三十五話 メイルストローム
* * * *
「————レヴェスタ・アルクラード。噂にこそ聞いていたが、これ程の騎士だったか」
全身血塗れ。
地に足をついて立っている事が不思議でならない程の重体を晒しながら、魔物————人面の化け物と対峙して剣を構える騎士を前に、エヴァンがそう口にする。
そこには、惜しみなく賛辞する感嘆の色が滲んでいた。
「こりゃあ、びっくりだ。あのベラルタ・ヴィクトリアが人を入れたのか。上層部の貴族を恨んでる彼女らしくもない。明日は嵐にでも見舞われるのかね」
背を向けたまま、エヴァンにレヴェスタと呼ばれた騎士は戯けたように口にする。
目の前の人面の化け物から一瞬とて視線を逸らさないその姿勢は、身体中に刻み込まれた痛みからくる経験則か。
よりにもよって、ベラルタさんから一番出会っちゃいけないと言われていた魔物————〝暴食〟との予期せぬ邂逅に下唇を一度噛んでから、私は声を出す。
「下がってください」
その重傷では立っているのがやっとだろう。
そう思っての気遣いだったのに。
「……殿下は、無事ですかね?」
全く関係のない返事をされる。
構えは解かず、そのままで。
「……ええ」
「なら良かった」
背を向けられてるから、私達に彼の顔は見えていない。
でも、その声音から、安堵の表情を浮かべているんだろうなって事はすぐに分かった。
「そんじゃ、これ以上時間稼ぎはいらないみたいだし、最後にもうひと頑張りしますかねえ」
そして、さも当たり前のように、己を鼓舞させるような言葉を一つ。
「見たとこ、魔道師が三人って、とこか。なら、一人くらい前衛がいるだろう? あの化け物相手なら、どうしても」
一度として振り返ってもいないのに、私達が魔道師であると言い当てられる。
そして言外に、心配は無用だとも。
「……分かり、ました」
怪我人に無茶をさせるべきではない。
そう思うけれど、彼は目の前の〝暴食〟相手に、不利な近接系の武器一つで時間稼ぎをしていた人間だ。
そんな人間が、問題ないと言わんばかりに事を進めようとしている。
何より、時間を掛けていられる場合ではない。
横目でエヴァンに視線を向けると、エヴァンも私と同じ意見だったのか。
反論や、制止する気配は微塵も感じられない。
「そうこなくっちゃな」
声が弾む。
そして転瞬、ぐ、とバネのようにレヴェスタの右脚が曲がる。肉薄の為の予備動作。
しかしそれを予見してか。
眼前に存在感をこれでもかとばかりに主張していた〝暴食〟の巨体が獣の如き敏捷さで跳ね————次いで、鋭利な爪による脚撃がレヴェスタさんのいた場所へと的確に繰り出される。
一瞬にして陥没する地面。
飛び散る土塊。石の欠片。
ただの脚撃ですら、まともに食らえば恐らく一撃であの世行き。
そんな予感を抱きながら、ベラルタさんの助言に従い、目の前の人面の化け物をどうにかして相手にしないで済む選択肢はないかと模索。
しかし、巨体に見合わぬ敏捷性をまざまざとこうして見せつけられている手前、それは少しどころではなく難しいと判断。
前衛役と言っていた通り、真っ先に前へと突っ込んでいったレヴェスタさんの姿を目視しながら、私は名を呼ぶ。
「……エヴァン。時間がないからよく聞いて」
ベラルタさんからは、〝暴食〟には気をつけろとしかあの時助言は貰っていない。
私だって、出来ることならば戦わずに済む選択肢を選びたかった。でも、それはどうにも出来そうにない。だから、カルア平原で勤しんでいた頃に聞いていた内容を思い出しながら、慌ててエヴァン達と情報の共有を始める。
「〝暴食〟は、ああして今は大きな図体を使ってがむしゃらに暴れてるけど、実は魔法も使える魔物なんだ。ただ、その魔法ってのは、ある場所を破壊しさえすれば使えなくなるらしいの」
なんでも食べる悪食。
故に〝暴食〟。
全てを食するせいで、食べた魔物の能力すらも取り込んでしまえる正真正銘の化け物。
ただ、そんな化け物でさえも一点だけ、弱点というものが存在していた。
「しかも、その場所は人で言う心臓の役割も果たしてる」
そう言いながら、私は己の額に手を当てた。
人面の化け物の額には、宝石のような赤い縦長の鉱石が埋まっている。
それを壊せばいいのだと私が伝えるけれど、すかさず言葉が割り込んでくる。
「……あの敏捷さの中で、ピンポイントにあそこを狙うとなると」
「だから、ここにいる全員の協力が不可欠です」
〝暴食〟の全長は、私達が見上げても頭のてっぺんまで見えない程に大きい。
加えてあの素早さだ。
現実的に、額にある赤いアレを壊すならばそれなりに距離を詰めなければ難しいだろう。
何より、〝暴食〟は賢い魔物だ。
出来る限り、狙いがそこにあると悟られたくはない。だから、一撃で確実に仕留める必要があった。
「レヴェスタさんと同様、私とエヴァンも時間稼ぎに徹します。なので、先生には〝テレポート〟の準備を整えて貰いたいんです」
「……成る程、あのでかい図体におれらを〝テレポート〟させるのか」
〝テレポート〟を使う為には陣を繋ぐ必要がある。AからBといった具合に。
それを気付かれないように〝暴食〟に繋いでくれと私が言うと、一瞬、困ったような表情を先生は見せたものの、分かりましたと頷いてくれる。
「確かに、現実味がある手段としてはこれしかありませんか」
真正面から叩きのめせるならば、こんな事をする必要はないんだろうけれど、倒せるという確証がないならば、効率の良い方を試すのが常道。
それに、本人は心配する必要はないと言わんばかりに振る舞ってはいたけれど、レヴェスタさんの状態を思い返す限り、長期戦は出来るだけ避けたい。
故に。
「それじゃ、早いところ終わらせてみんなで帰りますかっ!」
そろそろ、落ち着いた場所で休みたいし。
そんな願望を見え隠れさせながら、私はふぅ、と息を吐きながら手のひらを開き、唱える。
出来る限り、レヴェスタさんの負担を減らせるように。それでもって、此方の目的を悟られないように、出来るだけ大きく、目を惹くように、派手な魔道の展開を————。
「「————〝第六位階水魔道〟————!!!」」
まるで打ち合わせでもしていたかのように、言葉が合わさる。
宙に浮かぶ天色の特大魔法陣は、一番信の置ける魔道の発動兆候。
「気が合うねえ!!」
「派手といやあ、これしかないだろ!?」
相手の気を第一に逸らす必要がある。
それを悟り、言葉を省略して同じ魔道が二つ展開された現実を前に、側から堪えるような笑い声が聞こえてくる。
それは、先生のものだった。
でも、そこに反応する間も惜しんで、二つ、三つと魔法陣を次、次、次と展開させてゆく。
さながらそれは、以前、お風呂を借りる羽目にまでなった力比べの続き。
初めて会ったあの日からもう十年以上も経ってるはずなのに、私とエヴァンの時計はあの時からちっとも変わっていなかったかのような錯覚にすらつい、陥ってしまって。
こんな状況下にもかかわらず、口角が若干つり上がり、笑みが漏れる。
「張り切り過ぎるのもいいが、倒れるなよ」
「そっちこそ」
恐ろしい魔物だ。
〝暴食〟は、ベラルタさんから聞いていた通り、得体の知れない化け物である。
でも何故か、恐ろしくは思えど、絶望感には一向に見舞われなくて。
少し前に竜を見たから感覚が狂ってるのかもしれない。そんな感想を抱きながら、また一つ、キィン、と金属音を響かせて宙に魔法陣を描く。
そして描いた陣からいでるは、渦潮を想起させる勢いのある凄絶な水撃。
乱雑に展開しているように見えてその実、間隙を縫うようにお互いにお互いがカバーをしていた。アイコンタクトも、言葉も要らず、ただあいつならここに展開するだろうから。
そんな予感と、己の勘に従った結果、こうして最善の結果が転がり込んできていた。
だからこそ、破顔せずにはいられない。
こんな状況下であっても、この堪らなく息の合う感触が、どうしようもなく昔を思い出させてくれる。
「そりゃ、決着つかねえわな」
————なにせ、お互いがお互いの思考を知り過ぎてるんだ。力比べをしようにも容易に決着がつかない事は最早明らかであった。
雪山の時から、その兆候はあった。
でも、こうして二人して一緒に時間を稼ぐともなるとその兆候は顕著に浮き彫りとなる。
結果、堪らず笑みがもれた。
「うん。確かに」
短い付き合いであった。
でも、その短い中でもよく分かるほどに、気が合って。仲良くなって。いつかの約束をして。
ほんと、似てるところが多いんだよなあ。
そんな事を思っているうちに、既に周囲には水気が感じられない場所はどこにも無いと言える程、満ち満ちていて。
時間稼ぎを始めてから、数分ほど経過したあたりで、側から声がかかる。
「————いきますよ」
それは、先生の声。
〝テレポート〟の準備が整った、という事なのだろう。
そして、私とエヴァンの目の前に、王城でも目にした転移陣が浮かび上がる。
これに乗れ。という事なのだろう。
そう判断をして、私とエヴァンは同時に一歩、前へと足を踏み出し————一瞬、目の前の景色が歪んだと思った直後、景色が丸切り別物へと入れ替わる。加えて、足場が不安定な事によるものなのか、真っ先に妙な浮遊感を感じる。
そして、一瞬遅れてそこが〝暴食〟の背中の上なのだと気付いて、慌てて頭部へと向かって私達は駆け出す。
不自然な感触に〝暴食〟が既に何かを感じ取っているかもしれないけれど、もう〝テレポート〟をした後。
あとは可能な限り距離を詰めて、確実に魔道を額に当ててしまえば、私達の勝ち。
「————ッ、あああああぁぁぁあああア!!!」
「わっ、とッ!?」
けれど、そんな私達の考えを悟ったのか。
〝暴食〟が急に奇声を上げたと思ったら、まるで振り落とすように身体を前後左右に激しく動かし始める。
だけど。
「……ほんっとに頭がいいみたいだけど、今更気付いても、もう遅いっ!!」
気付くのがあと数秒早かったならば、ちょっとまずかったかもしれないけど、現実は私達に軍配が上がった。
そして、身体強化系の「魔道」を全身に掛けながら、振り落とそうとする力に抗い、駆けて行く。
やがて。
「この距離なら、流石にどんだけ素早い的だろうと当たるん、だよな————ッ」
同時のタイミングで、手のひらを広げ、意識を指先と、展開先————〝暴食〟の額へと向け、一撃の威力を極限まで高めた色濃い天色の魔法陣をピンポイントに描く。
次いで、エヴァンが描いた魔法陣に重なるように。外しても、私が責任を持って代わりに当てるから。
そんな意思を込めて、エヴァンよりも少しだけ大きめの魔法陣を私も負けじと描き、そして唇を動かして親しみ深い一言を————紡いだ。
「「————〝第六位階水魔道〟————」」





