならば、人間を「吊るす」のにはもっと細い「ピアノ線」でも大丈夫そうに思われますが、そうではありません。

単なる「吊るす」だけの物質であれば、強度がその物質の重量を超えていれば「宙に浮いて留まってくれる」で差し支えないのでしょう。

しかし、そこに「動き」「遠心力」「反動」等という「瞬間的に働く“力のモーメント”」が出てくる事で、本来の重量の何倍もの張力が「ピアノ線」にかかってくるのです。

ですから、人間を「吊るす」際には線径1mm未満の「ピアノ線」は使用しません。

安全性を担保する為には2mm以上の線径の「ピアノ線」を使用する場合もあります。

尚、「吊り」に1回使用した「ピアノ線」は、どれだけ状態が良さそうでも、人を「吊るす」為の「ピアノ線」としては2度と使用しません。

基本は廃棄です。

コレは「ピアノ線」自体に細かなキズが生じている可能性があり、そこから摩耗等により切断される危険性がある事を考慮しての安全策の為の処置なのです。


安全性の為には太い線径に越したことはありませんが、撮影に使用するには太い線径では「ピアノ線」が映り込んでしまいます。

そこで、「ピアノ線」に色を塗って背景に溶け込ませるのです。

「ピアノ線」自体は鋼線ですから、光沢のある暗いグレーなのですが、この「光沢」が曲者で、撮影のライティングをキラキラと反射してくれるのです。

つまり「光沢」を失くさせる事が第一ですから、反射さえしなければ土や泥でも良いのです。

そこで、特撮業界的には「光沢の無い」ポスターカラーが使用されています。

ポスターカラーは、塗った直後には「光沢」がありますが、水分が抜けると「マット=つや消し」な状態になり、ライティングを反射しづらくなります。

色としては、セットステージ内での「ピアノ線」を使用した撮影が多い特撮業界的には汎用性の高い「黒」が主流ですが、外での撮影の場合には却って目立ってしまう為に「白」や背景色を意識した色が塗られる場合があります。


人間を「吊るす」場合には、そのアクションの仕方によって「ピアノ線」を結び付ける基部に様々な工夫がされていました。

単に「吊るす」のであれば業界用語として「縛帯」と呼ばれる「ハーネス」の両腰に取り付けられたフックに「ピアノ線」を結び付けた「カラビナ」を引っ掛けて「吊るし」ます。

身体を回転させたいのであれば、縦回転か横回転かによって「ハーネス」に取り付けたフックを回転する器具に取り替えた特殊な「ハーネス」を使用し、前転や後転ならば両腰に、側転ならば腹部と背部に取り付けていました。


●ピアノ線だけじゃない

「吊り」には一般的に「ピアノ線」が使用されていると思われていますが、実は「吊り」は「ピアノ線」に限っている訳ではありません。

「ピアノ線」の様な線状の物質で、「吊るす」事に適しそうな線を探すと、様々な物が見えてきます。


先ずは「針金」。

針金は線状の金属線全般を差すので、ここでは最も一般的な軟鉄線としての内容になります。

線径4mm以上だと手で曲げるのはちょっと手こずりますが、2mm以下なら手で曲げられる程度の強度があります。

基本「鉄線」なので、見た目も細い物は白っぽい鉄で、太い物は表面が黒っぽい鉄という状態です。

細さは作るだけなら如何様にでも出来ますので、「吊るす」だけならば用途は様々に出来そうです。

しかし、「ピアノ線」に比べると張弾性の低さと金属疲労の容易さが、「落としてはいけないモノ」を「吊る」のには適していません。

更には、重量物を「吊るす」為に必要な線径が「ピアノ線」と比べても格段に大きくせざる得ない状態となる為に、映像に映り込んでしまうリスクが生じてしまいます。

ですから、「落としてはいけないモノ」ではなく「落としても取返しがつくモノ」を「線として吊るしている事が分かる状態」で被写体として存在しているモノに限られる訳です。


では逆に細い線径の糸状の鋼線ではどうでしょうか。

ニクロム線やステンレス線は強度があります。

しかし、「ピアノ線」以上に加工し難い状態があります。

少なくとも線の両端は曲げてフックなどに結び付けなければなりませんから、その加工も撮影現場で出来なければなりません。

つまり、幾ら硬くてもある程度の加工も出来なければならないのです。


そういった意味では「テグス」という容易な「糸」があります。

勿論、普通は「吊り」ではなく「釣り」に使用されているナイロンやフッ素樹脂で作られている所謂「釣り糸」です。

「テグス」は、通常は透明で光沢もあるのですが、細くてある程度の強度もあり弾性もあります。

とは言うものの、細い「テグス」では人間を「吊るす」事が出来る程の張弾性は無く、「人間を吊る」のには適していません。

しかし、「テグス」が「針金」と違うのは、「針金」と同じように人間をはじめ「落としてはいけないモノ」ではなく「落としても取返しがつくモノ」を「吊る」しつつ、「針金」よりも細い事で「線として吊るしている事が分かる状態」ではなく、「被写体として存在してはならない状態にできる糸」という事なのです。


実際、操演の方を多くの回数雇える予算のない「不思議コメディシリーズ」に於いては、簡単なモノは「テグス」で「吊り」を行っていました。

ラーメン、炒飯、冷やし中華、ざる蕎麦、ナイルな悪魔、様々なモノを小道具さんや助監督が「テグス」で「吊って」、釣り竿で動かしていました。

小道具さんや助監督はプロの操演さんとは違って線径と張弾率の関係など分からないので、出来るだけカメラに映り難い細い「テグス」を使用していた為に、ブチブチ切れてしまっていました。

勿論、「ピアノ線」と同じようにポスターカラーを塗ってつや消しと背景色合わせを行っていましたが、「テグス」の素材的に「ピアノ線」のようには定着せず、よく色が剥げていました。


別に見える事を心配しなくて良い「吊り」の場合は、わざわざ「ピアノ線」を使用する必要はなくなりますから、人間を「吊るし支える事のできる」山岳用の「ザイル」で「吊って」いました。


●ピアノ線が見える

特撮の黎明期。

円谷プロダクションでは、円谷英二をはじめとする特技監督や操演の技師達が飛行機の模型を「吊るす」時には、基本的には機体上部に「ピアノ線」を取り付けていました。

しかし、その機体上部に注目が集まり、「ピアノ線」を見つけようとする視聴者や観客が増えてきました。

そこで、模型の下部に「ピアノ線」を取り付け、カメラも上下反対にして撮影したというエピソードが残っています。

また、円谷プロダクションでは映像にピアノ線が映り込むと、円谷英二に釜飯を奢る習慣があったというエピソードもあります。


フィルム時代では、ビデオ等の映像記録媒体も少なかった時代でしたから、映像を止めてマジマジと画像を眺めたり静止画を撮影したりする事もありませんでした。

ですから、フィルム時代の映像の制作現場には「少しくらいのアラは、(映像が)流れてしまえば、止めて観る事もないし大丈夫」という感覚がありました。

だからこそ「ピアノ線」は、「流れる映像の中で見つけられなければ大丈夫」という暗黙の了解が撮影現場にはありました。


●あとがき

「ピアノ線」が切れてしまう場合もありました。

とは言っても人間を「吊るす」為の「ピアノ線」が切れた訳ではありません。

有名なシーンは「空の大怪獣ラドン」で最後のシーンで、ラドンのプロップ(撮影用模型)を「吊って」いた「ピアノ線」の一本が切れてしまった事です。

本来ならばNGです。

しかし、「ピアノ線」が切れた事によって本来意図していなかった「哀愁」がラドンのプロップに宿ったと感じられ、そのまま本編カットとして採用されたのです。


上記の様に「ハプニング」は撮影には付き物です。

だから、何十にも安全対策を高じます。

ましてや人間を「吊るす」のであれば、尚なこと安全対策としてマージン(余裕)を持ちます。

だからこそ、素人的に「ピアノ線」での「吊り」に手を出さないで欲しいのです。

CGが全盛期になった近年でも「ピアノ線」は使用されていますが、本当に危険が付き纏う場合では「ピアノ線」ではなくて「登山用ザイル」や「金属ワイヤー」を使用し、後からCGで消してしまうという処置が取られている様です。

それでも「ピアノ線」が使用されるのは、CGによる「消し込み」による時間的・費用的な損失を軽減するのが目的なようですが、「安全性」には替えられないので、「ピアノ線」以上の「安全対策」が取られる様にもなっている様です。


そういった意味では、CGの出現によって「ピアノ線」が必要性を失って来ているようにも感じます。

それは、悲しくもあり寂しくもありますが、便利で安全な時代になったと感心もしています。

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