余り語られない撮影所のあれこれ(138) 「撮影所のセキュリティ」
★余り語られない撮影所のあれこれ(138)
「撮影所のセキュリティ」
●セキュリティ
会社や工場等の不特定多数な人間が出入りする場所では、部外者の進入を制限している場所があります。
それは、機密漏洩、災害対策、盗難対策などの観点からというのが原因なのですが、このセキュリティチェックが撮影所になると、昔はガバガバでした。
今回は、撮影所のセキュリティの今と昔のお話です。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。
●一般的なセキュリティ
現在の一般的な工場や会社のセキュリティチェックは、大変厳しくなっています。
工場では受付で「会社名」「氏名」「行き先」「目的」を記入し、車輌での進入の際は「車輌ナンバー」も記入します。
そして、車輌用の受付ナンバーとか首から下げるGUEST用の受付ナンバーとかが手渡されて、入門となります。
令和に入りコロナ禍になると、体温測定や手指消毒が義務付けられる様にもなりました。
一般的な企業への訪問の際も、「会社名」と「氏名」を記入し、「体温測定」をした後に「体温」を記入する場合もあります。
これが「医療機関」であれば特に厳しく、「過去2週間以内の他府県や外国への渡航経験の有無」「健康状態のチェック」等の記入も追加されます。
官公庁においては、担当部署での来庁証明のための「面談者の氏名もしくは印鑑」が必要になります。
更に「担当部署の日付印」も必要になる場合もあります。
「氏名」の記入は、不審者の進入という観点からも行われますが、それは「抑止力」という意味合いも兼ねているのです。
尚、頻繁に出入りする人物や車輌がある場合には、会社発行の「入門証」が発行されます。
車輌や人物に特別なナンバーを割り振って、セキュリティは確保しつつも頻度の多い出入りの時間的短縮をはかるのです。
●平成以前の撮影所
○東映東京撮影所
東映東京撮影所には「正門」と「西門」が存在します。
平成以前の撮影所では、2つの門の門扉は最低でも日中は開け放たれていました。
「正門」には「守衛所」があり、24時間門扉が開いていましたから、2階に仮眠室のあり守衛さんが最低1名は詰めていました。
「西門」にも「守衛所」はあり、日中は守衛さんが最低1名は詰めていましたが、明確な時間は覚えていませんが「西門」は夕方になると閉めていました。しかし、仮に門扉が閉められてしまっていても勝手口から出入りは可能でした。
守衛さんがいらっしゃる場合には「おはようございます」と「お疲れ様でした」の挨拶だけで出入りが自由に出来ました。
自動車やバイクでの進入も、一度も降車すること無く出入りが可能でした。
撮影所の関係者であれば簡単に出入り出来るのは当たり前ですが、関係者でなくとも「おはようございます」の挨拶どころか、何の挨拶も無くとも出入りが出来ていました。
車輌やバイクの駐車場所も大体の場所は決められていましたが、誰が何処に駐車するかという事は決められていませんでしたから、邪魔にならない場所に駐車していました。
基本的には、今は無き東京撮影所の北西にあるオープンセットの一角が駐車場所でした。
Vシネマが多く制作される様になった1990年頃には、スタッフルームが数件入った二階建てのプレハブが建てられましたから、その傍にも駐車していました。
○東映京都撮影所
東映京都撮影所にも「正門」には「守衛所」があり、守衛さんが常駐していました。
車輌の進入は、この「正門」のみからで、駐車スペースも少なくておおよそ決められていましたから、バイクぐらいでないと勝手に停められる場所はありませんでした。
京都撮影所には、もう1箇所撮影所から出入り出来る場所がありました。
それは、太秦映画村と京都撮影所を繋ぐ人とリヤカー程度ならば通れる門でした。
勿論、こちらの門扉は常時は閉じられていましたし守衛さんもいませんでしたが、鍵は架けられていませんでしたから、門の事を知っている人ならば簡単に出入り可能でした。
●令和・京アニ事件以降
2019年(令和元年)7月18日に京都府京都市伏見にある「京都アニメーション」において「京都アニメーション放火殺人事件」所謂「京アニ事件」が発生します。
撮影所のセキュリティは、この事件以降劇的に変革が行われました。
この事件以前からも少しづつ変革が行われていましたが、「京アニ事件」は映像制作業界を震撼させるのに十二分でした。
映像制作業界には、急激なセキュリティ強化が責務となったのでした。
撮影所では、レギュラースタッフにもレギュラーキャストにも首から下げる入門証が支給されました。
レギュラー以外のスタッフやキャストには、制作部や他のレギュラースタッフ等を介して臨時入門証であるゲストカードが守衛所で発行されます。
更に、事前の申請無しでも守衛所での「ゲストカード」の発行は可能となっています。
この場合は、守衛所で「名前」や「連絡先」等の情報を記入する必要があります。
車輌に関しても登録された車輌には「入門証」が発行されており、駐車スペースも決められています。
臨時の車輌も「臨時入門証」は発行できますが、撮影所内に駐車スペースが無い場合には荷物の積み下ろしを別としてTJoyの駐車場を利用する事になります。
「西門」は常時閉門されていて、入門に関しては「正門」のみとなっています。
「西門」の勝手口も同様ですが、出る時にだけ暗証番号を入れて開く形に変更されています。
実は、東京撮影所の「西門」の近くには社内食堂と喫茶スペースが併設されている場所が存在します。
この施設は、「西門」の眼の前にある「東映アニメーション」のスタッフにも利用可能ですので、いざ「東映アニメーション」のスタッフが食堂や喫茶スペースを利用しようとすると、「東映アニメーション」から一番遠い「正門」へ向かい、「正門」から入門して撮影所内を歩いて「西門」傍にある食堂や喫茶スペースの施設にまで廻って来なければならないのです。
京都撮影所でも東京撮影所に準じた入門証が発行されている様です。
●令和・コロナ禍
更に「コロナ禍」になると、「正門」の「守衛所」で体温測定と手指消毒が義務付けられています。
勿論、一般的な入門と同様に体温測定において体温が高い場合には、入門が許可されません。
集団で制作する映像制作業界では、一部の濃厚接触者の存在から陽性者のクラスターに簡単に昇格しやすい職場である為に、慎重にも慎重を上乗せするセキュリティが必要となるのです。
●あとがき
30年前の撮影所のセキュリティは、今になって考えれば実際にはセキュリティと呼べるものではありませんでした。
「おはようございます」「お疲れ様です」
その挨拶だけが「入門証」でした。
私が撮影所から離れた後でも、幾度となくこの言葉の「入門証」を唱えては、撮影所の門をくぐらせて頂けたのですから…
勿論、暗黙のルールという「見えない門扉」によって、いくら現実の門扉が開いていようとも部外者は撮影所の門から先には入って来ませんでした。
本当に所内に部外者が入っていたという記憶はなくて、せいぜい正門前で記念撮影をするくらいでした。
勿論、30年前の当時では部外者かどうかの区別もつきませんでしたが…
これは、京都撮影所でも同じ事なのです。
尚、撮影所が部外者を全て拒絶してきた訳ではありません。
幾度となく所内を開放し一般の人達を招き入れてきた時期もありました。
それは、撮影所が視聴者があってこその場所であり、地域の理解があってこその場所だと考えていたからに他なりません。
しかし、時代が様々な「自由」を開放して行く事によって「自由」を間違って理解している方達が「見えない門扉」を感じ取れなくなってしまったという事実も、悲しい事ですがまた一方には存在しています。
世間一般に準じ、京アニ事件の様な再びの悲劇を繰り返さない為にも、セキュリティは厳しくなっています。
ですが、少なくとも撮影所という場所は閉鎖的な場所でも異世界の空間でもありません。
視聴者という応援して頂ける方達が居る限り、現実の門扉はあっても閉ざす扉は持ち合わせてはいない場所なのです。




