○正しさって、なに?
私が死滅神としての役割を果たした、その日の夜。夕食を済ませて寝間着姿の私はベッドに突っ伏していた。水色の寝間着は赤竜のせいで吹き飛ばされてしまったから、今日着ているのは黒い長袖の寝間着だった。
「お勤めご苦労様でした、お嬢様」
背後。メイドさんが香油を使って私の背中を拭きながら言って、体をほぐしてくれる。巷ではマッサージと言うらしかった。
そんな彼女の横。ベッドのそばにある新聞の夕刊には『我がままセシリア姫、ついに禁忌を犯す!』『死神様の再誕! お手柄!』なんて見出しの下、セシリア王女の我がままぶりが伝えられていた。予想通り彼女の部屋からは持ち出された国宝の錫杖や笛が見つかったと言う。
「これで、お嬢様が死滅神であることが世に知れ渡りましたね。ウルセウに来た目的は果たされたと言って良いでしょう。……やはり腰が凝っていますね。えいっ♪」
「イタタ……痛いわっ! んっ、待って!」
私の反応か、それとも目的が果たされたことか。あるいはその両方に、満足そうな笑顔のメイドさん。そんな彼女の表情とは裏腹に、マッサージで落ち着いた私の中には、使命感にかき消されていた疑問が渦巻いていた。
「本当に、あれで良かったのかしら……」
「おや。悩んでおられるのですか、お嬢様?」
背中の垢と一緒に香油をふき取っていくメイドさんが私のつぶやきを拾う。
役目を果たしたことに後悔は無い。けれど、今日の私は職業衝動に飲まれるまま、盲目的に自分が正しいのだと思い込んでいた。思えばアートードを殺した時もそうだったわね。
「彼女が……サザナミアヤセが言っていたことは正しかったもの」
私がたくさんの命を奪っている。殺している。そうサザナミアヤセは最期に言っていた。彼女の言う通り、私もこれから多くの命を手にかけることになる。そんな私自身は、フォルテンシアにとっての“悪”や“敵”では無いのだろうか。
「本当は私が、間違っていたんじゃないの……?」
そう言った私の視線の先には、新聞が置かれたサイドテーブルがある。新聞社もいくつかあって、先ほど挙げたものは一部。『またしても死滅神がいる恐怖の日々が始まる!』の文言と共に煌々と紅い瞳を輝かせる私の写真が載っていたりもするのだ。
枕に顔をうずめて“正しさ”について考える私をよそに、メイドさんによるマッサージは進んで行った。
「はい、背中側は終わりました。前もいたしましょうか?」
「……自分でできるから。布……えっと、タオル? を貸してくれるかしら」
言いながら私はまくり上げていた寝間着を下ろし、ベッドに腰掛ける。暗い気持ちのせいで思考は鈍り、どうしても動きが緩慢になってしまう。何が正しさで何が悪なの? 考えるほどに分からなくなる。
「かしこまりました。ですが、その前に」
ギシッとベッドがきしんだかと思うと、メイドさんが突然後ろから抱き締めて来た。
「……何を、しているの?」
私の左肩にその細いあごを乗せるメイドさんを、じっとりした目線で見る。
「いえ。なんとなく、お嬢様がこうして欲しいのではないかと思いまして♪」
「それは……」
あなたがただそうしたいだけでしょ。いつもはそう言うのに、今日はなぜか言えなかった。甘い香油の香りとメイドさんのお日様のような温かなにおいが私を包み込んでくれる。
暖色系の魔石灯が照らす室内。ポルタでも、ウルセウでも。不思議なことに、外から音が聞こえてくることは無い。その疑問で私が思い当たることといえば、窓に張ってあった透明の“膜”。きっとメイドさんがまた何かをしてくれているのね。
「やっぱりまだ、メイドさんには敵わないわ……」
いつだって彼女は私を支えて、守ってくれている。だから、今日はつい甘えたくなった。胸元に回された彼女の腕に同じく腕を重ねて、聞いてみる。
「私は、正しかったと思う?」
「それを死滅神の従者たる私に聞くあたり。相当参っておられるのですね♪」
耳元でいたずらっぽく笑っただろうメイドさん。茶化さないで、と非難を込めて左肩にある彼女の翡翠の瞳を睨む。……のだけど、すぐに私の視線は自分の膝小僧に向かう。
「私の〈即死〉のスキルは、苦しむ人たちを救う力だと思っていたの。けれど、どれだけ言い繕っても、命を奪う圧倒的に理不尽な力でしかないの……?」
メイドさんなら答えを教えてくれるんじゃないか。そんな、どこか縋るよう視線を彼女に向ける。私の視線に気づいたメイドさんは目を閉じて、ゆっくりと薄い桃色の唇を開いた。
「きっと答えなんてありません。誰かから見ればお嬢様の行動は与えられた役割をきちんとこなす“善”で。またその逆もあるでしょう」
そう言って膝立ちになり、顔の位置を私の頭上に移動させたメイドさん。表情が見えなくなったその状態で、メイドさんは続ける。
「たくさん悩めば良いのです。答えはきっとその人……レティの中にしかありません。常に命について考える。ご主人様の至上命題でもありました」
「……でも、もしもその答えが間違っていたら?」
いずれ強大な力を手にしているだろう私を誰が止められるのかしら。
メイドさんも、シュクルカさんも。死滅神である私には危害を加えることはしないでしょう。むしろ、暴走する私を守って、傷ついてしまうかもしれない。最悪、死んでしまうかも……。そんな未来を想像して、私の体が震え始める。私は、私の力が怖かった。
そうして震える私を、メイドさんは後ろからもう一度、抱きしめた。そして、
「大丈夫です」
そう言ってくれる。次に続いた言葉は、私が忘れていたこの世界の真理。
「レティ。あなたが死滅神として道を間違えた時は、この世界に生きる人々があなたを殺すでしょう」
それこそ、ご主人様がそうだったように。どこか悔しさをにじませながら、付け加えたメイドさん。
「だからお嬢様は、悩んで、悩んで。そうして答えを探し続ければいいのだと。ただの従者でしかない私は愚考するのでした♪」
「……そうかしら? いいえ。きっとそうよね」
命について考え続けること。それこそが私の役割なのだと、メイドさんは言いたいのでしょう。答えのようなものが見えて、少しだけど心が軽くなった気がする。やっぱり、話をするって大切なことね。
「ふぅ……。相談に乗ってくれてありがとう、メイドさん。――ところで、ボタンは自分で外せるからその手を止めなさい」
「あら、気付かれてしまいました」
いつの間にかスルスルと前のボタンに手を伸ばしていたメイドさん。悪さをする彼女の細くて滑らかな指を捕まえる。いつもはひんやりとした手が、今はなぜか熱を持っていた。
「残念です♪ てっきりこちらもご所望かと」
「そんなわけ無いじゃない! まったく……。油断も隙も無いわ」
時折メイドさんが見せる少し行き過ぎた行為。それがメイドさんなりの照れ隠しであることを私が理解するのは、もっとずっと先の話――。




