三十三話 言わずにはいられなくて
「な、ん……ッ、どうして……!!」
二重の意味で驚愕だった。
一つに、件の王子様が視線の先に騎士達と共にいた事実に対して。
カルア平原、その奥地に位置する場所で明らかにカモであるとしか捉えられない集団が魔物に襲われず無事でいるなど、内情を知る人間からすれば異常にしか映らない。
二つに、今現在、ルイスさんが手にするベラルタさんから受け取った筈の魔道具が指し示す〝居場所〟がすぐ側を指し示していない事に対して。
この魔道具は指定された対象の居場所を追うというもの。ただし、指定する場合、一度魔道具の使用者が対象に一度触れる必要がある。
「……いや、そっ、か」
託された魔道具の使用方法について、脳内で反芻する。すると見えてくる事実。
そもそも、ベラルタさんの忠告に否定的な王子様に触れる機会があるだろうか。
それも、護衛の騎士がそれなりにいる中で。
答えは、否。
恐らくは、王子様を守っていた騎士のうちの一人が対象となっているのだろう。
ならば、目の前に映る光景と魔道具が指し示す〝居場所〟の差異についても説明がつく。
だが、この魔道具は生命体にのみ反応を示すもの。生命体でなくなった瞬間————つまり、死体と化した瞬間に反応は失われる。
要するに、目の前の王子達は逃された人間なのだろう。ならば、捨て石となった人達が反応を示している場所に向かわなくてはいけない。
「なんにせよ、急がなきゃ……」
どういう状況なのか。
どういう魔物に襲われていたのか。
迅速に助ける為にも、彼らから情報を聞き出す必要があった。
「……助けに来るのが遅過ぎるんだよ」
駆け寄った矢先、王子————ルハアの口から呟かれた言葉は、苛立ちめいたものであった。
元々、彼の身勝手さが招いた災難だというのに、その物言いはないだろうと思いはしたが、こんなとこで時間を掛けてはいられないという事は、場に居合わせた全員の総意だったのだろう。
誰一人として、その発言に突っかかる様子はなかった。
しかし、逆にそれがいけなかったのだろう。
私達が彼らに問い掛けるより先に、数歩ほどの距離の間合いを詰め、ルハアはあろう事か、睨み付けながらルイスさんの胸ぐらを思い切り掴み上げた。
「そもそも、全てはお前のせいだぞ、ルイス・ミラー……ッ!!!」
燃料でも追加されたかのように膨らんだ激情が、ルイスさんに向けられる。
身に纏う衣類には何かに切り裂かれたような痕が幾つか点在しており、赤い線となって傷さえも浮かんでいる。
恐らく、魔物にでも付けられた傷なのだろう。
だから、溜まりに溜まった鬱憤のようなものを何かにぶつけたいと思う気持ちは分からないでもない。
けれど、ルハア達は勝手に突っ走った側。
こちらは助けに来てくれと要請を受けたわけでもないのに助けに向かった側。
感謝こそすれど、此方には間違っても怒りの矛先を向けるべき相手でない筈にもかかわらず、ルハアは目を怒らせ、言葉を大声で吐き捨てる。
「お前がそこの平民が必要である、などという戯言を吐かなければ、こうはならなかった!!」
だから、元を辿ればルイスさんが全て悪いのだと。そんな手前勝手な暴論が展開される。
必要であるという事を説かなければ、そもそもカルア平原に足を踏み入れる事はなかったと。
「……いいか、平民の手を借りる必要なぞ何処にもありはしない。何処にも、だ!!」
その声は、どこか震えていた。
それが怒りによるものなのか。
怯えから来るものなのか。
判然としない。
でも、その言葉のお陰でルハアにとって平民と呼ぶ者達の間に決定的な差異があって、埋められない溝のような何かが存在している事は最早目を背けようのない事実としてただそこに在った。
だから、なのだろう。
「……そのようなプライドで、民は守れません」
この状況にありながら、反骨心を隠そうともせずにルイスさんは言い返す。
「〝ノブレス・オブリージュ〟。……民を守る事は本来、貴族の役目でしょう。領地の保全をする事も、全てが貴族の役目。ですが、だからこそ我々は間違った判断をしてはならない」
「間違った判断、だ? お前は、お前は、僕が間違った判断をしてるとでも言いたいのか……?」
こめかみに浮かぶ血管は膨れ上がり、激情の色は最早、誰の目から見ても明らかな程に色濃く滲んでいる。
「平民だから。ただそれだけの理由一つで、不当に追い出し、忌避し、侮蔑する。それを間違っていないと言わずして何というのですか……!!」
「ルイス・ミラー、貴様……ッ」
「貴方がヒイナさんを認めさえしていれば、こうはならなかった。ちゃんと、その目で見ていれば、こうはならなかった。貴方のその視界には、貴族と有象無象に一括りされたナニカ、その二つしか映っていない!!!」
今にも殴りかかりそうな気配にもかかわらず、それでも尚、ルイスさんは胸ぐらを掴まれたまま、叫び散らす事をやめない。
「それで、これからの国を守れますか? 王として、正しく国を導けますか? 貴族の言には明らかに不当と分かっていようと首肯し、平民の言には平民だからと頭ごなしに否定を続ける。それが真に正しいと? それで、王になると?」
「……だま、れ」
「少なくとも————貴方の行動は間違っていた」
「僕は黙れと言ったッ!!!」
強引に、無理矢理にルハアはルイスさんの言葉を遮る。
やがて。
「……レヴェスタも、お前も……お前らに一体僕の何が分かる? 良いよな、お前らは。お前らは、ちゃんとした貴族で良いよな」
含蓄のある物言いであった。
それはまるで、己はちゃんとした貴族でないと言っているようでもあって。
何より、その物言いは、ルイスさんの言葉にある程度の理解を示しているようにも捉えられた。
正しいと心の何処かで理解をしている。
けれど、己だからこそ、理解を示すわけにはいかないと拒絶しているかのような。
「そんなお前らには、僕の気持ちなんざ分からんさ。分かるものか。そもそも、理解されて堪るか」
だから————口を出すなと。
一方的に否定をして、自分の言を正当化して、怒って叫び散らす。
その様子を前に、どうせ私が口を出したところで面倒事に発展する未来しか見えなかったから、黙っていようと思ってた。
彼らの事情も、全く知らない。
何か言ったところで、ルイスさんのようにお前に何が分かると言われておしまいだ。
だけど。
「分かったら、その口を閉じてさっさと守るなりして僕をここから出せ」
「————お礼の一つすら、言わないおつもりですか」
「……あ?」
〝居場所〟については他の騎士達の誰かに聞けば良い。出来る限り、私は王子様に話しかけるべきではない。
そう思っていた筈なのに、気付いた時には口を衝いて言葉を言い放っていた。
たぶん、口を閉じていられなかった理由は、ルイスさんが私に対してわざわざ足を運び、頭を下げて頼み込んできたから。
何より、他国の貴族に公爵位の人間が恥も外聞も捨てて頼み込むなど、明らかに尋常でない。
それを、見捨てられないからと敢行した人間に対して、その物言いはあんまりじゃないかと、言わずにはいられなかった。
「お礼を言わないつもりなのかと、申させていただきました」
「ヒイナ、さん……」
ルイスさんも、先生も、騎士の方も。
特に私の正体を知る人達は皆、一様に驚いていた。エヴァンだけは、特別反応を見せていなかったけれど、それでも、私が発言を撤回する理由にはならない。
制止を試みるルイスさんの言葉が聞こえてはきたけれど、それをあえて私は黙殺した。
「これは、貴方の失態である筈です。なのに、目を逸らして自分を正当化ですか。自分の立場が他者と違えば、理不尽に怒り散らすのが正しいんですか。全てを認めて改心しろ、とまでは言いませんし、それが容易でない事は百も承知です。でも、だけど、一言『ありがとう』くらい、言ってもいいんじゃないですか」
それが、己の為に頭を下げ回ってくれた人に対する最低限の礼儀ではないのか。
「平民風情が囀るな。……ぁあ、そうか。これは憂さ晴らしか。成る程成る程。ならば、お前の目には僕は愚かしい貴族に映ってるのだろうな。さぞ、気分がいい事だろうな? お前を追放した元凶がこうして苦しんでる様は、さぞ見ていて心が晴れる事だろう————そら、これで満足だろう? 分かったら口を閉じろ。不愉快だ」
「…………」
勝手に自己解釈をされ、分かった気になられて、完結する。
そこに私という存在が割り込む余地はこれっぽっちもなく、どれだけの正論を立て並べようと、聞く耳を持たれるかどうかの判断はつかない。
「……私は貴方を恨んでなど、いませんよ」
信じては貰えないだろう事は納得ずく。
でも、あえて言葉に変える。
「恨んでなんか、ないです。私は元々、あの場にいるべき人間でなかったから」
だから、いつか何かしらの理由で追い出される可能性は頭の何処かにあった。
元より、宮廷魔道師を志願し、それに応えてねじ込んでくれたルイスさんがお人好し過ぎただけなのだ。
だから、恨んでなどいない。
でもそれ故に、言わずにはいられない。
お前は。
貴方は、ルイスさんの厚意を当たり前のように踏み躙るのかと。
その一点だけがどうしても許せなかった。
それがあったから、知らないふりが出来なかった。
「それは、私が一番理解してる。それでも、あの場所に居続けたのは『約束』を守りたかったから」
探している人がいる。
だから、探しやすいように。
そして、見つけて貰いやすくなるように、宮廷魔道師になりたい。
そんなふざけた理由で納得をして、恩人だからと無理を押してくれるお人好しが一体世界に何人いる事だろうか。
少なくとも私は、ルイスさんくらいしか知らない。
「貴族とはほど遠い立場の私だけど、それでも一応、王宮魔道師だったから、だったから、分かる事もあります。自国の公爵閣下が、他国の王子に頭を下げてまで頼み込む事がどれだけ異常か。貴方の為に、ルイスさんは私達の下にまで来て、頭を下げて……なのに、お前には分からない? お前のせいだ? ふざけるな」
恩を仇で返すどころの話ではない。
「公爵という立場でありながら、こんな私にまで頭を下げて頼み込んできたルイスさんに、唾を吐く行為が真に正しいと!?」
責めるなとは言わない。
怒るなとも言わない。
でも、たった一言、感謝か、謝罪の言葉すら言えないなら貴方はもう————。
「……本当にそう思ってるなら、貴方は平民にも劣る禽獣だ。そんな王子に、国が統治出来るとは私は思いません」
「……己の立場がわからないのか、貴様」
どれだけ傲慢だろうと。
偏見から何かを嫌っていようと、それがその人の生き方であるならば、ある程度は仕方がないと言える範疇だと私は思ってる。
誰もが聖人君子なわけではない。
人は『生きる』ものだ。
ならば、何らかの差異は必然付き纏うものであるし、何より、あって然るべきものだ。
人は、同じ動きをするだけのロボットではないのだから。
「分かってます。分かっていますが、貴方にはこの場でなければ私の声は届かない。だから、失礼を承知で申させていただいてます」
この、権力がクソの役にも立たないカルア平原でだからこそ、辛うじてルハアの耳に私の言葉が届く。
カルア平原を出てしまえば、彼の耳に私の言葉は一切届かなくなるだろう。
やがて、乱暴に掴んでいたルイスさんの胸ぐらが離され、ルハアの視線が私に集中する。
「それを続けては……人は、離れていきますよ。貴方の身を本気で案じてくれるような人すらも」
もしこれが大人相手であれば、多分私はここまでは言わなかった。
私よりも幼い子供だからこそ、憎たらしくはあるけれど、言いたかった。
いえば、理解してくれるような、そんな気が心の何処かでしていたから。





