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二十九話 説得と想いと

「にしても錚々たる顔ぶれだねえ。ロストアの王太子に、魔道師長。加えて、ミラー公爵ときた。こんな場所に、何の用だい」


 微笑を貼り付けながら、事もなげにベラルタさんは言葉を続けた。


「……ここに、殿下はやって来ましたか」


 時間がない。

 言外にそう訴えかけるように、無駄な余談を一切挟む事なく本題に切り込んだルイスさんを前に、ベラルタさんは少しだけ眉根を寄せるも、それも一瞬。

 何事も無かったかのように顔を綻ばせた。


「来ていたとして、それがなんだと言うんだい?」

「……どうして止めなかったんですか。カルア平原の危険性は貴女方が一番分かってるはずだ……!」

「分かってるよ。分かってるとも。だからあたしは一度(、、)は止めてやった。引き返せ、と。でも差し伸べた手を振り払ったのはあっちさね。邪魔をするなとまで言って憤る奴を止める理由なんてありゃしないよ。特に、あたしらなら尚更に」


 カルア平原にいる人達と国の上層部の人達は折り合いが悪い。

 特に、貴族嫌いを公言しているベラルタさんならば尚更に。


「……貴女方は、リグルッド王国の臣下でしょう」 


 知らないと言うだけならまだ良かった。

 それであれば、そのまま結界を越えてカリア平原の中に足を踏み入れるだけだったから。

 しかし、ベラルタさんの物言いはあえてカルア平原に入れたかのようなものだった。


 だから、言わずにはいられなかったのだろう。

 どうして、と。


「ああ。そうだよ。あたしらは間違いなくリグルッド王国の臣下だ。民草を守る盾だとも。そしてだからこそ、今後のリグルッドを憂いたあたしは断腸の思いでコレ(、、)は都合が良いと判断したのさね。ベロニア・カルロスが守ったものを守り続ける上ではコレが必要だったのさ。幾らカルア平原の脅威を訴えようと、結界があと数年もしないうちに機能を失うと言えどあいつらは聞く耳を持たないさね。だったら一人くらい、上の連中が身を以て証明するしかないだろう。カルア平原(ココ)は、危険だ、とね」

「……リグルッドでの居場所がなくなりますよ」

「じゃあ何だい。あのバカ王子を助けて、数年後に確実にやって来る破滅を待てってかい? それこそバカだろうさ? あたしらはリグルッドの臣下である前に、民草を守りたいという信念を貫いたベロニア・カルロスの部下なのさ。多くの民草と、必要犠牲が一つ。天秤に掛けるまでもないね。……というわけだよ。そういう事なら、お引き取り願おうかい」


 カルア平原に足を踏み入れる為には、結界の一時的な解除が必要不可欠。

 この鍵を、ベラルタさんが握ってる以上、彼女がダメといえば立ち入る事すら許されない。


 あまりに予想外過ぎる出来事だった。

 助けに行く、助けに行かない以前の問題だった。


「……仮にも王太子。どんな理由であれ、死ねば責任を問われる。お前、国を追われるぞ」

「優しいんだねえ。そっちの王太子さまは。でも、これは貴方にも都合がいい話だと思うんだけどねえ」

「……なんだと?」

「そこのヒイナはよぉく知ってると思うけど、カルア平原の魔物はそこいらの魔物と比較にならない強さだよ。で、ここの結界は長くもってあと五年。このまま現状維持を続ければ、五年後にカルア平原に閉じ込めていた魔物が解き放たれる。領民はどれだけ死ぬだろうね。千? 万? いいや。もっと死ぬよ。もっと死ぬ。そしてその魔物は、いつまでもリグルッドにとどまり続けてくれると思うかい?」


 答えは、否。


「だから、ここで何らかのきっかけを作って、カルア平原の対策を上の連中にさせるのさ。あのバカ王子側にはそれなりに腕利きの騎士もいた。あいつらが全員死ねば、上も流石にこれまで通りの軽視は出来なくなる」


 それこそが、ベラルタさんの狙い。

 だから、助けにいく必要はないと言う。


「全ての責はあたしが受け持とう。だからあんたらは全員、『知らなかった』と惚けてくれればいい。簡単な話さね。それで、全てが丸く収まる」


 貴族嫌いを公言していたベラルタさんだ。

 勿論、王太子を嫌っている事も私は知っていた。


 でも、ここまで溝が深いとは知らなかった。

 本意でないにせよ、死んでもいいとまで考える程とは思ってなかった。


 だってベラルタさんは、誰も死なせたくない(、、、、、、、)という理念を掲げていたベロニア・カルロスさんという人に憧れてるのだと、私にもよく語ってくれた人だったから。

 誰も死なせない為に、ベロニアさんの代わりにカルア平原で頑張らなくちゃいけないと言い聞かせてくれてた人だったから。


「……平民だからと首を切り、諫言を一つすれば不敬だと怒号が飛び、これまた免職。そして加速する人員不足。ただでさえ人が足りないってのにね。ヒイナまで辞めさせられたんだろう? だったら、連中の目を醒めさせるにはもうこれしかないさね」


 王宮での扱いで身に染みて分かってる。

 カルア平原はただの掃き溜めと思われている。


 でも実際は違う。

 何もないように見えるだけだ。


 そして、カルア平原の結界を維持している魔道師達の尽力あって、何も起こっていない。

 それが最早〝悪〟であるとベラルタさんは断じる。何かがなければ、これはもう変わらないと。


 だから、助けには向かわせられないとベラルタさんは言う。

 これは意地悪でも何でもなく、今後を考えた上で最善であるからと。

 ただそれだけを切に願って。


「しっかし、わっからないもんだねえ」


 戯けたように、言葉はまだ続く。


「ルイス・ミラー公爵。貴方があのバカ王子を助ける理由なんてもうどこにも見当たらないはずなのに、どうして握り拳を作ってるんだか」


 責は全て受け持つとベラルタさんは言った。

 なのに、それでもと逡巡する素振りを見せる理由は何であるのか。

 単に人命が大事と思っているのか。臣下であるから王太子の死は見逃せないのか。それとも他の理由があるのか。


 しかし、それが分からない。

 ルイスさんが口籠もっている以上、それは分からない。


「……貴女のそれが、一番最善でしょうね」


 ポツリと呟かれる。


 カルア平原での内情を知っているからこそ、その言葉が出てくる。現状を変えるには何らかのインパクトが必要不可欠だ。


 ただただ、訴えたところで何も変わりはしない。現状維持が続く事は目に見えてる。

 だからきっと、ルイスさんもベラルタさんの言葉が正しいと同調していた。


「アレはロクでなしです。ロクでなしの、クソ餓鬼です。そこに、一片の間違いもない」


 王太子という肩書きを忘れて、ルイスさんはクソ餓鬼と呼ぶ。

 心底鬱陶しそうに、煩わしそうに、でもどこか、そこには親愛にた情のようなものが少しだけ存在しているような、そんな気がしたんだ。


「最早、叩いても治らないところまで来てしまってるかもしれない。散々、丁重に扱ってくれと言っていたにもかかわらず、殿下は……いえ、ルハア(、、、)はそれすら破った。リグルッドの為を考えれば、私は傍観すべきなのでしょう。全てを知った上で、知らなかったと平気な顔をして言うべきなのでしょう。ただ、どれだけ救えないやつだろうと、私は一応、アレの叔父なのですよ」


 ルハア・リグルッドの叔父。

 リグルッド王国の内情を知る機会なんてものは一切無かった為、その情報は私の知るところではなくて反射的に驚いてしまう。


「あんなロクでなしでも、一応は血縁者。貴女の言い分はよく分かる。最早、致命的な何かがなければ上は面倒臭がって動きもしない。私の意見にすら耳を貸しはしない。でも、それでも私の甥なのです」


 故に、見捨てるわけにはいかないとルイスは言った。


「綺麗な話さね。だが、ねえ、綺麗なだけじゃ、もう収まりがつかないところまで来てるんだよ、ルイス・ミラー……ッ」


 距離を詰め、ベラルタさんはルイスさんの胸ぐらを強く掴む。眼差しは、睨み付けるような厳しいものであった。


「公爵家の人間が、一人のボンクラを救う為に何万という民草を犠牲にするというのかい?」

「……私は、どちらも救いたい」

「無理だね。上が腐ってる時点でそれは無理さ。ただの笑い話の夢物語さね」


 ベロニア・カルロスという人物さえ存命なら、こんな事にはなっていなかった。

 彼という傑物によって絶妙なバランスが生まれていたのだ。故にルイスさんは言っていたのだろう。彼が、優秀過ぎたと。


「それでも私は、救いたい。救って、あいつを説得してみせます」

「その保証は。それが出来なかったときは」

「その時は、私がルハアの代わりになりましょう」

「……正気かい?」

「私は至って正気ですよ」

「…………。そうまでする理由が何処にあるのだか」


 私も、そうまでする理由がちっとも分からなかった。ルイスさんが優しい事は知ってる。

 義理堅い人だという事も、勿論。


 でも、それを踏まえてもカルア平原の危険性を理解してるルイスさんが、救いたいと口にする理由が見えてこなかった。

 そんな事を各々が思ってる側で、独白でもするように言葉が並べられる。


「……アレがああなった理由は、きっと私達大人にもあると思うのですよ」


 悲しそうに、でも何処か懐かしそうに。


「早くから使用人を与えて、甘やかすだけ甘やかして、増長して、傲慢になって。……だから、アレがああなったのは私達の責任でもある。それを、都合がいいからと死で償えは少々、むごいかと思いまして」

「……それが、他でもない甘やかしなんじゃないのかい」


 子供とはいえ、王族だ。

 それなりの責任が付き纏う立場であると己自身も理解しているはず。その返しが丁度、今やってきただけだろうと指摘するベラルタさんの言葉にまた、ルイスさんは口籠もった。


 そんな折。


「……言わんとせん事は……そうだな、何となく分かる気がする。分かりたくないがな」


 黙ってやり取りを見詰めていたエヴァンが、二人の間に割って入る。


「周りから〝天才〟だと手放しに褒められて、欲しいものは何でも与えられて、王族としての生き方を叩き込まれて……性格や、歩んだ道が今とは少し異なっていたら、おれもそうなってたのかもな。リグルッドのとこの王子のように」


 王城ではレヴィさんと結構物騒な事を言っていたのに、その一言は同情の余地があると言っているようなものだった。


 ただ、エヴァンのその言葉のお陰で、何となくだけど私もその気持ちが分かったような気がした。


 ……だから、なのかもしれない。

 私が、エヴァンに続くように声を上げた理由ってやつは。


「ベラルタさん」

「……なんだい」

「いつか言ってましたよね、あいつが守り続けてたカルア平原を、今度は自分達が引き継いで守り続けるんだって。誰も、死なせないんだって」

「…………」

「カルア平原の現状は、これでも分かってるつもりです」


 いつか、王宮の人達が駆け付けてくれるんだろうって甘い考えを持ってはいたけど、それでもカルア平原の現状は分かってるつもりだ。


「でも、たとえ周りに被害を出さない為に必要であったとしても、あの時の言葉を私は嘘にしたくない」


 どんな動機であれ。誰かが死ねばあの時の言葉は嘘になる。嘘偽りのないベラルタさん達の想いが、嘘に変わる。

 あんなロクでなしのせいでそんな事になるのは御免だった。


「……じゃあ、五年後あたりに結界が壊れるのを見届けて、魔物を撒き散らせっていうのかい」


 結界の維持は、このままでは五年が限度。

 ベラルタさんが言うんだ。

 それは嘘偽りのない真実なのだろう。


「ルイスさんと一緒に説得します」

「無理だね。いいかい、綺麗事だけじゃ世の中は回らないんだよ」


 にべもなく一蹴。

 この時点で、ベラルタさんを納得させられるだけの理由を私は持ち得ていない。


「……お願いします」


 だから、できる事はといえばお願いをするくらい。ルイスさんの為でも、リグルッドの王太子の為でもなく、かつての同僚だったベラルタ・ヴィクトリアの想いを嘘にはしたくなかった。


 何より、彼女もこうは言ってるけれど、それが本心でない事は私にでも分かるところだったから。

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