○side:M ポルタにて
皆さんこんにちは。いえ、こんばんはですね。メイドです♪
さて、私が驚かせてしまったせいでスカーレット――お嬢様が3階から落ちようとしています。もちろん私は出来るメイドですので、すぐに〈瞬歩〉を使って目視可能な100m以内の位置、つまりお嬢様が落ちようとしている路地に移動します。
「【フュール】」
風を引き起こす魔法を使って、頭から落ちようとしていたお嬢様の体の向きを変え、背中から落ちるようにします。風の力で優しく受け止めることもできますが、街中で使うと暴風がご迷惑になってしまいますからね♪
そのまま受け止めやすい体勢で落ちてくる彼女を受け止め、無事を確認します。最近はようやく少し肥えたとはいえ、痩せているお嬢様の体は軽いです。私の筋力をもってすれば彼女を1人2人受け止めることなど、造作もありません。
「可愛い寝顔……♪」
黒く長いまつげに、長く滑らかな黒髪。少しだけメリハリが乏しい小さく華奢な身体。新しい私のご主人様の体は、どことなく召喚者に似ています。それでも赤い瞳や病的に白い肌、何より、魔法生物がごくわずかに発する特有の魔力の波動が、スカーレットが害虫たちとは根本的に違うことを教えてくれます。
「少しだけ、お預けをし過ぎてしまいましたね。お嬢様?」
ここポルタは鍛冶、鍛造で有名な町でした。今日は9月でナールが最も明るく、丸く見える日。今日の深夜から旧区で名産である鋳造業が始まることになっています。
「夏場は暑さと熱さで多くの職人が倒れてしまった事態を憂いた王国が設けられたのが休職期間の始まりだったでしょうか?」
昼夜を問わずに行なわれる、短身族をはじめとした職人たちの鍛冶。夜、明かりと怒号、熱の中で行なわれる夜景は有名で、わざわざ王国ウルの王都ウルセウから観光客が来るほどなんですよ?
宿が安いのも、職人たちへの師事や出稼ぎに来ている方々のためなんです。ここが一部の方に“諍いの町”と表現されるのも、懸命に鍛冶を行ない、弟子に技術を伝えようとする職人たちの怒号を取ったものでした。通常ポルタはその名の通り、“職人の町”として有名です。
「できればこの光景を見るお嬢様の“初めて”も一緒に迎えたかったのですが……」
数日前から着々と旧区では準備が進んでいました。夜の照らし出しも、今日に始まったことではありません。ですがやはり、職人たち達が炉に火を入れて物作りを行なう様こそが、この町の本質。ですので“諍いの町”の正体を知られないように話を誘導したり、意識を逸らしたりしてきました。
加えて、万が一にも見られることが無いよう、お嬢様には夜に出歩くことも、景色を見ることも控えてもらっていたのですが……。それがどうやら真面目なお嬢様の好奇心を膨らませてしまったみたいです。
「見られてしまったものは仕方ありません。では、特等席へご案内しますね♪」
私の腕の中で寝息を立てるお嬢様から「んぅ……」という可愛いお返事も頂きました。〈瞬歩〉は自分自身とその持ち物……正確には装備しているものしか移動できません。なので、地を蹴って近くにあった建物の屋根に着地。両手はお嬢様のために使っているのでスカートがまくれあがって少しはしたないですが、仕方ありませんよね。
屋根も木製で、私が履いている革靴の引っ掛かりも十分。お嬢様を起こしてしまわないよう、また、屋根を崩してしまわないようなるべく慎重に屋根の上を移動しながら、旧区との境目まで移動します。そうして魔石灯に照らしだされた土製の建物全体が見下ろせる場所まで移動して、お嬢様が目を覚ますまでもうしばらく待ちましょう。
涼しい風が頬を撫でます。
「やはり、ご主人様が守って来た世界は美しい」
旧区を奔走する人々が作業を始めるその時を今か今かと待ち構えています。動物や魔物たちの被害を抑えるために、離れた川からわざわざ引いて来た冷たい水をたたえる水路。それが暑苦しい旧区にささやかな清涼感を添えてくれます。この美しい町並みを王国は保全しているわけですね。
ですが、詳しくない者が街路から見れば、貧民街だと誤解するのも仕方ありません。職人街独特のどこか排他的な雰囲気も、その勘違いを助長しているのでしょうね。
「その勘違いを利用してしまったこと、お詫び申し上げますね、お嬢様♪」
「んんん……。うぅ?」
おや、そろそろお嬢様がお目覚めのようです。寝ぼけまなこの紅の瞳が何とも愛らしい。これからも彼女の従者として、そばで見守り、蔭で支えなくてはなりません。寄付金に40,000nも色を付けたのも、なかなか頼ってくれないお嬢様へのささやかな気持ちです。
「おはようございます、お嬢様」
声をかけて寝起きが弱い主人を起こす。
「ぅんっ……、メイド、さん……?」
「はい、メイドです♪ ご覧ください、これが“諍いの町”ポルタ。その正体です」
少し不安定な屋根の上にお嬢様を立たせる。落ちないように腰を支える私の横で、
「わぁ……。すごく、すごくきれいね!」
お嬢様はその宝石のような紅い目を見開き、感嘆の息を漏らす。
「はい。この感動を共有したく、秘密にしておりました。申し訳ありません」
「ふふ、これをメイドさんが独り占めしていたなんて、ずるいわ」
数十年と大切に守られてきた町に目を輝かせる記憶喪失の死滅神、スカーレット。その無垢で無邪気な反応に、私は改めて思うわけです。
愛しの愛しのご主人様。時間はかかるかもしれませんが、必ず“あなた”を取り戻して見せます。
「申し訳ありません」
「いいの。こうして教えてくれたわけだしね? それに私もあなたとの約束を破ってしまったもの。その……ごめんなさい」
素直な主人の謝罪を笑って受け入れます。
ステータスも、思惑も、まだまだあなたには内緒です。だって、そうでしょう? 秘密が人を魅力的にする。そう教えて下さったのは、ご主人様だったでしょうか。それとも、召喚者様だったでしょうか。いずれにしても――。
「――待っていてくださいね」
「ごめんなさい、何か言ったかしら?」
「いいえ、秘密です♪」
「またあなたは……」
私をみて呆れるお嬢様。ですが、すぐに「あれは何?」「これで合ってる?」そう声を弾ませ聞いて来る。……レティ。あなたはなんて愚かで、可愛らしいのでしょう?
そうして朝が来るまで2人っきりで、本当の姿を見せた美しいポルタの眺めを堪能しました。ポトト? 知らないですね、そんな子♪




