九話 二人きりで
それからというもの、故郷は何処だとか。
好きな食べ物だとか、得意な『魔道』についてだとか。質問攻めをするシンシアとすっかり話し込んでしまい、気づいた時には既にお風呂場に入ってから一時間以上も経過してしまっていて。
「それで中々風呂から出てこなかった、と」
茹で蛸のように顔が真っ赤っかとなってしまっていた私は、熱を冷ます為にと案内されたバルコニーにて、風にあたりながらエヴァンのその言葉に苦笑いを浮かべていた。
「……別に、シンシアの我儘に付き合う必要なんて無かったろ。機を見て切り上げればいいものを」
「ううん。私が好きでお喋りしてただけだから。だから、付き合ったというより、付き合って貰ったというか?」
「……まあ、ヒイナがいいなら別に良いんだけどさ」
服はびしょ濡れになった普段着と、あと数着ほど持って来てたんだけど、馬車に置きっぱなしにしちゃってたから一時的にシンシアからお揃いのワンピースを貸して貰う事になっていた。
ついでに、今度シンシアと一緒に服を買う約束もしたって付け加えると、「そうか」なんて生返事が返ってくる。
ものすっごく、どうでも良さそうな返事を前に、つまんなーって口を尖らせてやろうか。
なんて思ったけど、すんでのところでそれはやめておく事にした。
でも、その代わりに、
「大変だったでしょ」
私はエヴァンに向けて脈絡のない労いの言葉を投げ掛ける。
案の定、彼は何の事だよと言わんばかりに驚いていた。
「私の事」
王宮魔道師としてなまじ働いてしまったが為に、現状の異常性というものは誰よりも理解しているつもりだった。
私という存在を知った上で、友好的に接してくれる人があまりに多かったから。
初めこそ、十年以上も待たせやがって。
なんて思ってたけど、エヴァンの身分が王子であるならば、話は別だった。
貴族と呼ばれる者達にこぞって出自だけで嫌われていた私という存在を臣下として迎え入れる。
そこにはとんでもない労力があって。
そのせいで十年近く時間を掛ける必要が生まれたんじゃないのかって思うと、なんか、申し訳なさすら湧き上がってしまっていた。
「そんな事か」
割と真剣に考えた上での発言であったというのに、何故か鼻で笑われる。
「気にするなよ。おれが、好きでやった事だ。それに、約束だったろ」
私は、臣下になる。
エヴァンは、迎えにくる。
それが、私達が交わした約束だった。
「まあね」
ずっと昔も、エヴァンはただの口約束一つで色んな無茶やらかしてたよなあって懐古しながら私は顔を綻ばせる。
「ただ、流石に十年以上も前だから、『もしかすると』なんて実は思ったりもしてたけど」
「……れ、連絡の一つでもすれば良かったって後悔はしてる」
今だから言える本音をこぼすと、配慮が足りなかった。なんて言葉が返ってくる。
「でも、エヴァンも約束覚えてくれてて良かった」
破る人だとは思ってなかったけど、それでも経過した時間が時間であるから私も不安になっていたのもまた事実だった。
「……おれも、ヒイナが覚えてくれてて良かったよ。周りからはぜってー覚えてねえ。忘れられてるとか散々言われてたからさ。特に、シンシア」
お風呂場でそれなりに打ち解けていたお陰で、シンシアならやりそう。
なんて感想が真っ先に出てきてつい、軽く破顔してしまう。
「まぁ、一緒に過ごした時間も短かったしね」
物足りないどころの騒ぎじゃないくらい、うんと短かった。
そして、当時は真面に理解すらしてなかった臣下になってくれ。という約束一つ。
よくもまあ、覚えてたよねって感想を自分の事ながら抱いてしまう。
「だから、割と驚かれた」
「驚かれたって、シンシアに?」
「うん。よく約束のことを覚えてたねって。あと、色恋の約束でもあったのかと思ってた、とも」
「おれとヒイナが?」
「エヴァンが縁談を断り続けてるから、てっきりそうなのかとばかり思ってたって」
「……あいつ、お喋りにも程があるだろ」
エヴァンの事についてはシンシアが面白半分にぺらぺらといっぱい教えてくれていた。
それもあって一時間以上もお風呂場で過ごす事になったんだけど、私の知らないエヴァンの話も聞けて中々に面白かった。
「それで、なんだけど。エヴァンってさ、何で縁談を断ってるの?」
「堅苦しいから」
即答だった。
「わざわざあえて、窮屈な思いをする理由なんて何処にもないだろ? おれは楽に生きたいんだよ」
だから縁談なんてものはおれに必要ないって断じてしまうエヴァンは、何処までもエヴァンらしくて。
————もし可能であれば、あの偏屈な兄を説得してきてくれないかしら。……その、父が嘆いてるのよ。
この様子だと、シンシアからの頼み事は果たせそうにもないなあって苦笑いを浮かべながら私は胸中で彼女に向けて「ごめんね」と言っておく。
「窮屈な思いをする羽目になる前提なんだ」
「ヒイナみたいなやつなら考えてもいいがな。貴族は論外だ、論外。縁談を受けたが最後。どうなるかなんて目に見えてる」
疲労感を滲ませながらそう答えるエヴァンは、何か過去に嫌な思い出でもあったのか。
頑として譲らない。
という気持ちが前面に押し出ていた。
説得は……うん。無理だ。
「……私みたいなやつって、つまり平民が良いってこと?」
「違う。ヒイナみたいに、一緒にいると気が休まるような相手が良いって事」
「あー」
別に変えろと言われなかったから、態度も口調もエヴァンに対しては昔のまま。
仮にも王子である人間に対して、こんな態度で本当に良いのかって感じの対応をしてしまってる。
果てには『魔道』の比べ合い。
これでは主従というより、ただの友達だ。
でも、エヴァンはこの関係が良いのだと言う。
そりゃ、そんな相手は縁談で見つかる筈もないよねって納得してしまう。
「この様子じゃ、エヴァンは生涯独身決定だね」
「違いない」
「きっとお父さん泣いてるよ?」
「好きなだけ泣かせとけ、泣かせとけ」
悪人もびっくりな親不孝ぶりを発揮しながら、エヴァンは事もなげに笑っていた。
「おれは現状が一番幸せなんだよ。ヒイナとも再会出来たし、これ以上はない。余計な世話は焼かないで貰いたいもんだ」
シンシアには後で余計な事を吹き込むなってキツく言っておかねーと。
そう締めくくられた。
「そういえば、ヒイナが風呂から出てくるの遅いからもう先生と二人で話はまとめておいたぞ」
「話って、言ってた討伐の?」
「ああ。出来る限り早くが良いらしく、出発は明朝。で、おれとヒイナの二人で向かう事になった」
二人、というと、先生は付いてこないのだろうか。と、思った矢先に、
「先生は他にやる事があってさ。おれと二人は嫌だったか?」
「ううん。全然」
抱いた疑問に対する的確な言葉が飛んできた。
『魔道』に関してであれば、寧ろ二人の方がやり易くもあったので首を振ってその問いを否定する。
「じゃ、決まりだな」





