二十八話 そして踏み入れて
* * * *
「……僻地というのも、難儀なものだな。一度戻る時間すら惜しかったか」
あれから、すぐに移動の準備に取り掛かった私達は、先生の〝テレポート〟でカルア平原の付近に転移し、結界が張られている場所へ向かって足早に歩いていたところであった。
そして、エヴァンのその一言は、共に付いてきていたルイスさんに向けられる。
「……まあ、こればかりは仕方ない問題ですので」
レヴィさんはお留守番。
その代わりに、ルイスさんの護衛役であった数名の騎士の方と合流し、転移を果たしていたのだが、エヴァンのその一言で漸く私も気付いた。
如何に急ぎの用だったとはいえ、公爵家当主が隣国に赴いたのだ。にもかかわらず、この護衛の少なさはどういう事なのだろうか、と。
あまり多過ぎてはかえって警戒されるだけ。
そう考えて控えた線も考えられたけど、それにしたって数が少な過ぎる。
「領地に戻るよりも、ロストアに赴いた方が時間の消費が少なく済んだ……加えて、そこにヒイナさんもいるなら都合が良いと考えた、といったところでしょうか」
先生はそう言ってるけど、多分赴いた理由はもう一つあったんだと思う。
リグルッド王国とロストア王国は親交のある国同士。ならば恐らく、ルイスさんは先生が〝テレポート〟を使える事も知っていた筈。
そして、先生がリグルッド王国に〝テレポート〟する為の印を刻んでいる可能性は極めて高い。更には、カルア平原の印でさえも。
であるならば、領地に帰って兵を連れ、何もかもが手遅れになってしまうくらいならば、ロストアに向かった方が色々と都合が良い。
たとえそれで、誰かに借りを作る事になろうとも————。
そんなルイスさんの考えが、見え隠れしたような気がした。
「……どれだけ急いでも、王都から領地までは、片道に二日は要します。ただ、それは一人の場合に限りです。兵の編成やら諸々に一日。さらに、兵を連れてであれば、倍の時間は掛かるとみるべき。とすると」
「領地に帰っている間に手遅れになると踏んだ、か」
「……ええ、その通りです」
王宮魔道師になったキッカケがキッカケなだけに、私も何度かミラー公爵領にお邪魔した事がある。王都からはそれなりに遠く、片道は四、五日要していた筈。
……相当無理をして、二日なんだろう。
私がそんな事を考えていた折、
「ところで、肝心のカルア平原の広さは、どれくらいのものなんだ?」
「……リグルッド王国の王都よりも広いよ。ロストア王国の王都がどれだけの広さかは分からないけど、全て見て回るなら一週間は掛かる、と思う」
投げ掛けられた問いに、私が答える。
この中で一番、カルア平原に詳しい人間だって自覚はあるけど、それでもその全貌は殆ど分からない、が本音だ。
理由は単純明快で、カルア平原に生息する魔物が異常なくらいに強過ぎるから。
それを踏まえて答えるとすれば、きっとカルア平原の中で人探しをするならその更に数倍は掛かると考えた方がいい。
……一瞬、そう言おうか悩んだけど、私は口籠る。マイナスに思考が寄ってしまう発言は極力控えるべきだと判断をしたから。
「でも、だからといって、二手に分かれて探す事は絶対にしない方がいい」
「ミイラ取りがミイラになるから、ですよね」
「……はい」
先に警告をと思って発言をしたはいいものの、既に事情を知っていたのか。
先生にそう言われ、私は小さく頷いた。
効率を考えるなら、二手に分かれた方がいいに決まってる。でも、優先順位は間違っちゃいけない。今の私は、エヴァンの臣下である。
故に、エヴァンを危険に晒す選択肢だけは拒絶しなくちゃいけない。それが、エヴァンをこうして巻き込んでしまった私に出来る唯一の責務であると思うから。
「だが、それ程危険であるならば、結界の前で止められる可能性はないのか? 自国の王子がそんな危険な場所に向かう事を許す臣下がいるとは思えないんだが」
「……その可能性は、限りなく低いでしょう」
「どうして」
「……こちらの殿下が性格が面倒臭い、という事も勿論ありますが、カルア平原での魔物討伐の任についている者達の忠誠が向けられている相手が王家では無いからです」
リグルッド王国の王太子の性格は……王宮に時折赴く中で色々と私も知ってしまってる。
面倒臭いというか、典型的な高慢ちきな思考というか。基本的にあの人の考えは自分至上である。本人は気付いてなさそうだったけど、扱い易いやつだからとおべっかを使っている連中を除いて、嫌われている、が正しいだろう。
王は王で、そんな王太子だとしても、そろそろ落ち着いてくれるだろうなどと考えて放置しているような現状。
まともな感性を持つものであれば、関わりたくないと思うのが普通。だから、その可能性は低いと口にするルイスさんの言葉に私も同意見だった。
「面倒臭い性格、というのはあからさまに嫌そうな顔を浮かべるヒイナの表情で大方理解した、が、忠誠が王家に向いていないとはどういうことだ?」
……え゛。
つい、心の中で留めておいたとばかり思ってたのに、エヴァンの言葉で違ったと理解させられ、反射的に己の頰に手が伸びる。
ぺたぺたと触りながら引き攣っていないかどうかを確認する私の様子がそんなに可笑しかったのか。
先生に笑われる羽目になってしまった。
「カルア平原での魔物討伐の任についている魔道師は、王家に忠誠を向けていた今は亡き魔道師に忠誠のような親愛を向けているからこそ、あの場に留まり続けてくれている」
「ベロニア・カルロスか」
「……ええ。その通りです。そして、彼らの守る対象は、ベロニア・カルロスが貫いた意志であって、王家ではない。故に、口を開けば不敬だなんだと言う人間を反感を買ってまで守ろうとする気はないでしょうし、何より、仮に彼らの手で止められていたとしてもあの殿下であれば、強行突破なりする事でしょう」
————プライドが特に高い方ですから。
だから、お前では危険過ぎる。
などと言われた日には、もう誰であろうと王子の意志を止める事は叶わなくなるだろう。
カルア平原にいた人達はいい人達ばかりだったけど、特にリグルッド王国の王子の事は嫌ってたっけなあ……。
などと思い出しながら、もう少し人に優しく生きたらいいのに。と、無性にこの場にいない王子さまに言ってやりたくなった。
「……成る程。お陰で色々と事情が見えてきた」
とどのつまり、カルア平原はリグルッド王国にあって、ないものと考えるべき。
そして、その存在はどこまでも軽んじられており、殆ど厄介払いの地と化してしまっている。
それが、カルア平原の実情であった。
それから更に歩き続ける事数分。
やがて見えてくる結界と、その付近に立ち尽くす人影。
私にとって、見知った人が視界に映り込んだ。
「————ベラルタさんっ」
紺色の髪を腰付近にまで伸ばした妙齢の女性。
特に、私の世話を焼いてくれていた元同僚の姿を見つけるや否や、私は一目散に駆け出した。
「……ん。なんだ、ヒイナかい」
少しだけ驚きながら、でもいつも通り優しい声音で私の名が呼ばれる。
ベラルタ・ヴィクトリア。
一応は、貴族の人間らしいけど、本人曰く、自称貴族嫌い。
そして貴族らしく在りたくないという意志のあらわれなのか。ベラルタさんの口調は女性らしくないものであり、面倒見の良い姉御肌な人だった事もあって、カルア平原で魔物討伐の任についている人の中でも私が一番仲が良かった人だった。
「それで、あんたがルイス・ミラーまで連れてるって事は……何か厄介事でも起きちまったかね?」





