余り語られない撮影所のあれこれ(119) 「表現技法の基本。『イマジナリーライン』と『ドンデン』」
★余り語られない撮影所のあれこれ(119) 「表現技法の基本。『イマジナリーライン』と『ドンデン』」
●映像業界用語
映像業界には様々な業界用語があります。
今回紹介する「イマジナリーライン」は、映像業界だけの用語ではなく映像作品をはじめとする映画やテレビドラマは基より、アニメーションやマンガに於いても使用されている基本的な映像的表現方法のひとつです。
そして、その「イマジナリーライン」を基にして「ドンデン」という言葉が生まれてきました。
今回は、画面構成で使われ基本的な表現技法でありながら疎かにされがちな「イマジナリーライン」をご紹介させて頂きます。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。
●時間的連続と認識力
「イマジナリーライン」は、日本語では想定線( そうていせん )と呼ばれる専門用語です。
映画、テレビドラマ、アニメーションなどの映像作品で主に使用されていますが、映像作品ではないマンガにも使用されています。
しかし、単なる絵画では使用されていません。
コレは、映像作品やマンガ作品における時間の連続制と人間の理解力に関わっているからです。
つまり、ある状況が時間的に連続していく中で変化していく過程で必要となるモノであり、それは人間の視覚的認識力が関連しているのです。
簡単に言い換えれば、2人の人物、2台の車両などの相対する2つのモノの間に結ばれる仮想の線のことを「イマジナリーライン」と呼び、その間にある相対的な関係を表現する為に重要で基本的な技法なのです。
つまり、「イマジナリーライン」とは、時間が瞬間的に過去へと去って行く中で、映像を一度見ただけでその位置関係などの情報を理解できるようにするために発見された原則の1つなのです。
●説明
難しい言い方をしてしまいましたので、例をあげてご説明しましょう。
「イマジナリーライン」の代表的なものとして人物同士の会話などの相対的な関係の表現があります。
Aという人物が「右」を向いて話しているとします。
そして、Bという人物が「左」を向いて話をしていれば、お互いの間に会話がある様に表現が可能になります。
まだ、AとBの人物の位置関係が同じフレームの中で表現されているのであれば、相対的関係は視覚的に入ってくる情報だけで瞬時に理解可能なのですが、クローズアップしてAだけやBだけの単独でのフレームになった場合は、位置関係を視聴者の脳に認識させて置きながら、それを混乱させない事も考えなければなりません。
この時に「イマジナリーライン」を越えた「視点」で位置関係を表現してしまうと、会話をしているにも関わらず、AもBも単独では同じ方向を向いている様に写ってしまい、会話をしている様には見えなくなってしまいます。
コレは視点移動、即ちカメラ位置が問題なだけではありません。
編集、即ちカット繋ぎでも問題は生じます。
同じフレームにAとBが居て、位置関係が表現されていても、次のカットが「イマジナリーライン」を越えた反対側からの視点だとすると「位置関係」は逆転します。
これを幾度も繰り返してしまうと、幾ら同じフレームに対話をする2人が収まって居ても、人間の脳は瞬時の判断をする事が多くなり過ぎて、情報量過多によって気分を悪くしてしまいます。
近年、某アルコールメーカーのCMで2人の人物の対談を撮影しながらも、頻繁に「イマジナリーライン」を越えたカットの切り替えを行い過ぎて、CMの内容自体の理解よりも画面に酔ってしまう視聴者が少なからず居たという事があったぐらいです。
つまり「イマジナリーライン」を考慮した視点、即ちカメラ位置を「イマジナリーライン」のどちらか一方の範囲内で収めて置く必要があるのです。
A→←Bの対話に於いて、頭上から観た場合に2人の間に仮想の線「イマジナリーライン」が存在するとします。
この「イマジナリーライン」の下半分の範囲内に最初のカメラ位置を設定したのであれば、同じシーンの中で「イマジナリーライン」を越えて上半分の範囲内にカメラ位置を移す事は極力避けねばならないのです。
●方向
つまり、画面上の位置関係を表すのに「イマジナリーライン」は大切なのですが、コレは会話だけにとどまりません。
人物が進む方向や車両等が進む方向なども「イマジナリーライン」を越えるとおかしくなってしまいます。
中には、左右だけではなくて手前と奥の位置関係を表す際にも必要となります。
但し、人物や車両等が全て正面を向いていたり、右や左の一定方向へのみ方向性を持っている画面構成をして、「イマジナリーライン」を必要としない様に演出する場合もあります。
●イマジナリーラインを越えて
「イマジナリーライン」は基本的に越えれば問題のある仮想の線なのですが、必ずしも「越えてはいけない線」ではないのです。
ですから「イマジナリーライン」を越える為の方法も幾つかあります。
○カットイン
先ずは、カットとカットの間に関係の無い別のカットを入れて、シーンを分断して視聴者に新たな視覚的位置関係を提示する事で「イマジナリーライン」を新たに構築する方法です。
これは、「イマジナリーライン」自体を考えなくても良いとも言える方法です。
しかし、この方法は、あくまでも途中に別のカットを入れる事が大前提となります。
そして、幾らカットインがあるからといって多用し過ぎれば、やはり視聴者の脳に混乱を生じさせてしまいます。
○移動
カットインせずに「イマジナリーライン」を越える方法が無いわけではありません。
「イマジナリーライン」は、カットの切り替わりを跨いで越えてはならないのであって、同一カットの中で越えるのは大丈夫なのです。
つまり、「カメラが移動する」か「対象物が移動する」事によって、最初の「イマジナリーライン」を自然と越えて行くというか、新たな「イマジナリーライン」を構築し直して行く事によって視覚的位置関係を時間的に変化させて行くのである。
視聴者にすれば、1番自然に視覚的位置関係を認識しながら「イマジナリーライン」を越える事ができる方法なのです。
しかし、この方法は時間的な流れを表現できる映像作品にしか出来ない方法です。
ですから、マンガでは「移動によってイマジナリーラインを越える」というのは難しい方法なのかもしれません。
○どんでん
「イマジナリーライン」を「あえて越える」という方法も存在します。
それが「どんでん返し」(通称:どんでん)なのです。
舞台となる場所をガラリと反対側から撮影したりする事で、一気に位置関係に変化を施し、新たな対象物の位置への思考と共に新鮮さや不安さを醸し出す効果もあります。
しかし、この方法は多用する事が出来ません。
あまりにも視覚的位置関係が劇的に変化する為に、視聴者が違和感なく理解が可能となるのにどうしても時間的猶予が必要となる為なのです。
尚、「どんでん」はカメラ位置が「イマジナリーライン」を跨ぐことから「(カメラが)逆に入る」とも言われます。
そして、カメラ位置が「イマジナリーライン」を跨ぐと、照明やバックまでもが変わらないといけなくなり、スタッフ・キャストの待機場所や機材の置き場所も移動を余儀なくされる為に、大きく準備時間を必要とするのです。
○編集
例外的に、あえて「イマジナリーライン」を越えたカットをつなぐ演出をする場合もあります。
この場合は、あえて視聴者が混乱する様に持って行く事が目的の様な演出や、特別なフレームを挿入させたいという意図的な演出が作用しています。
●知っていて
近年だけではなくて、何十年も前からある「イマジナリーライン」の考えですが、演出部、撮影部そして記録さんには基本的に知っておくべき考えであるにも関わらず、余りにも基本的な事だけに知識として知らないままに演出し、撮影しているスタッフが少なからずいるというのもまた事実です。
演出を優先する為に「イマジナリーライン」を無視したり、撮影時の画面構成を優先する為に無視したりする場合はありますが、知っていて「あえて」無視するのか、全く知らないままなのかは大きく変わってくるのです。
尚、記録さんは、それを注意したり問い正したりするべきストッパー的な立場でもありますから、特別な演出や構図作りの為ではないのであれば「イマジナリーライン」を守らなければならない最後の壁だと思っています。
「イマジナリーライン」が怖いのは、撮影現場では当たり前の様に眼の前の被写体を追って演出し、撮影しているだけで良いのですが、いざ編集の段階で繋いだ画面の流れから「イマジナリーライン」を跨いでいた事が判明するという事なのです。
つまり、1つのフレームの中では良くても繋げると違和感として出てくるのが「イマジナリーライン」なのです。
●あとがき
30年前に、普段はドラマを殆ど演出しない人物が監督をし、普段はドラマを殆ど撮影しない人物がカメラを回す小規模な撮影現場に助監督として参加した際に、監督もカメラマンも「イマジナリーライン」を知ってはいても曖昧な状態だったことがありました。
撮影はビデオでしたが、編集は後日ということでキャストやロケーション先のスケジュールからも後日の撮り直しというのは不可能な状態でしたから、撮影の途中でカメラ位置を「イマジナリーライン」を越えて設定しようとする監督にしばしば遭遇し、周りのスタッフも不思議と思わないでいた為にあえて私が口出しした事がありました。
この時には、照明さんが違和感を切り出したのが発端でした。
「イマジナリーライン」の理由が分からないままに感覚だけで演出や撮影をしていたのが原因でした。
撮影現場で「イマジナリーライン」講座が時間を割いて開かれたのでした。
「イマジナリーライン」は表現技法の基本です。
確かに感覚的なモノでもクリアできる程の基本です。
しかし、基本的なモノだけに狂った時に取り返しのつかない程の違和感をもたらしてくるモノでもあるのです。




