三十六話 レヴィの置き土産
「私もちょっとは、成長したでしょ?」
凄いでしょ、と言うように私はふにゃりと笑う。
眼前には、先の一撃により額の赤い鉱石のようなものが破壊され、急に平衡感覚を崩して頽れてゆく〝暴食〟の姿。
昔はエヴァンと私の間に明確な実力の差があったけれど、今じゃほら。
殆どエヴァンと遜色ない動きが私も出来てる。
どうだ、どうだと得意げな顔を浮かべたところで、まるで待ってましたと言わんばかりにどっ、と疲労感が押し寄せる。
対してエヴァンはといえば、涼しい顔で、やって来る衝撃に備えようとしていた。
……一見、実力伯仲のようにも思えたけど、まだまだ私達の差は埋まりきってないらしい。
だから少しだけ、先の言葉を撤回したい衝動に襲われて。
「言われずとも、知ってる」
なのに、さも当たり前のように。
「ヒイナが凄いって事は、昔からおれが一番よく知ってる」
全幅の信頼を色濃く表情に滲ませながら、そう言うものだから、撤回をしようと考えていた思考が一瞬のうちにして霧散する。
そして何となく、今は卑屈になるべきじゃないような気がして、自然と浮かんだ笑みを隠す事なく今だけは胸を張っておく事にした。
「……ただ、後先考えずに魔力を使い切る癖はまだ残ってるらしいな」
一転。
意地の悪い笑みを浮かべながら、ただでさえ不安定な足場の中。疲労感のせいでふらふらと危なっかしい動きをしていた私の手首をエヴァンが掴み、支えてくれる。
「エヴァンと先生がいるんだし、そのくらいは見逃してよ」
この現状に巻き込んでしまった私が言うべきセリフではないけれど、エヴァンと先生がいるのであれば、後先考えずに魔力を使い切っても問題ない。
そう思えるだけの信頼があったが故の行為なのだと。つまりこれは信頼の裏返し。
そんな卑怯じみた言い訳をすると、今回はまあ良いかと意外と呆気なく許された。
それから程なく、ずしんと大きな音を立てて地面に倒れ伏せる〝暴食〟からエヴァンに支えられながらも軽く飛び降りる。
「死んだ、わけではないようですね」
「はい。カルア平原の魔物はそこらへんの魔物よりずっと生命力が高いですから」
心臓と例えた額の鉱石を割られて尚、怒りに満ち満ちた呻き声をあげる〝暴食〟は今か今かと反撃の機会を窺い、炯々とした瞳を此方に向けていたが、私は既に〝暴食〟からは視線を外していた。
「なので、さっさと逃げちゃいましょうか」
「……トドメは刺さないのかい?」
カルア平原に勤めていた際に培った常識を手に、当たり前のように逃げると口にする私に、ゆっくりと歩み寄ってくるレヴェスタさんが疑問の声をあげる。
「はい。何せここは、〝ど〟が付くほどの弱肉強食の場所ですから」
「……それはどういう?」
「散々血の臭いを漂わせて、音を立てて暴れてたのに、他の魔物が一体も寄ってこなかった理由って何だと思います?」
そう問い掛けると、レヴェスタさんの視線が倒れ伏す〝暴食〟に向いた。
答えは簡単だ。
〝暴食〟が弱肉強食のカルア平原の中でも上位に位置する化け物であったから。
だから、他の魔物は巻き添えにならないように近づいて来なかったのだ。
「音が止めば、漁夫の利を得ようと血の臭いに誘われてそれなりの量の魔物がやって来る筈です」
私の経験則から、それは間違いなく。
「だから、あえてトドメを刺さず、その魔物達の相手を〝暴食〟に任せて私達はとっとと逃げちゃった方が効率的なんですよね」
この状況ならば、私達を追い掛けるという思考を抱く事なく、瀕死の〝暴食〟を始末しようといった考えに至るだろう。
そして、〝暴食〟は生きる為に瀕死ながらも抵抗をする。
だから、瀕死のままここをさっさと立ち去る事が最善であると伝えると納得してくれたのか。
ぶん、と剣に付着した血を払うように血振りの動作をひとつ。
腰に下げていた鞘に剣を収めながらレヴェスタさんは緊迫していた己の集中力をほぐすように息をふぅ、と吐き出していた。
「そういう事であれば、私から異論はありませんねえ」
視線を巡らせる。
エヴァンも、先生も、私の意見に賛同してくれるらしい。
「なら、王子様達が追われる心配もなくなったし、人も助けたし————」
帰りますか。
そう言おうとして、〝テレポート〟を扱える先生の顔を見ようとして。
「————ただ一つ、お伺いしても?」
そう前口上のようなものを述べ、私達にレヴェスタさんが言葉を投げ掛けてくる。
疑問符の浮かんだ懐疑であると言わんばかりの様子だった。
「なんですか?」
「私の記憶が正しければ、殿下に追い出された宮廷魔道師は貴女であった筈だ」
曲がりなりにも、リグルッドの宮廷魔導師として城にも何度か私は出入りしていた。
王子に近しい騎士の立場であれば、面識は何度かあった事だろう。
……当の私はといえば、見るたび嫌そうな顔をされるから出来る限り顔を合わせないように徹底していたせいで王子の近くの人間が誰であるかなんて全く知らないんだけれども。
ただ、あえてここでその話題を出すという事は、もうリグルッドの人間でもない私がどうしてここに居るのかと咎めるものなのかと少しだけ想像をして、眉根を寄せて警戒をしてしまう。
「殿下の事を……恨んではいないんですか」
けれど、やって来た言葉は予想とはかけ離れたものだった。
そこには、申し訳ないといった感情がふんだんに詰め込まれていて。
それもあって、ここで全く気にしていないと嘘を吐くのは少しだけ気が引けた。
「……好きでない事は確かですね」
出来る限りオブラートに包んだ上で、差し障りない言葉を選ぶ。
「考え方も……きっと、私とは合わない人だと思います」
ルイスさんと共にいた時の事を思い返しながら、口にする。
結局、私の想いはこれっぽっちも伝わらなかったし、我儘だらけのくそ餓鬼とも心の中では思ってすらいた。
「けど、だからといって恩人の頼みを無下にするほど私も人でなしじゃありません」
面子も、何もかもを投げ捨てて、ルイスさんが私の下にまでやって来て頼むと頭を下げてきた。
こうして助けようとする理由は、それだけあれば十分過ぎる。
たとえ、助ける対象が因縁のある相手であっても、それは変わらない。
「……そうだ。もし、この件で貴方が私に恩を抱いてるなら一つ、頼み事を聞いてはいただけませんか」
ふと、思いつく。
話す口調からして、レヴェスタさんが私達に対してどこか気が引けているという事は明らか。
だからこそ、そう言ってみることにした。
「頼み事、ですか」
何なら、ここで〝暴食〟から助けた事に対する恩返しのようなものでも構わない。そんな様子を醸し出しながら、
「ルイスさんの事です」
「ルイス、というと、ルイス・ミラー公爵閣下ですか」
「はい。そのルイスさんです」
あの時は本当に、王子様に向かって衝動任せに言いたい放題言っちゃっていた。
こうして時間を置いて冷静になってみると、それって私だけの問題ではなく、私を連れてきたルイスさんにまで飛び火するのでは……?
という懸念が今更ながらに湧き上がってしまっていた。
「私がその、ルハア殿下に言いたい放題言ってしまったので、そのフォローをお願い出来たらなと……。多分、ルイスさんにも迷惑がかかってそうなので……」
「おれが聞いていた限り、ヒイナは間違った事を言ってないと思うがな?」
視線を逸らしながら頼み事をする私を視界に入れながら、側にいたエヴァンが面白おかしそうにそう言った。
一応、私を肯定してくれてはいるけれど、心なしか、そうやって心配をするくらいなら黙ってりゃ良かったのに。
そんな言葉が幻聴される。
というか、心の中では絶対に言っている。
「……ん。ちなみに、何を言ったのかをお聞きしても?」
「……助けてくれた人に対して、お礼の一つも言わずに逆ギレをしてたので、その、お礼くらい言ったらどうなんだ、と」
実際はちゃんと丁寧な言葉遣いをしてはいたけれど、内容を簡潔に纏めると本当にこんな感じ。
すると何故か。
ぽかん、とレヴェスタさんが瞠目。
次いで、ぱちぱちと不自然に目を瞬かせたかと思えば肩を揺らし、くつくつと笑い始める。
「あぁ、すみません。別に、貴女を馬鹿にしてるから笑ってるわけではないんですよ」
愚かな事をしたな。
そんな意味合いで笑われているとはそもそも、露程も思っていなかった。
「でも、嗚呼そうか。道理で。成る程。あのベラルタ・ヴィクトリアが貴女を好いていたわけだ。あそこを通したわけだ」
「……?」
独白のような、言葉の羅列。
何故ここでベラルタさんが出て来るのだろうかと疑問に思いつつも、私は言葉を待つ。
「いや、カルア平原に来た際に彼女と顔を合わせたんですが、かなり怒られましてね。ヒイナが出て行きたいと志願したならまだしも、自分勝手にあの子を追い出した連中と言葉を交わす気はない、と」
そこまで長い付き合いではなかったものの、純粋に私の事を考えてくれていたベラルタさんのその言葉は素直に嬉しかった。
ただ、レヴェスタさんはベラルタさんに私が好かれていたと言うけれど、そこに至る理由が抜け落ちていてやはり疑問符。
「ですが、そうですねえ。そのくらいの頼みであれば喜んでお受けさせていただきますとも」
そして、次にエヴァンや、先生の下へとレヴェスタさんの視線が向かい、
「おれ達への恩返しなら、気にしなくていい。だが、それで気が収まらないのなら、いざという時、ヒイナの力になってやってくれ」
……またそれか。
なんて私が思っている側で、レヴェスタさんも困り顔を浮かべていた。
そりゃそうだと思う。
結果的に私が巻き込んでしまったとはいえ、エヴァンは他国の人間でありながら、王子殿下とその護衛の騎士を救っている。
なのに、報酬はいらないと言っているようなもの。
人によっては裏があると邪推しても仕方がないレベルである。
ただ、その事はエヴァン自身も自覚があったのだろう。
「……それにな」
小さな溜息を挟んでから、煩わしそうに言葉を続ける。
「今はヒイナをおれの臣下として迎え入れたんだが、リグルッドから追い出された途端に登用した手前、何か良からぬ事を考える輩もいるかもしれない」
たとえばそれは、引き抜いたとか。
……堂々と追放されたのだから、そう考える余地は殆どゼロだろうけれど、あえてほぼゼロに近い懸念を憂慮しているかのように並べ立てる。
「というわけだ。……だから、そういう事にしておいてくれ」
「……成る程。でしたら、先のお言葉に従わせていただきましょう」
裏がない事の証明。
それを終えて、あからさまに政治面倒臭えと言わんばかりの疲れた顔を浮かべるエヴァンと私、それと何も口出ししない先生を何を思ってか、レヴェスタさんは見比べる。
「……欲のない方々ですねえ」
この件を使って色々と恩を着せればいいだろうに。そんな声が聞こえたような気がしたけど、多分気のせいではない。
「おれにだって欲はあるさ。ただ、その欲が既に叶ってしまった。だから、望むもんがなくなった。それだけだ」
同時、私もふと、自分の欲というか。
欲しいものとかってあったっけと黙考する。
けれど、俗物的なものどころか、全く何も笑えるほど浮かんで来なくて。
でも最後に一瞬だけ、昔の記憶が思い浮かんだ。先生に時折、怒られながらも、エヴァンも馬鹿みたいに笑い合ってたあの頃の記憶。
きっと、私の欲はそれなのだろう。
だったら、私の欲も既に叶っちゃってるなあ。
なんて、思ってしまって。
「ヒイナがいるならおれはそれでいい。それで既にこれ以上なく満足してる」
またしても思考がエヴァンと合致してしまっていたものの、もう驚きはしなかった。
「あぁ、そうだ。一ついい忘れてた事があった」
さて。
そろそろ話も切り上げて戻りますか。
そう思った時、レヴィから言われていた事をすっかり忘れていたと不穏な言葉をエヴァンが紡ぐ。
レヴィさんと言えば、エヴァンにムカつくバカ王子に文句をぶちまけてやれとか言っていたやべー人である。
だから、猛烈に嫌な予感に見舞われた。
「恐らく、おれはもうあの王子と会う事はないだろうから、貴方があいつにおれが言っていたと伝えてくれ」
そして、にんまりと笑いながら、一言。
「今回のような事になりたくなかったら、そのバカみたいな子供じみた性格を直しておけ。とな」
特大の爆弾をエヴァンが残し、私達はカルア平原を後にする事となった。
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