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三十一話 レヴェスタ・アルクラード

* * * *


「……どうなっている」


 ポツリと。

 獣の唸り声に似た声が呟かれる。

 しかし、それも刹那。


「どうなってると聞いてるんだ僕はっ!!!」


 怒りを湛えた小さな呟きは、怨嗟の咆哮となって周りの事などお構いなしに吐き散らされた。


「……そうカッカしないでくださいよ殿下。私らだってどうなってるのか分からないってのに」


 辛うじて呼吸しているだけの死人。


 思わず、そんな感想を抱いてしまいたくなる程に顔面蒼白となっていた騎士らしき男が言葉を返す。

 身体は血塗れ。

 それどころか、幾つか欠損すら見られた。


 偶然見つけた洞の中。

 そこで身を隠すように岩壁に背をもたれながら、騎士の男は殿下と呼んだ藍色髪の少年を見やった。


 彼の名を、ルハア・ドルク・リグルッド。

 リグルッド王国の王太子であった。


「ベロニア・カルロスの残り滓が勝手に誇張してるだけかと思ってたんですけどねえ……」


 前魔道師長であるベロニア・カルロスの信頼だけは、王宮にあっても絶大なものであった。

 しかしあくまでそれは、全盛の頃の話。


 十数年前まで脅威を誇っていたカルア平原をほぼ完璧に無力化していると上層部は捉えていた。

 何より、幾ら実績と能力が途方もない程大きかった傑物であれ、晩年ともなるとその能力の落差は歴然。それ故に、晩年の人間でも抑えられていたから、最低限の人間がいれば一切の脅威がない場所。

 という認識に落ち着いてしまっていた。


 だからこそ、そんな場所に優秀な人間を寄越せと言われても何を寝ぼけた事を。

 となる上、人手が足りないと言われようと、耳を貸す必要すらない戯言と取り合ってすらいなかった。


 現に、一切被害が出たといった報告もない。

 これが全てじゃないか。


 それが上層部の考え、その全貌であった。


 そして今。

 出自の明瞭でない下賤な平民が、栄えある王宮魔道師の地位に据えられた。

 しかもあろう事か、その者の力を借りるべきだ。借りなければならないとルイス・ミラーはしつこく述べていた。


 それもあり、最近特にしつこかったカルア平原への増員の対処や、平民の手を借りる必要があるという意見を口にしていたルイスの目を覚まさせる為に多少、魔道に覚えのあったルハアが、その身でもって証明してやろうとした。



 それこそが、事の発端。

 事態の全貌であった。


「とはいえ、ここから抜け出すとなりゃ、色々と覚悟を決める必要が出てくるでしょうねえ」


 ただの魔物であればまだ、どうにかなる余地はあったのだ。

 しかし此処は、カルア平原。


 ベロニア・カルロスが作り上げた結界により、魔物達は閉じ込められ続け、一種の蠱毒状態に陥っていた。


 その中で、ただでさえ規格外だった魔物達が独自の進化を遂げている。

 膂力であったり、知能であったり。


 カルア平原に踏み込んだルハア達が、逃げられないようにと奥地へと踏み込んでしまっていたのもそれが理由であり、その為、安易に引き返そうにも引き返せない状況が出来上がっていた。


「覚悟……?」

「ええ、まぁ……今更隠しても仕方がないんで言いますけど、主には死ぬ覚悟、ですね」

「……ふ、ふざけるな!!」

「私も出来る事ならふざけていたかったんですけどね」


 そうもいかないのだと。

 普段より掴みどころの無かった筈のリグルッドにおいてもそれなりに名の知れた彼がいつになく真剣に告げていたからか。

 ルハアは言葉に一瞬ばかし詰まらせる。


 やがて、怒りに任せて叫び散らしても仕方がないと悟ってか。先程とは打って変わって声のトーンを落とし、


「……助けは。助けが来るはずだろう。僕の姿が見えないとあっては父上も動く筈だ」

「いえ。助けはこない、でしょうねえ。何より、誰にも知らせる必要がないと考えてやって来た事が完全に裏目に出てしまってますよ。可能性があるとすれば、カルア平原の内情を知ってるあの連中だけですが……」


 制止を無視し、強行突破してカルア平原に足を踏み入れた事実が脳裏をよぎり、男は言葉を詰まらせる。


 ただ、どれだけ邪険に扱われようと此方は一応国の王太子。

 その重要性は子供にだって理解が出来るはずだ。だから、助けを呼んできてくれる可能性も無きにしも非ず、だったのだが。


「……私らを止めたのは、あの〝貴族嫌い〟のベラルタ・ヴィクトリアですからね。可能性は億が一。その程度と思っておいた方が賢明でしょう」

「な……ッ」


 選民思想にどっぷりと浸かった融通の利かないとある貴族のせいで、ベラルタは己が大切に思っていた平民の使用人を見捨てる事となってしまった。

 ただ、それをすんでのところで助けたのが今は亡きベロニア・カルロス。


 それ故に、〝貴族嫌い〟であり、ベロニア・カルロスを慕っている所以であった。


 そして、彼の意志を継ぐと事あるごとに口にしていた理由というものは、彼女にとって、それが彼に対する恩返しであると考えているから。


「彼女であれば、私達の死を利用して融通の利かない上層部を動かす。そのくらい考えていても、何ら不思議な事ではない」


 事実、ベラルタ側の懇願をこれまで徹底的に無視し続けてきている。

 どう考えても助けずに見殺しにした方が彼らにとって都合よく物事が動く事は明白であった。


「……やはり、どうにかして自力でこの場を打開する、しか方法はないでしょうねえ」


 その言葉を最後に、男はふらつく身体を意思でねじ伏せてどうにか立ち上がる。

 そんな彼の身体には、至る所に傷痕が存在していた。


 しかも、その殆どが逃げ傷。

 力量の差を一瞬で悟り、マズイと判断した彼がルハアを庇いながら逃げていた際に生まれた傷であった。


「取り敢えず、場所を変えましょう、か」

「……ここから移動するのか?」

「ええ。流した血に勘づいた魔物が、そろそろ寄ってくる頃でしょうから。これで恐らく、幾分か時間が稼げるかと」


 いくら隠れる事に適した洞の中であるとはいえ、血の香りを放ってしまってる以上、血の臭いに勘づいた魔物がやってくる可能性は極めて高い。

 ならば、それを逆手に取り、如何にも隠れそうな場所にあえて魔物を集結させる。


 そしてその間に、カルア平原の外へと逃げ切る。


 そんなプランを脳裏に描いていた騎士の男は、魔道を用いて己の身体の傷を軽く焼き、強引に止血してゆく。


「行きますよ、殿下」

「……あ、ああ。分かった」


 止血に必要であったとはいえ、微塵の躊躇いすらなく己の身体を焼いた騎士の男の行為が余計に、己らが死に近いのだと自覚させてきたのか。


 若干、空返事に似た調子であったが、ルハアは言われるがまま立ち上がる。


 だが、不安と同時に何処か安心感もあったのだ。


 レヴェスタ・アルクラード。

 ルハアが不幸中の幸いにも、連れていた騎士の男は、リグルッドの中でも一、二を争う程の騎士であった。


 この場に居合わせたのが彼でなければ、既にルハアは命を落としていた。

 そう断言出来てしまう程に、彼は優秀な人間であった。


 そして、血の臭いを使って魔物の気を逸らす。

 その手法も、理にかなったものであった上、見舞われたこの状況下では最適解とも言えるものであった。


 ……ただ、侮るなかれ。


 ここは普通の場所ではなく、カルア平原。


 間違っても、即席の作戦が十全に通じる場所でもなく、ましてや、多少の小細工であれば全てを容赦なく理不尽にぶち壊した上で突き進む化物(魔物)がすまう魔境である。


 故に、この場にベラルタ・ヴィクトリアがいたならば間違いなくこう言ったはずだ。



 ————考えが甘過ぎる、と。

 その程度でどうにかなるのであれば、上に危機を訴えていないと間違いなく言い切った事だろう。



 そして立ち上がり、魔物から逃げるべくレヴェスタと同様に疲弊していた数名の護衛と共に歩き出した彼らの背筋がある時、唐突にぞわりと粟立った。

 ただ、幸か不幸か。

 その理由は、すぐに判明した。



「———————」



 次いで、息を呑む音の重奏が響く。

 誰もがその事実を認識したくないと拒む中、


「……初めから、そこに待ち伏せしてたってか? ……ったく、勘弁しろよ」


 レヴェスタは、諦念の感情を声音に含ませながらも、どうにか己を鼓舞せんと言葉を紡ぐ。


 逃げ切ったと思っていた。

 しかし、違った。


 面白半分にあえて、泳がされていた。

 それが————答えだったのだ。


 出くわすや否や、レヴェスタが「逃げる」事を選択せざるを得なかった人面の四つ足の化物が、鋭利な牙を覗かせながら好戦的な笑みを浮かべ、小さく喉を鳴らして立ちはだかった。

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理不尽な理由で追放された王宮魔道師の私ですが、隣国の王子様とご一緒しています!?
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元悪役令嬢の私は、二度目の人生を得たので今度はちゃんと慎ましく生きようと思います
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