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第11話  おしゃべりなエメラルド

Les quatre saisonsの片隅で会話が交わされます。


 その日、茉莉香は、人に会うごとに、


「何かあったの?」


 何度も心配そうに声をかけられた。


「えっ? 大丈夫よ」

 

 そのたびに笑顔を向ける。


「そう? それならいいけど……」


 相手の懸念は薄れないようだ。


「私って、すぐ顔に出るから……」


 自分の未熟さを痛感せずにはいられない。


 あったのだ。実際に。

 

 茉莉香は、夏休みに一週間の語学留学をしたいと両親に申し出たが、それは受け入れられなかった。留学先がロンドンやカナダならば、彼らも許したのだろう。

 が、問題はパリであったことだ。

 恋人のいる外国に娘を一人で行かせることなど、考えることさえできない両親である。また、茉莉香も反対を押し切って行けるような娘ではない。


 しかも、それがむしろ都合がよかったことに腹が立つ。

 夏樹が、夏の休暇をフランス西南部にある街で過ごすと言うのだ。彼のクラスメイトの実家がそこにあり、転がり込むという。

 

 中世の面影の残る街……。


 いかにも夏樹の好きそうな街だが、自分が夏休みに会いに行くことを予想しなかったのだろうかと、不満に思わずにはいられない。


 だが、学校が終わり、les() quatre(カトル) saisons(セゾン)に着く頃には、茉莉香の心も大分落ち着いてきた。

 

「やっぱりここは落ち着くわ」


 ほっと一息つく。


「ああ、よかった茉莉香ちゃん。店長がちょうど出かけたところだったんです。来てくれて助かりましたよ」


 到着早々、茉莉香は安堵の表情を浮かべた米三に迎え入れられた。


「新しいメニューの打ち合わせを、オーナーの家ですることになりました」


 先週入荷したばかりの春摘み(ファーストフラッシュ)を、水出しのアイスティーにして、来店客に試飲させるのだという。


「春摘みの水色は爽やかですからね。きっと、お客様に喜ばれるでしょう。茶葉のテイクアウトが増えますよ」


 米三がにこやかに言う。

 いつものゆったりと響く声だ。

 

「はい! 淡い金色が綺麗ですよね。でも、水出しってどうやって作るんですか?」


冷水筒(ピッチャー)に茶葉と水を入れて、一晩冷蔵庫において置くだけです。味もさっぱりとしているから、暑い夏にはぴったりですよ」


 家庭でも簡単に作れると、米三は言った。


「今から楽しみですね」


 新しいメニューのことを考えるのは楽しい。

 由里のアイディアには、いつもワクワクさせられる。


「じゃあ、茉莉香ちゃん。私がフロアに出ているから、厨房をお願いしていいですか?」


「はい。わかりました」


 『今日のサンドイッチ』に使う食材は、毎朝由里から届けられる。

 それ以外、お茶を淹れたり、簡単な食事を作ることならば、亘以外でもできるように工夫がされているのだ。

 茉莉香も少しの間ならと、厨房を任せられることがある。


「あ、茉莉香ちゃん。―― あの、“あぐだれ” が来ているから気を付けて」


 温厚な米三の目がきらりと光る。

 彼は義孝には容赦がない。

 茉莉香はあの日の騒動を思い起こし、ヒヤリとした。

 彼なりに義孝を思って、厳しく接しているのかもしれない。

 だが、やり過ぎてしまうのは困る。




 話題の義孝は、厨房で手持ちの弁当を食べている。

 “弁当は厨房で食べること”

 これが、義孝を預かるただ一つの条件だった。


「義孝君のお弁当って、いつも美味しそうね」


 茉莉香が弁当をのぞき込みながら言う。


 義孝の弁当は、キャラ弁でこそないが、たまご焼き、ピーマンの肉詰め、切り干し大根、タッパーを別にして、サラダとフルーツが詰められている。

 栄養のバランスが配慮され、美味しそうだ。


「うん。パパが作ってくれるんだ」


「パパはお料理上手なのね」


「うん。なんでもすごく美味しいんだ」


 義孝は誇らしげだ。


「ママよりもずっと上手だから、食事を作るのはパパの役目なんだ」


「ステキなパパね」


「うん。パパは残業がなくて、定時ぴったりに帰って来るし、時間休もとれるから、食事以外のこともほとんど家事はパパがやっているかな」


 茉莉香は自分の父親のことを思い浮かべた。仕事が忙しく、家を空けることが多い。休日にどこかへ連れて行ってもらった記憶もあまりない。


「公務員ってみんなそうなの?」


 由里から義孝の父親が公務員であることを聞いている。


「まさか……人によるよ……パパはね……あまり……」


 義孝の口調が曖昧になり、顔には憐みの表情が浮ぶ。


 だが、それは一瞬の事だった。


(ウチ)はね、ママの方が忙しいし、給料がいいんだ。だから、役割分担しているんだよ」


 すぐに、いつものはきはきとした口調に戻る。


「義孝君もパパみたいに家族を大切にしたい?」


「うーん。僕は嫌だな。仕事を思いっきりやりたい。外国に行くかもしれない」


「結婚したらどうするの?」


「ついてきてもらう。家族とは一緒に暮らしたいんだ」


 茉莉香はその毅然(きぜん)とした態度に驚く。

 義孝がこの年齢で、このような考えをすでに持っているとは、思いもよらなかったからだ。


 フロアには客がいる。

 二人は声をひそめ、顔を近づけながら話しを続けた。


「そのとき奥さんはどうするの? あなたはやりたい仕事をできるからいいけれど、奥さんは知らない国でお友だちもいないのよ」


「僕だって、なるべくそばにいるよ。それに、パパから家事を習っているから手伝うよ」


「でも、仕事が忙しい時は放って置くんでしょ? ねえ。どうするつもりなの? ねえ!」


 茉莉香はいつの間にか、問い詰めるような口調になっていた。

 義孝は下を向いて、考え込んでいる。

 予想外の質問の答えを探しているようだ。


「あ、あのね……義孝君。そんなに考えなくても……私、ムキになり過ぎたわ……」


 茉莉香がすまなさそうに言う。

 自分の態度は子どもの義孝に対して、あまりにも大人げない。

  


 だが、義孝は再び顔をあげると、いたずらっぽい表情を浮かべた。


「茉莉香。いつも着けてるネックレス。彼に貰ったの?」


「えっ?」


 茉莉香が思わず胸元に手を置く。夏樹から去年のクリスマスに贈られた、エメラルドのネックレスだ。いつも身に着けているが、仕事の時は食器を傷つけないように外している。


「その人、趣味いいね。茉莉香に似合っている」


 突然変わった話題に戸惑う茉莉香に、義孝は質問を続ける。


「ねぇ、茉莉香ってモテるの?」


 モテるとはどういうことだろうか? 茉莉香にはピンとこない。

 もし、パーティなどで多くの男性に囲まれて、賛辞を捧げられるということならば違うと思う。


「そうねぇ。モテない方かしら……」


 茉莉香が言うと、


「やっぱりなぁ。茉莉香って面倒くさいもの」


 義孝が面白がって言う。


「まぁ!」


 不躾(ぶしつけ)な言葉に、茉莉香は不機嫌な気持ちを隠すことができない。


「でも、飽きないよ」


 茉莉香の反応を気に掛けることも無く、義孝は言葉を続けた。


「まぁ!」


 飽きないとはどういうことだろうか。あまりいい気持ちはしない。


「いつも怒ったり、笑ったり、すぐに真に受けて」


「まぁ!」


 やはり褒めているのではないようだ。


「でも、明るくてやさしい」


「……」


 悪い事ばかりではないようで、茉莉香は気を取り直す。


「真面目で責任感が強い」


 義孝の言葉に、茉莉香は少し気分が良くなってきた。今日は、いろいろと嫌なことがあり過ぎた。


「それから?」

 

 催促をするように、そっと問いかける。


「一緒にいると楽しいし、気持ちが休まる」


「それから?」


 茉莉香は義孝の答えを待った。





「そばにいて欲しい」






 一瞬、義孝と目が合う。

 

 茉莉香はこの眼差しに見覚えがあった。

 鮮やかな残像が、物凄い勢いで頭の中を駆け抜けていく。



 

 


「茉莉香。今、誰かのこと考えていた?」


 義孝が笑いながら言う。


「まぁ、大人をからかって!」

 

 茉莉香は思わず顔を赤らめる。

 だがすぐに、自分が大きな声を出したことに気づいた。


「茉莉香ちゃん! どうかした? また、この坊主か!」


 米三が険しい顔をして厨房に入って来て、義孝を叱りつけようとする。


「よ、米三さん。ごめんなさい。ゲームに負けちゃって……」

 

 茉莉香が義孝をかばいながら、ごまかすように笑った。

 さすがの義孝も米三が恐ろしいのか、顔が青ざめている。


「あんまり、大人をからかうんじゃないぞ!」


 米三は義孝を睨みつけると、また、フロアへ戻って行った。


「ちぇー。ちょっと楽しんでいただけなのに」


 米三がいなくなった途端に、義孝が()ねて言う。


「あ、こんな時間。もう塾に行かなきゃ」

 

 時計は三時を指している。

 義孝は慌てて支度をすると、あっという間に店を飛び出していく。


 茉莉香は厨房を出ると、ガラス張りの扉まで走って行った。


「義孝君。行ってらっしゃい。気を付けて」


 小さく手を振って義孝を見送る。


「いってきます!」


 緑地帯でふり返った義孝が、大きく腕を振ってそれにこたえた。


挿絵(By みてみん)

 


エメラルドに込められた言葉は、


幸運、幸福、希望、安定 です。


ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] あぁ、義孝くんは頭がいいだけではなく、感受性の強い子でしたか……。 成る程、茉莉香がいい影響を与えるといいですね。
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