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余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
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余り語られない撮影所のあれこれ(157) 「『非現実』の作品における『現実』とは?」

余り語られない撮影所のあれこれ(157) 「『非現実』の作品における『現実』とは?」


●注意書き

「この作品(ドラマ、番組、漫画、話)はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。」

という慣用句は、殆どの作品に掲示されていますが、別に掲示が法律で決まっているものではありません。

これは、偶然に名前などが一致した場合のトラブルを避けるためや勘違いをする方への対策という意味で自主的に掲示されている注意書きだといえます。

この掲示をする以前には、悪いイメージのモノに付いた名称と現実の名称とが同じモノの場合に、クレームが付く場合がありました。


これは、「非現実=フィクション」という「虚構」の中に「現実=ノンフィクション」を見つけてしまったからこそ起きる悲しい出来事に他なりません。

例えば、悪役と同じ名前がもとで子どもがいじめにあうとしてクレームがついた有名な話があります。

「超人バロム・1」が放送され始めてから間もなく、「ドルゲ」姓のドイツ人の視聴者から、「『バロム・1』 に出てくるドルゲがもとで息子がいじめられるかも知れない」として放送局に抗議、名前使用差し止めの仮処分申請をする事件が起きたという例です。

仮処分は和解しましたが、制作側は「このドラマにでてくるドルゲはかくうのものでじっさいのひととはかんけいありません」という掲示を入れて配慮したようです。


●昨今

昨今、映像技術の向上や演出や脚本の力によって「非現実」な世界観であっても、これまで以上に「現実味」を感じてしまうという事が出来てきました。

そんな事が関連しているのでしょうか、「フィクション」にも関わらず「現実」の世界のルールを持ち込んで「批判」する例が多く見られるようになりました。

今回は、「非現実=フィクション」の作品において「現実=ノンフィクション」におけるルールをどこまで受け入れれは良いのか?を考えて行きたいと思います。


尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。

そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。

東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。


●「非現実」世界の「現実」

漫画やアニメ、実写ドラマや特撮作品においても、一般的にドラマ要素を含むモノには「フィクション=非現実」という言葉がついてまわります。

それは「ドキュメンタリー」という「ノンフィクション=現実」の中で事実を綴ったモノとは対照的に、全てが「フィクション」だからなのです。

つまり、「非現実=フィクション」の世界の中で「現実=フィクション」要素を加えたモノが「ドラマ」と言う事なのです。


近年では、どんなに「この番組はフィクションです」という掲示をしていても、現実と虚構の区別がつかず、「勝手に自分をモデルにしている」「これは自分のことだ」と抗議をする視聴者や読者が後を絶たなくなりました。

これは、自分の見ている映像や本の内容に「現実感」を多く感じてしまい、「現実感」が「現実」とは違ったものである事を理解出来ていないのが原因だと思われます。


●「共感」する為の「現実」

では、なぜ「非現実」の中に「現実」を取り込むのでしょうか?

それは、視聴者や読者に「共感」してもらうために他なりません。

全く自分達と違った「価値観」しかない「非現実」な内容では「共感」は得られません。

多くの視聴者や読者と「価値観」が同じモノである「現実」を提示して、「非現実」の中に「現実」を散りばめる事で「共感」を得て、作品の世界観と視聴者や読者の世界の間に架け橋の様な役割をさせようとしているのです。


例えば、宇宙空間という「非現実」な場所では、重力がないのですから移動は浮いて飛ぶ様な状況が通常だと思われますし、上下の区別も曖昧になると思われます。

しかし、その様な世界観の作品に於いては上下の区別を持たせて、足を使って歩いたり走ったりして移動する手段が多様されます。

ロボットアニメでよく見る「鍔迫り合い」も宇宙空間では正面同士でなくとも良いのに、ちゃんと正対して「鍔迫り合い」をしています。

これらは「現実」の世界で我々が日常的に見慣れている移動手段が「歩行」であり、人物達の位置関係も斜めからとか上下逆さまとかは通常あり得ず同じ平行軸上にしか存在しないからなのです。

つまり、「現実」を生きる我々視聴者や読者にとっての「日常」からかけ離れた「非現実」ばかりを突きつけられれば、それは空間認識能力から逸脱する「違和感」でしかなくなるという事なのです。

勿論、全編通して「歩行」や「上下空間無視」を貫くのではなくて、「非現実」としての状況を効果的に見せるに留めているのです。


●「現実らしく」みせる

「非現実」を「現実」にみせるにも努力は必要です。

一般的な家の部屋の中が舞台だとして、そこに何の家具も調度品もなければ、視聴者や読者は舞台設定を理解してくれるのでしょうか?

引越し後?不動産の内見?と思われるでしょうか?

そこに組まれたダンボール箱が幾つも積み上げられていれば引越しして来た部屋になりますし、家具や調度品が加わる事によって部屋の住人の性別・年齢・趣味といったものまで考えを巡らせる事が可能となります。

これらは、視聴者や読者の「現実」の中の「日常的」な部分の記憶と経験によって「非現実」を「補完」しているから起こる事なのです。

実際は、そこには本来住む人もいない空間しかなくて「非現実」しかないのです。

その「非現実」を「現実」にみせるには、「現実」を良く見て「非現実」にどんな「現実」を持ち込めば、「現実らしく」みせる事が可能かを模索する事が肝要なのです。


●「現実」を曲げて「現実」とする

「非現実」の中に「現実」を散りばめるのが、「虚構」を描く「フィクション」なのですが、「非現実」によって作られた「かりそめの現実」の中で「非現実」をみせる事が「フィクション」だとも言えます。

そして、その「明らかに非現実」な事柄も「現実」として感じさせられれば「フィクション」としては「完成品」と言えるのです。


恐怖を描くホラー作品や怪獣作品に於いて「非現実」であるオバケ・モンスター・クリーチャー達がどこまで「現実」として感じられるのかが評価となります。

つまり、恐怖を「現実感」として感じられる事が出来れば、「非現実」は薄らぎ、「非現実」にも関わらず「現実」として感じてしまうのです。


●「非現実」に「現実のルール」を持ち込む

昔から「リアル=現実」を感じさせ、作品世界へと視聴者と読者を導き、作品世界への没入感を阻害しシラケさせない事が良い作品に繋がるとされてきました。

確かに、それによって「現実」と作品世界への隔たりは縮まりますが、反面「現実」と見紛うという弊害も生んだ事も事実です。

そして、メディアが「現実」に近づき、「現実感」を感じさせる事が出来る様に進歩すると共に、「現実」に対して影響力を持つに至ると、前途した様に「非現実」にも関わらず「現実」との区別なく「現実のルール」を持ち込む方々が増えて来ました。


これらは何も近年になって言われ始めた訳ではなくて、「宇宙戦艦ヤマト」の中でも「宇宙では風は吹かない」という「現実のルール」をアニメという「非現実の典型」の様なメディア作品に持ち込んだ例と言えるでしょう。

確かに「現実の宇宙」ではそうなのですが、「宇宙戦艦ヤマト」という「非現実の宇宙」では「風が吹く」のかもしれないのですから、「現実っぽく作られた世界観」があるから「現実のルール」が適用されるとは限らないのです。


●「現実」を誤解させない

そんな「非現実」の世界観の中での「現実っぽい」モノが、「現実」とは関係あるかの様にみせてしまっている以上、誤解が生じてしまうのは仕方のない事です。

だからこそ、これらの「誤解」を生じさせない様に事前に注意されているのが、「犯罪に関連する会社や団体名に『実名』を使用しない」というルールがあります。

「現実感」を損なう為に、流石に個人名にまでは適用出来ないルールなのですが、一部の作品に於いては「個人名をカタカナ表記にする」や「苗字だけ」とか「名前だけ」とか「あだ名だけ」とか「個人名ではなく役職名だけに留める」といった対策を施している場合もあったりします。

更に、そんな事前配慮だけではすくい切れない部分には、前途した「この作品(ドラマ、番組、漫画、話)はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。」という掲示で対応しているというのが現状です。


その様な対策を講じてていても、「非現実」作品に「現実のルール」を持ち込む方々は多くいらっしゃいます。

特に近年のSNSという「匿名」による拡散投稿が可能になると、その「非現実」作品に「現実のルール」を軽い感覚で投稿する例が多少なりとも見られる様になって来ました。

そして、その事が賛否両論の物議をかもす様にもなって来ました。


それが作品の外部での遊びの様なモノであれば何の問題も無いのですが、作品への批判や制作会社への批判にまで至る様では行き過ぎだと言わざるを得ないでしょう。


●あとがき

全ての「非現実=フィクション」での作品は、「嘘」であり「虚構」なのです。

「現実っぽい」要素は、「虚構」と「現実」を橋渡しする為の「エッセンス」であり、「リアル=現実」を踏襲しているだけの「嘘」を覆い隠す為の謂わば「隠れ蓑」であって、必ずしも「本当の現実」とは言えないモノなのです。

そういう風に理解してしまえば、「現実感」を持って見えているモノ全てが「疑わしい現実」として見えて来ると思います。

特にアニメなんて実写ですらないのですから…


ですから、少しくらい「現実」から逸脱していると感じてしまっても、その「非現実=フィクション」の世界観の中では「現実」かもしれないのです。

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