○空を飛んだ日
朝日を見た翌日。別荘を発見したとアイリスさんを通じて報告があった。
眼下に広がる雪を被った木々。その一角に雪が積もっておらず、ぽっかりと穴が空いたような場所がある。直径は30mくらい? その穴の大部分を占める深い茶色の木造一軒家が、私たちの目指す別荘だった。
ここで1つ、問題が発生する。
どうやって、あそこに着陸するのか。
本来、転移で来ることが前提だったからか、船を安全に着陸させるにはスペースが無い。もし操縦を誤れば、別荘はぺちゃんこ。飛空艇もダメになって、広大な森に取り残される羽目になる。慎重に慎重を重ねた議論――主にメイドさんとアイリスさんによる――の結果。
服を着こんだ私とサクラさん、元の大きさに戻ったポトトは甲板に立たされていた。現在、飛空艇は地上100mぐらいらしい。これ以上降下すると、魔物による襲撃などの恐れがあるそうだった。
事態が全く飲み込めないでいる私たちの前に立ったのは、いつも通り淡い黄緑色のメイド服姿のメイドさんと温かそうな服を着こんだアイリスさん。そして、とがった耳が特徴的な森人族の船長ハルトさんだった。
「良いですか、アイリス様。くれぐれも、お見送りだけですからね。死滅神様を見送られた後は溜まっている仕事を片付けながらウルセウに戻るよう、国王様からおうせつかっているのですから」
「ちゃんと分かっています、ハルト。……残念ですが、分かっていますよ?」
「なぜ2回言うんですか……?」
心配そうな顔で言ったハルトさんとアイリスさんのやり取りを見ていると、メイドさんが口を開いた。
「それでは、私たちはこれから飛び降ります」
『「「……え?(クルッ?)」」』
笑顔で言ったメイドさんの言葉に、私、サクラさん、ポトトの声が重なる。
「今、飛び降りるって言った? こんな高い所から? どうやって?」
「質問が多いですよ、お嬢様♪ 順に答えますと、はい、飛び降ります。ここから。【フュール】を使って、でしょうか」
【フュール】は風を引き起こす魔法ね。ポルタで窓から落ちた私を受け止めた魔法だとメイドさんから聞いた。つまり、着地の際の衝撃を風魔法で和らげる、ということかしら。
「そんな危ない方法、とる必要ある?」
「まず、近くで着陸できる場所ですと、あちらの湖ぐらいです。しかし、別荘から2㎞ほど離れておりました」
メイドさんが見た方向を見ると、少し遠くに湖面が見える。確かにあの場所なら、飛空艇を着水させることが出来そう。
「2㎞ぐらいなら歩けそうなものだけど」
「はい。ですが、道らしい道の無い山道を2㎞となると、かなり消耗します。加えて」
そこからの説明を引き継いだのはアイリスさん。
「先日の青竜を含め、人が少ないこの辺りには危険な動物や魔物が多くいることが予想されます。ひょっとすると魔族もいるかもしれません」
そう語るアイリスさんの顔は、頼れるギルド職員としてのものだった。魔族は人族に与していない知的生命体の総称ね。魔物もそこに分類されるから、私たち魔法生物も魔族という扱いになるはず。
「木が多くて視界も悪いし、雪で足元も十分じゃない。そんな危険な森をまだD級のスカーレットちゃんたちに歩かせる方が危険だと判断いたしました」
高さ100mから飛び降りるのも相当な危険度だと思う。それでも、私より人生経験の長い2人がそう判断したのなら、それを信じるのが妥当よね。
「【フュール】……。私にも使えるかしら?」
魔法の使用にはどんな現象が起きるのか予め知っておいて、想起しないといけない。だけど私は【フュール】の魔法を聞いたことしかなかった。正直、初めて使う場としては命懸けすぎる気もする。
そう私が不安に思っていると、
「いいえ、お嬢様たちに魔法を使って頂くことはありません。私に全てお任せを」
真面目な顔で、メイドさんが言う。その顔は、私を怪物になったイチさんの所へ届けてくれた時と同じものだった。
メイドさんに頼りきりになってしまうのは申し訳ないけれど、森を歩いて行く場合も同じようなもの。それに、あのメイドさんが大丈夫だと言うんだもの。従者の言葉を信じるのも、主君の務めよね。自分の非力さを痛感しつつも、
「分かったわ。ポトトもサクラさんも、それでいい?」
私は赤い瞳をポトトとサクラさんに向ける。サクラさんは少し迷うような素振りがあったけれど、
「うん! わたしも、メイドさんを信じるっ!」
私とメイドさんを見て頷いてくれる。他方。
『クルルッ!』
ポトトは大きく首を振って否を示す。普段、私たちの足を務めてくれている彼女だけど、元は臆病な性格なのよね。この船に乗った時も震えていたし。
「……そう。分かったわ。無理はさせられないもの。アイリスさん。ポトトをお願いできるかしら?」
無理をさせてポトトに嫌な思いはさせたくないもの。1か月後に私たちを迎えに来てくれるアイリスさん達にポトトを任せましょう。……寂しいけれど、少しの間お別れね。
私の言葉に一瞬、アイリスさんがいたずらを思いついた子供のような笑顔を見せた後、ハルトさんに尋ねる。
「かしこまりました、死滅神様。ウルの王女として。責任を持ってお預かりします。オホン。……いいですね、ハルト? このポトトの世話をするよう、私は死滅神様に申し付けられました」
「はい、聞いておりましたが……?」
問いかけの意味が分からなかったらしいハルトさんが困惑しながらも頷いている。今のやり取りの意味って、一体……?
「では、参りましょう。お嬢様、サクラ様。手を」
「ええ」「は、はいっ」
メイドさんに手を取られて、私たちは船の縁に立つ。見下ろすと、自分たちがいる場所の高さに思わず身震いして、腰が引けてしまう。だけど、右手にあるメイドさんの手をぎゅっと握ると勇気が出てくるから不思議。
「それじゃあ、また。待っているわね。ポトト、アイリスさん」
『ク、クルールッル……』
名残惜しくなる前に、涙目のポトトと笑顔のアイリスさんに背を向ける。そして、隣にいるメイドさんとその向こうのサクラさんの顔を見て――。
「では、参ります!」
私たちは空を飛んだ。




