余り語られない撮影所のあれこれ(102)「特撮以外の撮影現場」vol.3「時代劇の撮影現場 」
★「特撮以外の撮影現場」vol.3「時代劇の撮影現場 」
●東映“京都”撮影所
東映で時代劇の撮影と云えば「京都撮影所」通称「太秦(撮影所)」です。
「太秦映画村」という名称で一般公開されているオープンセットまでが併設されている撮影所で、勿論東京の撮影所よりも古い施設です。
京都撮影所は、時代劇撮影に特化した施設という訳ではありませんが、東京撮影所では特別な施設が必要になってくる「時代劇の小道具」や「結髪さん」も「常設」でいらっしゃいますので、何の問題も無く時代劇を撮影し尽くせました。
そんな「東映京都撮影所」での「時代劇の撮影現場」って、まだ語っていなかったんだ?と、今更ながら驚きながら、今回は語ってみたいと思います。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。
●私と時代劇
私の撮影所経験は「時代劇」からでした。
大学生のアルバイトの時代に、「スペシャル時代劇」の撮影現場の制作進行を経験したことがきっかけでした。
そして、「東京撮影所」に移って助監督になってからも郷里へ正月休みに帰る前のひと仕事と言われて、東京撮影所からの出向という形で「水戸黄門 第21部(西村晃版)」の撮影現場でセカンド助監督の仕事をさせて頂きました。
最初のアルバイト時代の「スペシャル時代劇」は、「時代劇スペシャル 子連れ狼 冥府魔道の刺客人 母恋し大五郎絶唱!」でした。今では「子連れ狼(高橋英樹版)」という名称で呼ばれている1989年制作の「スペシャル時代劇」で、撮影には1ヶ月近くの期間を有しました。
この「子連れ狼」は、主演の拝一刀は高橋英樹さんでしたが、敵役の柳生烈堂には映画版で拝一刀を演じた若山富三郎さんが演じるという配役で話題となりました。
それはそれで「余り“語ってはいけない”撮影所のあれこれ」な部分も多々あるのですが、その件に関しては守秘義務とは言いませんが暗黙の了解という関係で今回は控えさせて頂きますW
●俳優会館
さて、最初に挙げたように「時代劇」の撮影の為には、現代劇とは違った意味での準備や設備が必要になってきます。
その殆どの機能の中心と言ってもよい施設を有しているのが「俳優会館」です。
俳優会館の簡単な説明は、その29(第30部)の「東映京都撮影所と太秦映画村vol.1」にも書かせて頂きましたが、もう一度簡単にご説明します。
「俳優会館」は、文字通り大御所の俳優さんの専用個室から大部屋と呼ばれるエキストラを含めた俳優さん達の大部屋まで「俳優控室=俳優さん達の控室」がある等の待機・休憩場所になっているのは確かですが、「演技事務=エキストラ・アクション俳優を含めた俳優の手配」「結髪室=かつら、髪結等の準備室」「衣装室」「メイク室」「稽古場・板場=殺陣(剣術を含めたアクション)・演技の練習場所」等の施設も一緒に入っている建物です。
現代劇とは違い「衣装」からはじまって「小道具」に至るまで特殊なモノを必要とし、特に「髷」に至っては現代ではその髪型にしている方は日本人でも極々少数しかいませんから、「鬘」で代用するしかない代物となる訳です。
ですから、「時代劇」と称する作品を作るためには、現代劇とは違った特殊な世界を作らなければならないという、ある種「特撮作品」に似た下準備が必要となる訳です。
その準備をする場所として、「俳優会館」は特に重要な施設となります。
いざ「時代劇」の撮影の際には、「髷や日本髪の髪型の鬘」を頭に着けて「作品の設定時代の衣装」を身に着けた多くの役者さんたちが、撮影の始まる数時間前から準備をし、撮影開始時間前にはぞろぞろとこの「俳優会館」から出てくるのです。
冬場には、薄い時代劇の衣装の上から自前の防寒着を羽織って歩く姿を目にすることが出来ます。
勿論、ロケーションの際には、役者さん個人が自分の飲み物や私物を入れたバッグなどを持って、ロケバスに乗り込む姿も見ることが出来ます。
●時代設定に合わないモノ
時代劇に出演する俳優さんたちは、一介のエキストラといえども守らなければならない暗黙の「きまり」があります。
「時代設定に合わないものは身に着けない」
本当に基本的な事ですが本当に大切な事で、これはどんな大御所の俳優さんといえどもタブーです。
簡単なモノからいえば「腕時計」「眼鏡」「アクセサリー」等です。
かつて、腕時計を身に着けて本番撮影をしてしまい、後で映ってしまっていることが判って、撮り直しを余儀なくされたという例もありました。
また、冬場には「防寒着」を身に着けている俳優さんが多いのですが、これは余りにも目立つためにいざ本場の際には注意されますが、小道具さんが目を光らせているにもかかわらず寒いからと本番直前まで履いてしまっている「靴」や「靴下」まではチェックが甘くなります。
時代劇には、その時代設定によっての基本的な様相や条件があり、キャストを含めてスタッフもその基本を知識として知っていなければなりません。
「足袋」も身分によって履けることのできる者が決まっていますし、「髷や日本髪の髪形」も身分や時代によっても変化します。
そんな人物の装いだけではなく、身分間や時代による「言葉遣い」「立ち居振る舞い」「所作」の違いや「衣装の布地や色」「建物の建築様式」「小道具の形」に至るまで、「時代設定に合う」のかどうかが重要になってくるのです。
それは、時代劇製作に関わる為には、日々勉強しなければならない事だといえるのです。
●ステージセット
時代劇の撮影の場合、建物や風景等が現代とは大きく異なっていることが要求されますから、必然とステージセットや時代劇専用の街並みに建て込まれたオープンセットが必須となってきます。
ロケーションセットとして時代的建造物をお借りする際にも、建築物の中には「電気照明」なんて有ってはいけませんし、「時計」や「エアコン」や「コンセント」なんてもってのほかです。
細かな点では「シール」「テープ」等もダメですから、いくら時代背景に合うからと言っても歴史的建造物をロケーションセットとして使うことは殆どありません。
あったとしても外観ぐらいです。
そういった意味では、オープンセットとステージセットでの撮影が殆どを占めてしまうのです。
○べっぴん
ステージセットでは、ステージ毎に最初から決まった建物の設定が作られたモノと、その番組や作品の為に特別に建物のセットが建て込まれるモノとがあります。
特に「武家屋敷」等の決まった設定の「建て込み」のステージセットでは、大勢のスタッフが土足のまま建物内に入っていきますし、様々な撮影用機材がセット内を行き来しますので、長年使用している定番のステージセットでは床、畳、壁、柱等の傷や劣化が目立つようになってきます。
床、畳、壁等は、画面に映るほどに劣化が目立ってしまうと張り替えや建て替えが行われる場合がありますが、土台となる柱に関しては簡単に変えることはできなかったりします。
そこで活用されるのが「べっぴん」「べっぴんさん」です。
呼称するだけの存在ですから文字に起こすことは余りありませんが、「別嬪」であり「別品」なのだと思われます。
簡単な話が、柱と同じ色(=とも色)に塗った真新しい板を柱に打ち付けたり張り付けたりして、柱の傷や劣化を目立たなくさせるものです。
しかし、この「べっぴん」は柱用だけではなくて、「今あるモノとは違って、もっと綺麗なモノ」という場合全般に使用しますから、「べっぴん」と言っても柱に張る板とは限らないのです。
○お風呂
時代劇では余りみられない設定として「お風呂」のシーンというものがあります。
「水戸黄門」の中には「かげろうお銀」の入浴シーンが有名ですが、この入浴シーンを撮影するのはとても大変です。
ステージセット内に作られる「お風呂場」には、時代劇の設定に合うように樽製や木製などの保温性の低い「風呂桶」が作られます。
風呂桶を沸かすという状態には作られてはいませんから、その風呂桶にヤカンや鍋で沸かしたお湯を入れて、水で温度調整するのです。
しかし、保温性の低さから直ぐに冷めてしまいます。
現代劇の風呂桶は保温性があるために、仮にヤカン等のお湯を注いで作った場合でもお風呂のお湯の温度は急激に冷めることは余りありません。
まぁ、現代劇でのお風呂の入浴シーンでは、その風呂桶自体を「沸かす」ことが出来る様にお風呂場のセットを作ります。
さて、時代劇のお風呂場セットで冷めてしまったお湯は、どうするのか?
簡単な方法はお湯を足すと対処方法なのですが、そんな単純な方法では全体の水の量が多くて追いつきません。
そこで、京都撮影所では、棒状の電気式のヒーターを何本か直接水に浸けて風呂桶全体を温めていました。
但し、ヒーターの出力が弱かったのかは分かりませんが、最大出力のこの方法でも急激な温度変化は見込めませんでしたから、横でヤカンや鍋でお湯を作っていました。
今でもこの方法なのかは分かりませんが、同じ方法だとしても少なくともヒーターの出力は向上している事でしょう。
尚、お風呂のお湯の表面に「湯気」が出なければ熱く映りませんから、撮影直前にヤカンのお湯を加えて「湯気」を出すのは「当たり前」の行為でしたし、セット内が冷えている程に「湯気」はハッキリと出ますから、それだけに「保温と湯気」の関係はジレンマでした。
勿論、夏場の「湯気」は大変で、気温の下がる夜間に撮影時間をずらすという事までしていました。
今ならばCGを使用出来れば簡単なのでしょうね。
●小道具
時代劇特有の小道具は多岐に渡ります。
大抵の小道具は、現代でも残っていて超高級なモノからチープなモノまで揃える事も可能です。
しかし、それでも手に入らなかったり、高級なモノしか存在がなくて予算的に購入が不可能な場合は、小道具さんのお手製となりました。
時代劇では特に身に着けるモノと手に持つモノが多い為に「持ち道具」を無数に乗せた専用リヤカーが用意されていました。
このリヤカーは、屋台風で屋根もあり、現代の軽トラック改造の移動販売車の商品棚の様に細かくきっちり整理された品物が所狭しと収められているといった優れモノでした。
小道具では特に「刀」が大変でした。
「本身=真剣」「模擬刀」「ジュラ=ジュラルミン製の刀」「竹光=竹製の刀」
「本身」は危険が伴う為に厳重に管理されていて、いつもは施錠された場所に保管されています。刀自体の光の反射や刃紋の様子が「模擬刀」とは違っている為に、刀のアップが必要な時と、真剣でムシロを切る等の特殊な撮影の時のみに使用されていました。
「模擬刀」は刃の付いていない鉄製の刀です。本身までは要らないが、光の反射が必要だったり芝居上刀身が出てくるカットでは「模擬刀」でした。但し、重いのでアクションには不向きです。
アクションでは「ジュラ刀」でした。単に「ジュラ」とも呼ばれる「ジュラルミン製」の刀です。
「模擬刀」程重くなく、「竹光」程にヤワではないのでアクションで使用されていましたが、この「ジュラ」でも十分相手に怪我をさせられる武器というか兇器でしたから、アクションに慣れたキャストやアクション俳優さんじゃなければ扱わせて貰えない位でした。
ですから、大抵のキャストとアクション俳優さんは「竹光」でした。
但し、竹製の刀身は竹のママではなくて、ちゃんと「アルミ箔」を卵の白身を接着剤代わりに貼り付けた刀身になっていて、遠目には普通の刀に見えるという代物でした。
まぁ、激しいアクションをすると折れてしまうような代物でもありました。
さて、水戸黄門の「持ち道具」から。
黄門様の杖も高級なモノではあり、その時の黄門様の体格や使用感で用意されますが、形だけは大きく変化はしていません。
そして、水戸黄門での最重要アイテム「印籠」ですが、コレはアップ用の「印籠」が存在していて、いつもは桐の箱に入れられ施錠できる場所に保管されている程の蒔絵金箔の超高級品でした。
●結髪
結髪については、その2(第3部)とその38(第39部)でご紹介していますが、今回は「髷」に関してです。
髷は、時代によって流行があったようです。
特に時代劇で設定される江戸時代においては農民や町人や商人、そして武士といった身分によっても髷は一定の流行りがありました。
ですから、その髷の形状の変化や流行りの形状を理解した上で、結髪さんは髷鬘をキャストの役によって頭に被せてくれるのです。
●ロケーション
時代劇におけるロケ地は、本当に限定されました。
現在の様にCGの技術が発達して撮影した画面を加工できるなんて、30年以上前の時代には莫大な費用がかかる代物でしたから、映ってはいけないモノは最初から映さないという努力が必要でした。
ロケーションにおいては「時代設定に合わないモノ」が多過ぎる上に「撤去」することも出来ないのですから、ロケーション用に特殊な準備が必要となりました。
○砂
普通の「砂」が土嚢袋に入っているモノが何袋も準備されていました。
コレは主に「アスファルトの隠し用」でした。
アスファルトに砂を撒いて、アスファルトらしさを隠すのです。
コレが大変な作業でした。
特に広範囲に渡ると大変でした。
勿論、撮影後は砂は回収して持ち帰ります。
それも大変でしたw
たまにマンホールや雨水メンテナンス用の小さな丸い蓋を隠すのにも利用しましたが、コレには技術が必要でした。
○松の皮と松の枝
縦横に1メートル位の松の表皮が何十枚かと、松の枝が何本か用意されていました。
コレは主に「電柱隠し用」でした。
極力電柱自体を映さないアングルでカメラをセッティングしていましたが、画面構成上已む無く電柱が入ってしまう場合がありました。
そんな時には、電柱のコンクリートの上から被せる様に松の皮を巻き松の幹に見せて、枝を加える事で「松」を主張させて錯覚させる訳です。
コンクリートに釘は打てませんから、針金で松の皮を固定していきます。
下から順番に巻き付けて行くのがコツで、松の皮の上の部分だけ固定していましたから、その固定部分の針金を覆い隠す様に上に少し重ねて巻いて行くのです。
下の方が浮くのならば、裏から両面テープで留めていました。
撮影で映る場所だけを撮影時間の間だけ隠せば良いのですから、周りから見れば不思議な光景でしょう。
電柱に松の皮を一部分だけ巻いて、枝まで打ち付けているのですからw
尚、電柱が木製でも偽装させました。
キレイな木の棒が画面の端にとはいえ存在するのは不自然ですから仕方ありません。
木の電柱は、釘が打ち付けられるだけでも簡単で助かりました。
中には、木製電柱にそこら辺に落ちていた枝を釘で打ち付けただけで偽装した時もありました。
武家屋敷の外観や道などといった現代劇では殆ど加工も加えずに撮影できるロケーションも、時代劇には過酷の連続です。
しかし、毎回同じ場所や同じアングルというのもキャストの芝居よりも背景が気になってしまう状況になりかねませんから、努力して新しいロケ地やアングルを探すのです。
そして、情報が多過ぎたり余計な部分は覆い隠すのです。
●大覚寺
そういう意味では「大覚寺」さんは、有難いロケ地です。
大抵は、大池の周りがロケ地となりました。
川の畔、旅の途中の松並木、池に船を浮かべれば、川の渡し場や屋形船での撮影も可能でした。
電線もなく、現代的な建造物も無く、ロケ地の所有者も超協力的といった恵まれたロケ地です。
大覚寺さんでは、専属のスチルカメラマン(お寺のお坊さんw)が付いてロケーション撮影の状況をカメラに収めて、大覚寺に見学に来られる拝観者や聖地巡礼者にお見せしてくれています。
私の家内などは、結婚前に大覚寺へ旅行した際に、お寺のお坊さんが撮影場所を案内して廻ってくれたと言っていましたから、大覚寺さんも
楽しんでくれているのだと思います。
●資料探し
撮影に入る前に、特に調べておかなければならないことがあります。
「時代設定に合わないモノ」ではなくて「名乗っては怒られる名前」です。
つまり、敵役となる悪代官や家老職等が「対象の時代」に「対象の地域」に「系譜となる人物」がいないのかを調べるのです。
少なくとも敵役と同じ苗字の対象者がいなかったのかを調べておかないと、もしも居たら「偶然」の言い訳も「事前の調査不足」として取り上げてもらえません。
しかし、30年も前になれば、SNSもインターネットも無く、情報の出処の多くが書籍や文献といったモノくらいでしたから、調べる事に時間はかかりましたし、完璧とも言いませんでした。
でも、それは歴代のスタッフにしても同じ想いだったのでしょう。
京都撮影所には、各地方の時代年代別の大名やその臣下の系譜が記載された文献が何冊も本棚に並んでいました。
●あとがき
時代劇の撮影には、特殊な空間が必要となります。
有名な日光江戸村をはじめとして、茨城県のワープステーション江戸、山形県の庄内オープンセット等といった江戸時代のオープンセットが地方に出来てくれた事は有難い事です。
ですが、京都の地は別格だと思っています。
それは、京都撮影所と松竹撮影所のオープンセットを有している上に、歴史的建造物も多く、ロケ地として理解を示してくれる場所も多いといった土地柄だからです。
竹林山林も多く、寺社仏閣以外でも多くのロケ地を提供して貰える有難い古都です。




