余り語られない撮影所のあれこれ(123) 「裸な役者さん達『AV俳優』『ヌードモデル』『ニューハーフ』」
余り語られない撮影所のあれこれ(123)
「裸な役者さん達『AV俳優』『ヌードモデル』『ニューハーフ』」
●裸のキャスト達
AV新法等という言葉が囁かれている昨今ですが、実はAV以外の作品でも「裸」を必要とされる作品はあります。
ドラマの中でのAV作品の撮影風景という舞台設定だとか、簡単なものではシャワーシーンで後姿だったり身体の一部だったりといった「裸」を入れたいが、役者本人が一部でも後姿でも「裸」がNGで、代役を希望される場合等です。
こんな場合は、AV女優さんやAV男優さんを筆頭に「裸」を出しても良いという役者さんを別にキャスティングしたり、代役を用意したりするのが通常でした。
今回は、そんな少し特別な役者さん達の話をさせて頂きます。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。
●どこまで見せるのか
「裸」を撮影する場合は、それが「どこまで撮影するのか」と「どんな芝居を撮影するのか」によって「放送倫理」や「映像倫理」の基準が存在します。
最終的には、撮影したモノよりも作品になった映像段階での状態にはなります。
勿論、男性と女性によっても倫理項目は変わってきますが、映像となった身体の「胸」「局部」などの情報によって倫理規定が異なってきて、視聴できる年齢対象も変わってきます。
一般のテレビ放送では、全年齢の視聴が対象になりますから、男女共に「局部」は勿論、女性の「胸」に関しても放送することはできません。
勿論、放送倫理も年代によって厳しい方向へ変化してきましたから、昔は放送できていた内容であっても現在では放送できないという状況になってきています。
DVDやブルーレイディスク、Vシネマや映画などの視聴対象者が限定できる媒体での映像作品の場合は、この倫理規定が緩和されます。
映像編集の倫理規定に関しては、「その75 映像制作のコンプライアンス」で詳しく説明していますので、そちらを参照してみて下さい。
●NGをクリアする
「裸」を撮影する場合には、特に女優さんにはNGを出される場合が殆どです。
「濡れ場」と称されるシーンやシャワーシーンでも、肌の露出の多い場合はNGとなる場合があります。
特に「濡れ場」は、肌の露出に関係なくそのシーン自体がNGとされる場合もあります。
そんな場合、部分的なカットの積み重ねなどで誤魔化す場合もあるのですが、対象となる女優さんや俳優さんに演出上のこだわりがなければ、肌の露出をOKしてもらえる女優さんや俳優さんが抜擢される場合があります。
この場合、女優さんの多くは「AV女優」さんを起用するのが殆どなのですが、芝居が必要なのかどうかによってキャスティングにも違いが出てきてしまう場合もあります。
勿論、「濡れ場」の芝居はプロですから心配はしていませんが、それ以外の部分での芝居心のあるなしが問題となってくるのです。
そして、「濡れ場」までは必要ではないが「シャワーシーン」等の撮影の仕方によってもNGとなる場合があります。
その場合には「ヌードモデル」さんが起用される場合があります。
勿論、「濡れ場」と同じく「AV女優」さんを起用しても良いのですが、「シャワーシーン」の場合の殆どが「代役」であり、顔が映らないこともあって、部分的な肌のアップだけで良いだけならば「AV女優」さんよりもギャラの安い「ヌードモデル」さんを起用するのが一般的でした。
●AV女優
「AV女優」さんのキャスティングに関しては、「AV女優」さんを多く抱える「プロダクション事務所」に依頼するのが一般的でした。
しかし、「AV女優」さんにも色々な方がいらっしゃいます。
所属事務所に入っている方が大半ですが、30年ほど前であれば元有名「AV女優」さんであった方が、ご自分がフリーとなってドラマや映画に他の「AV女優」さんを斡旋する方というのもいらっしゃいました。
基本的に「AV女優」さんですから「濡れ場」へのNGはありませんが、露出度に応じでギャラは高くなります。また、芝居の出来る出来ないによってもギャラは変わってきます。
つまり「AV女優」さんは、通常のドラマで撮影されるシーンであれば露出NG無しで演技をして頂ける女優さんということになります。
尚、AVではない通常のドラマで「濡れ場」があれば、女優さんも男優さんも局部に「前貼り」を貼ります。
モザイク処理は通常はしません。
また、通常のドラマならば衣装に下着は含まれませんが、下着が映るシーンがある場合は、下着も衣装として用意されることとなります。
つまりは、映像として映される着衣ならば、下着も衣装とみなされる訳です。
当時、他の「AV女優」さん達を斡旋している元有名「AV女優」さんがおっしゃっていました。
「私たちの旬は早くて、年齢と共にAV業界での出演本数は少なくなるし、ギャラも下がります。そんな彼女たちが、映像業界の中で長く女優を続けて行ける為にも、AV業界だけに留まるのではなくて、他の映像作品への出演機会に恵まれて、それによってAV業界だけではない女優としての立場への道筋が付くのであれば、良いかと思って……」
確かに、「AV女優」さんからAV以外のドラマや特撮の女優や俳優としての地位を確立した方もいらっしゃいます。
●ヌードモデル
裸の背中、臀部、胸等が映るが、女優さんや俳優さんにNGとされてしまっている場合は、通常ならば代役として「ヌードモデル」さんを起用します。
男女共にいらっしゃいますが、撮影現場に呼ばれる場合の殆どが「女性ヌードモデル」さんです。
代役ですので顔は映りませんし、セリフもありません。
勿論、顔がバレる為に「濡れ場」などの「絡み」と呼ばれるシーンもありません。
ある種、特別な「パーツモデル」という位置付けです。
「パーツモデル」としても「背中」や「尻」といったモデルさんもいらっしゃいますし、下着メーカーのCM等でも活躍されている「バストモデル」さんもいらっしゃいます。
しかし、そちらは基本的には下着を着用しての撮影ですので、「ヌードモデル」さんとなれば特別だとみなされる訳です。
ギャラは、「AV女優」さんに比べれば安くなりますが、一般的な「パーツモデル」さんよりは高くなります。
更に、殆どが「代役」としての起用ですから、基になる女優さんや男優さんと体型的に似ている人を探して来ます。
その為にも「パーツモデル」を多く抱えるプロダクション事務所や「ヌードモデル」を斡旋している事務所といった、「希望のモデル」の居る可能性がある事務所等にキャスティングをお願いする事になるのが一般的でした。
さて、映像倫理規定はありますから、いくら「ヌードモデル」さんとはいえ局部の撮影はありませんし、女性の胸の撮影にも「乳房」までか「乳輪」も入るのかによって倫理規定による視聴者対象が跳ね上がります。
もっと昔には、テレビドラマの銭湯のシーンの撮影で、女湯を作り出すのに複数人数の「ヌードモデル」さんをエキストラ的に入れて撮影した事もあった様ですが、「女性の胸」に対する倫理規定が厳しくなった為に、一般放送(専門チャンネルを除く、地上波やBSの放送)では、「女湯」に明らかに「乳輪」まで映る様なシーンは放送出来なくなっています。
また、大人だけではなくて子供達が裸で銭湯ではしゃぐ等というシーンも「子供の就労規則」や「児童ポルノ」への就労規程や倫理規程で難しくなっています。
子供が風呂上がりに下着を着けずに走り回るといったシチュエーションを撮影し放送や映像化するのは、昔から難しい状況ではありましたが、今は皆無となっています。
●ニューハーフ
ゲイボーイ、シスターボーイ、ブルーボーイ、おかま、Mr.レディー、ニューハーフ、おねえ、などと時代により呼び方が変化してきた呼称であり、シーメールと呼ばれる方々を含める場合もある様です。
規模的には、生物的に男性であったが乳房を整形によって獲得し、男性器を持ったまま女性化した人達という認識がありますが、身体的特徴や精神的状態などを含めると、様々な状況の人達を呼ぶ呼称となってしまっています。
昔は男性同性愛者が、身体を女性化する事によって相手の男性に対する愛情を深めようとしている人達という認識が一般的でした。
また、その女性化する整形費用を水商売や風俗店で稼ぐ人達が多く、ニューハーフの方々は珍しいダンサーやホステスといった感覚で見られていました。
しかし、性同一性障害やトランスジェンダーといったセクシャルマイノリティが広く認知されてきた事もあり、水商売や風俗店に勤める道を選ばず、女性として一般の職種に進む者も増えてきました。
それでも、誰もが世間に認知され受け入れられる訳ではないことから、水商売や風俗店に勤める道に進まざるをえない方々もいらっしゃいます。
そんなセクシャルマイノリティの方々の事を知って貰う為にも、30年ぐらい前には少なからずドラマも製作されていました。
それが、興味本位なことによる「珍しい」ドラマという認識であっても、彼女達や彼等は「セクシャルマイノリティ」という認知を手に入れられる為に、多くを協力的でした。
特に1990年代初頭には「朝川ひかる」さんという、現在の「はるな愛」さんに繋がるミスターレディ(ニューハーフ)が登場する事によって、タレントとしてのミスターレディが活躍の足がかりを得ます。
しかし、まだまだミスターレディは「AV女優」さんとしての活動や風俗店での職種などの限られた門戸しかありませんでした。
そんな彼女達に一般のドラマへ出演をお願いする際には、彼女達自身に「胸」を出してダンサー役などをお願いしなければならない状態でした。
どう見ても女性そのものとしか見ることの出来ない方もいらっしゃいました。
ショーダンサーとしてしか経験のない方もいらっしゃいましたが、いつもの彼女達を観て貰うためにも、納得して普通に陽気にダンスをして頂けました。
流石に、テレビドラマでは下半身までは露出しませんが、彼女達の中には「工事」が終わって本当の「女性」の様になった自分の身体を誇らしげにする方もいらっしゃいました。
現在では、そんな胸を出してのダンスシーンも簡単にはテレビドラマでは放送できません。
しかし、彼女達セクシャルマイノリティの方々が、現在の立場を獲得する為の戦いがあったことは忘れてはならないと思います。
●あとがき
男性も女性も、その肉体は時としてソレだけで「芸術」足り得る存在だと言えるでしょう。
「芸術」という言葉でしか肉体を「善」足らしめる事が出来ないのは悲しい事ですが…
「倫理」という「規制」は、確かに必要だとは思います。
そして、まだまだ狭き門ですが、「芸術性」を認められて「外国の映像作品」に対しては基準の「緩和」が為されているのも事実です。
30年前に比べれば、映像を視聴できる環境が劇的に変化している事もあり、その視聴される作品に対する「規制」は、視聴者への配慮が為されているとも言えるでしょうが、視聴者の眼を覆い「裸」を悪い事という無意識のレッテルを貼らせ、思考を在らぬ方向へ向けさせているという部分を作り出してしまっているのも、また事実です。
しかし、だからと言って、全てを開放するのは暴論だとも思います。
まだ、テレビ以外の映像作品に於いては、多少なりとも「性の倫理」に葛藤している作品も存在します。
「倫理」という不確かな基準を掲げられ、年々厳しくなる表現方法がある一方で、それでも映像作品を作り上げていかねばならないというジレンマも同時に存在しているのです。
そして、そこには長年視聴者の眼を覆いながら、「想像」する為の事実にも覆いを掛けて「想像力」を低下させているにも関わらず、「想像」させる事による視聴者頼みの表現方法しか無いのです。




