三十話 お人好し
それから数秒ほどの沈黙が流れ、やがて呆れるように深い溜息が一つ聞こえてくる。
「……相変わらず、底抜けのお人好しさね」
ここまで来ると救えないと付け足される。
でも、浮かべる表情は厳しいものから変わり、どこか苦笑めいた表情になっていた。
「仮にあたしが折れて、バカ王子を助けたとして。向けられる言葉は、罵倒やもしれないよ」
私に忠告するように、ベラルタさんは言う。
私が平民だからと嫌われていた事はベラルタさんも知る事実。故に、たとえ感謝をされる行為をしたとしても、こうして頭を下げたとしても、返ってくるのはただただ心ない罵倒の可能性が高いと。
「そう、かもしれませんね」
その指摘に、反論する気はない。
何故なら他でもない私自身もそうだろうなって思ってるから。
とはいえ、ベラルタさんは一つ勘違いをしてる。
「でも、そもそも私は彼を助けたいからここに来たわけじゃない。彼を助けたいからこうして頭を下げてるわけじゃない」
追放の引き金をひいた人物は彼だ。
だけど私は、これっぽっちも恨んですらいない。
……いや、元々殆ど気にすらしていないが正しいか。
「私はあくまで、私の友人の為に動いているだけです」
身分は天と地。
だから、不敬でしかない発言だけれど、私はルイスさんやベラルタさんといった面々を大切な友人のように思っている。
私だって、聖人なわけじゃない。
あくまで私は、友人の為に動いているだけだ。
王宮魔道師として働くようになってからというもの、常に気にかけてくれていた恩人でもある人が、外聞を無視して頭を下げて頼み込んできた。
応じる理由は、これだけあれば十二分過ぎる。
人死にを是としなかった友人が、それを認めようともしている。
私がこうして突き進もうとする理由は、これだけあれば十二分過ぎた。
「だから、その他の人間にどう思われようが知った事じゃないんですよね」
「だから助けたいと? だから助けに向かうと?」
「はい」
故に、王太子がどんな対応をしてこようとも、私には微塵も関係がないと言い切ると、ベラルタさんは私を見詰め続けていた視線を逸らした。
……あんたは、そういうヤツだったさね。
消え入りそうな声で、そう呟きながら。
「……ルイス・ミラー公爵」
「なん、でしょうか」
ベラルタさんは唐突にルイスさんの名を呼ぶや否や、ポケットに手を突っ込み、ゴソゴソと手探りに何かを漁って取り出す。
若干、毒気を抜かれながらも取り出したソレは、私も知る魔道具の一つであった。
「……どうしても助けに向かうって言うのなら、条件が二つある。一つ、助けに向かうにせよ、あのバカ王子をどんな手段を使ってでも説得しな。それが無理なら、結界外に出すわけにはいかなくなる。それともう一つ、カルア平原の危険性を上の耄碌ジジイ共に伝えろ。これも、どんな手段を使ってでも、だよ」
それが呑めるのであれば、道を譲る。
ただし、それが呑めない場合は、譲るわけにはいかないと揺るぎない意志のようなものを湛えた瞳が言葉もなしに私達に訴えかけてきていた。
「それは勿論、誓って」
「……ふん」
刹那の逡巡すら無かった事が気に食わなかったのか。
煩わしそうにふんと鼻を鳴らし、取り出していた魔道具をベラルタさんはミラーさんに押し付けるように無理矢理手に握らせた。
「持っていきな。それで居場所は分かる筈だよ。……一応の保険は掛けておいたのさ」
〝居場所〟を知らせる性能を持った魔道具を渡してきたベラルタさんに皆が驚愕の視線を向けていたからか。そんな目で見詰めてくるなと言わんばかりに彼女の口調は呆れを孕んだものであった。
————見捨てるつもりだった筈だろうに、一体これは何の為に。
不意に脳裏を過ぎるそんな疑問。
しかし、ことこの場においてその疑問を口にする事はあまりに無粋に過ぎた。
故に、閉口。
小さく笑いながら、ありがとうございますと告げると咎めるように「……うるさいよ」と怒られてしまう。
でも、怒られたというのに私の頬は綻んだまま引き締まってはくれなかった。
理性的に厳しい言葉を並べ立ててはいたけれど、やっぱりベラルタさんはベラルタさんだ。
底抜けに優しい人だって思わされる。
「……時間はもうあまり残されていませんし、そろそろ急ぎましょうか」
そのベラルタさんから渡された魔道具が効果を発揮しているという事はつまり、王太子が未だ存命である証左。
だから、本当に手遅れになる前に急ぎましょうと口にするルイスさんの言葉に私は頷き、薄い膜となってあたり一体を覆い尽くしている結界との距離を詰めてゆく。
そんな折。
「最後に一ついいかい? ロストアの王太子さん」
何を思ってか。
ベラルタさんはエヴァンを呼び、足を止めさせる。
「……なんだ?」
「ヒイナは、その……見た限り、そっちに身を寄せたんだろう? リグルッドの現状は、まぁ、この通りさね。ヒイナにとってはリグルッドより、ロストアの方がずっといい」
はっきりとしない物言いだった。
でも、そんな感想を抱いたのも刹那。
「だから、ロストアがヒイナの面倒を見てくれるのなら、あたしからすれば願ってもない事さね。……ただ、どうしてロストアの王太子までここにいるんだい」
その理由は、エヴァンの行動原理が分からないからだと明言され、理解する。
普通に考えれば、手を貸す事はあるかもしれないが、その身一つで手を貸すという事はあまりに常識外れに過ぎたから。
「愚問だな」
しかし、そんな当たり前の疑問を前に、エヴァンは即答する。
心なしか、どこか楽しそうに声は弾んでいた。
「簡単な話だ。おれは、コイツに心底感謝している。放っておけない理由は、それだけで十分過ぎると思わないか」
「どういう意味だい?」
「〝特別〟が嫌いだったおれに、手を差し伸べてくれた人間がヒイナだっただけの話さ。子供の気まぐれだったのかもしれない。でも、あの頃のおれは、そんな気まぐれであったとしても確かにこいつに救われた。これはただその恩返しの延長なだけさ」
だから変に勘繰る必要もないと。
事もなげに呟かれた言葉に、先生は微笑ましそうに笑い、ベラルタさんは表情を少しだけ驚愕に彩らせた後、先生に倣うように綻ばせた。
「……そうかい。ヒイナは、天性のお人好しだったってわけかい」
ベラルタさんが言葉をそう締めくくり、会話は終了する。
お人好し、お人好しと連呼されてはいるけど、私自身そこまで聖人になったつもりはないんだけど。そんな感想を抱いていた事を見透かしてか。
「少なくとも、貴女に救われた人が大勢いる。だから、そんな複雑な表情をする必要は何処にもないと思いますがね」
ルイスさんは、私にだけ聞こえる声量で、そう言葉を投げ掛けてきていた。
「……たまたまですよ」
あくまで私は、放っておけないとか。
手を貸したいとか。
そんな自分が抱いた感情に正直に従って行動し、生きてるだけ。
誰かを助けたい。
そんな高尚な理念に基づいて生きているわけでもなかったので、堂々と胸を張る事なんて出来るわけがないし、答えるとしても精々、たまたまが関の山だ。
やりたいようにやった結果についてきていたものだったから、本当にたまたまだった。
とはいえ。
「ただ、誰かの力になれていたのなら良かったです。人の縁ってやつは、そういう奇縁で巡り巡ってますから」
彼の言葉で言うならば、ロクでなしのクソ餓鬼の為に恥も外聞も投げ捨てて奔走し、頭を下げ回る。そんな事をしている貴方の方がよっぽどお人好しだと思った。
だけど、その自覚はないのか。
ルイスさんは終始、笑むだけだった。





