表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
126/195

余り語られない撮影所のあれこれ(125) 「『視覚』と『聴覚』の相乗効果」

★余り語られない撮影所のあれこれ(125)「『視覚』と『聴覚』の相乗効果」



●総合芸術

「映画は総合芸術」と呼ばれる場合があります。

映画は、「映像」と「音楽」と「ストーリー」が相乗効果となって「芸術」と昇華していると云われているのです。

勿論、いずれかが弱かったり欠落している映画もありますから、全てがそうだとは言えません。

但し、複数の要素が「相乗効果」を持って「芸術」とまで呼ぶにはおこがましくとも、普段以上の評価を受ける場合もあります。

今回は、その中でも「視覚」と「聴覚」に絞って、その「相乗効果」を考えてみたいと思います。


尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。

そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。

東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。


●絵と音

映像だけで成り立つ映像作品というモノもあります。

そして、音だけの作品というモノもあります。

ですが、殆どの映像作品の場合は、何らかの「音」が補っていることで、より良い作品となっています。

それは、「SE=サウンドエフェクト」と呼ばれる「効果音」であったり、「劇伴=劇用伴奏」と呼ばれる「曲」であったり「歌」であったりします。


人間の生活の中では、自然に聴こえてくる「音」がありますが、映像作品の多くは、その自然に聴こえてくる「音」以外の「SE」や「曲」を「映像」と共に聴かせる事で、通常の生活で見せられる「映像」以上に「心を揺さぶる」事が可能となるのです。


●映像+音楽

それは、無声映画から始まりました。

絵が動いているだけでも驚きであった黎明期の映画に、生演奏を加えて自然音を別の音で補ったのです。

それは、映像製作者の思惑を超えて、映像だけでは辿り着けない興奮を鑑賞者達に植え付けたのです。

人間の脳内では、「映像」だけではなく「音」があってこそ自然に「映像」が理解されるのでしょうか?

いいえ、「映像」の内容を理解するだけであれば、「映像」だけで十分なのです。

しかし、「音」は「映像」を理解をさせる為の「補助」に働いたのです。

「映像」に込められた感情や方向性を「音」が補ったという訳です。


●効果音

「映像」に「音」が付いて「トーキー」と呼ばれるモノに発展すると、「セリフ」は勿論として「効果音」が付くことになります。

自然の中でならば聞こえてくるであろう「映像」に合った「音」を、「映像」と同時に流したのです。

しかし、黎明期の「録音」は、複数の「音」を別録音して合成する事が未熟であった為に、全ての「音」を同時に「録音」しなければなりませんでした。

コレは、自然の「音」は「録音」によっては再現出来ず、自然の「音」らしく発する「音」というモノを擬似的にその場で創り出さなければならないという事を意味していました。


それは、自然の「音」というモノに対する探究であり、人が「音」をどういう風に聴いているのかという事への再認識でもありました。

つまり、自然の「音」が「映像」と結び付いたとしても、「映像」が自然の「映像」を切り抜かれて創造された「擬似的映像」だと認識している以上は、「音」を自然の「音」と認識するには「疑い」が生じてしまうという無意識の心理が働いているからなのです。

このことから、自然の「音」にもかかわらず自然の「音」と認識して聴いて貰えない「音」が出てきたのです。

例えば、剣撃の刀と刀の合わさる「音」は、本物の刀を使用して「音」を創っても自然な「音」とは認識して貰えず、自然の「音」よりももっと高くて響く金属の「音」で創作してやる必要があるのです。

この創作の「音」から、本来ならば「音」のあまり出ないモノの「音」を創作したモノも「効果音」として使用する事となります。

時代劇ならば、人を切る時の「音」とかも本来ならば聴こえる筈もない「音」ですが、何故かそれらしい「音」が「映像」に付く事で、あたかも自然な「音」の様に聴こえてしまうのです。

更に、それが当たり前の様に常用されると、「効果音」が無い事の方が不自然と思うようになってしまうモノなのです。


●主題曲(=テーマ曲)

基本的には歌詞付きの歌が無い状態の作品の顔となる曲を指します。

映画等では、キャストやスタッフの名前が出てくる「映像」のバックで流されるのが基本的ですが、「七人の侍」の様に太鼓の「音」だけが延々と鳴るだけで映画自体が始まってしまい、肝心の「主題曲」の方は、作品中に流されるという場合もあります。

コレは、「主題曲」が「映像」に与える影響を考えての配慮なのです。

つまり、「主題曲」には「映像」に込められた「テーマ」を「補助」する為の「旋律」が含まれているのが通常ですから、その「補助」をする役目を最も効果的に「映像」と合致させる「場所」が重要となってくるのです。

それは、殆どの場合「クライマックスシーン」になります。

「映像」に込められた「テーマ」を鑑賞者へ届ける為に、鑑賞者の心を「テーマ」に向けての方向性を「補助」する訳です。

平たく云えば、1番盛り上がる場面で、盛り上がりを後押しする様な「曲」を流すという訳なのです。


そして、多くの「名曲」と呼ばれる「主題曲」は、何度聴いても「飽き」が来ないとも云われます。

それは、「曲」自体の優秀さもありますが、「映像」が「補助」しているとも思われます。


●脳裏の映像

「映像」というモノがなかった時代には、「曲」だけで心の抑揚を促す必要がありましたから、様々な旋律を駆使して「クラッシック音楽」の様な音楽の流れの中で「テーマ」となる部分を「主旋律」等に載せて表現していたのです。

ですから、「クラッシック音楽」を聴いても万人が同じ「映像」を思い出す訳ではありません。

自分の思い出の「映像」の中で「音楽」に合わせたモノを選択して、「脳裏」に映して「テーマ」を自分自身で「補完」するのです。


その「フィードバック」を、「映像」を固定化して見せる事で、万人の「脳裏」に映し出される「映像」が単一なモノとなり、より明確に「テーマ」を鑑賞者へ届ける事ができる様になるのです。


●主題歌

この「主題曲」に、「歌詞」が付くと「主題歌」という事になります。

「歌詞」という「直接的なメッセージ」が、「テーマ」を代弁する事になる事で、鑑賞者へ「テーマ」を理解しやすくする効果が得られます。

また、「歌」になる事で「テーマ」は「映像」を介さなくとも広がる事にもなります。

しかし、「映像」を一度でも観た後では、「歌」の背景には断片的であるが万人に同じ「映像」の一部が「脳裏」に忍び込んで行くのです。

それは、「歌」を唄う事で「映像」を思い出し、「映像」を観る事で「歌」を口ずさむという相乗効果を持って「脳裏」に焼き付いて行きます。


●挿入歌、挿入曲

「主題歌」だけでは、各場面における小さな「テーマ」を拾い切れないと思われる場合、補助的な「歌」として「挿入歌」が文字通り挿入される場合があります。

また、「歌」が付かない「挿入曲」の場合もあります。

どちらの場合も「映像」を補助する訳ですが、時として「映像」と「曲」や「歌」の浸透性が良かったのかどうなのか、「挿入歌」や「挿入曲」が独り歩きしていく場合もあります。

コレは、「主題歌」の方がより顕著ですが、「映像」の方が「補助」的に「挿入歌」「挿入曲」「主題歌」等を引き立てて、単独で広まって行く場合があるという事です。

この場合、「曲」や「歌」に「映像」が附随する。つまり、「映像」が「補助」する場合と、明らかに「映像」から離れてしまう場合があります。

殆どは、「映像」が「補助」します。


●主題歌や主題曲の浸透性

例えば、スター・ウォーズの「テーマ曲」を聴けば、宇宙やライトセイバーや魅力的なメカの数々を「映像」として思い出し、登場人物たちが動いている様を「映像」として思い出す事で、スター・ウォーズの他の「挿入曲」を思い出すのです。

「主題歌」の場合、余りにも有名な「歌」の場合は、ワンフレーズどころか、短なワードだけでも「映像」が脳裏に出てきてしまいます。

例えば「迫る」だと「仮面ライダー」、「君にも見える」だと「帰ってきたウルトラマン」という風に、歌い出しならば特に顕著です。

そのものズバリの「映像」が思い浮かばなくとも、選択肢のひとつにぐらいは「映像」が挙がって来るでしょう。


●あとがき

名だたる作曲家の方々が鬼籍に入られました。

渡辺宙明先生は特に顕著で、アニメから特撮から多くの子供達の夢を育んだ作品の「主題歌」や「挿入歌」「挿入曲」をお創り頂きました。

その素晴らしい「曲」や「歌」の数々は、「映像」と共に脳裏と耳に留まり、先生のお名前という冠を伴って、我々の心に身体に染み込んでいます。


その様な「作曲家」が、どのような想いと「テーマ」を持って作曲したのかに思いを馳せながら、「曲」と「映像」を回想するのも良いと思います。


「主題歌」は勿論、「主題曲」から「映像」の世界に入る場合もあります。

「良い曲」「良い歌」という「曲」先行で「映像」を見始める場合や、「映像」に附随した「主題歌」や「主題曲」を耳にして改めて「映像」に興味を持つといった具合です。


良い「主題歌」や「主題曲」は、「映像」作品を何倍にも素晴らしいモノにしてくれる場合があります。

確かに、「映像」と全く合わない「曲」や「歌」の場合もあります。

しかし、多くの場合は「音楽」は「映像」と共に我々の心と身体に「高揚」を与えてくれるモノなのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ