二十六話 気遣いはいらなくて
「————駄目だ」
次の瞬間、ルイスさんの懇願を拒絶する言葉が場に響いた。
私の反応を待たずに紡がれたそれは、エヴァンの発言であった。
「エ、ヴァン……?」
私の力が必要であるのだと、わざわざ私の下にまで赴き、頭を下げた相手の気持ちに応えるつもりであった私は、彼のその対応に呆気に取られる。
次いで、難色を示すエヴァンの表情が私の視界に飛び込んできた。
「仮にヒイナが、貴方の懇願に頷いたとして……骨折り損になるだけならまだいいが、あの時の二の舞にならない保証はどこにある?」
————あの時。
エヴァンの口から出てきたその言葉が、私が王宮から追い出された事に関するものであると、すぐに理解する。
でも、その事とルイスさんは関係ないと先の会話で明白になったじゃないかと言おうとして。
「そもそも、追い出された人間が、追い出した張本人を助ける義理がどこにある?」
そんな至極当然とも言える発言に、口籠る他なかった。
「……ええ。その事は、重々承知しております」
だからこそ、頭を下げる事に躊躇いはないし、その上でこうして恥を忍んで頼みに来たのだと浮かべる表情が全てを物語る。
私自身が王宮魔道師という立ち位置に然程固執していなかったからなのか。
追い出された人間であったけれど、ルイスさんの頼みならばと頷こうとする自分が多分を占めていた。それ故に、どうしてエヴァンがそうも、拒絶の意思を突き付けているのかが分からなかった。そんな折、
「心配なんですよ」
新たな声が、私の思考に混ざり込む。
それは、エヴァンの後を追ってきたのであろう先生の声音であった。
「エヴァン様は、ヒイナさんがまた傷付く事になるのではないかと、心配しているんですよ」
歩み寄る足音と共に聞こえてくる慈愛を感じさせる優しい声音が、私に向けられていたのだと自覚する。
……全く気にしていないと言えば嘘になる。
だとしても、私にはそれを差し置けるだけの理由があった。
本人は助けられた事に対する恩返しであると頑なに言って聞いてくれなかったけど、王宮魔道師に推挙してくれた一件は、私の中ではルイスさんへの恩として認識していたから。
結果的にそれは骨折り損になってしまったけど、それでもあの時の恩を返せるかもしれないこの機会を私は逃したくはなくて。
「……私の事は別に————」
「別にじゃない。たとえヒイナが気にしないとしても、おれが気にする」
————気にしなくて良いのだと。
そう言おうとした矢先、即座に言葉をエヴァンに遮られた。
続け様に、言葉の向かう先は私からルイスさんへと移動する。
「公式な頼み事であれば、父も兵を貸してくれるだろう。だが、公式であれ、非公式であれ、リグルッドが関わっているのなら、おれはヒイナを関わらせる気は無い。……特に、そっちの王子殿下絡みの話であれば、尚更だ」
決定的なまでの「拒絶」であった。
……それが、100%エヴァンの都合によって口にされた言葉であったならば、私はそれを無理矢理に押し切ろうと考えたかもしれない。
でも、その言葉は私を案じての言葉だった。
だから、ルイスさんの懇願に頷こうにも、容易に頷けなかった。
妥協はない。
そう言わんばかりの態度を貫くエヴァンに説得は無理だと諦め、私は先生に視線を移すけれど、先生も先生で私の意見に賛同をしてくれるような様子ではなかった。
「…………」
ルイスさんは、私ならば。
と思って、わざわざ私を探し、そして隣国にまで赴いて下さった。
カルア平原の脅威は私もよく知るところだ。
だから余計に、今すぐにでも助けに向かわなきゃ、という気持ちが増幅する。だけど、エヴァンはダメだと言って聞く様子はない。
しかも、私への気遣いからの言葉であるが為に強く否定する事は憚られる。
……雁字搦めだ。
そう思った————直後だった。
「いやいや、そこは彼女に行かせてあげるべきだと僕は思うけどなあ?」
開かれたままであった扉の先から、私の感情を後押しする言葉が不意にやってきた。
それは、やる気を感じさせない間延びした独特の声音。
一瞬にして、場にいた全員の視線が一斉に、声の主へと集まった。
そこには、貴族然とした身なりの、赤髪短髪の男がいた。声のやる気の無さとは裏腹に、顔のつくりは精悍で、その相貌からは鋭利な刃物。なんて印象を思わず抱いてしまう。
「気遣いは大事だとも。心配も必要だ。それが親愛を抱く相手であれば、尚更でしょうねえ。でも、過去の清算ってやつも、同じくらい大事だと僕は思うがねえ。ま、殿下の気持ちも分からんでもないけど」
髪を右の手で掻きあげ、そして掻きまぜながら、へらへらといい加減な態度を貫く彼を見て、「……レヴィ」と、物言いたげな視線を向けながらエヴァンは小さく呟いた。
その呟かれた言葉に心当たりは、一つ。
先のミラルダ領での一件の依頼を斡旋してくれた貴族の名前が確か、レヴィという名であった筈だ。
「それに、馬鹿をしたのが彼女を追い出した張本人ってなら、真正面から文句を言うにはこれ以上ない機会だろうしねえ?」
「……違いますから。そんな不敬な事する気はこれっぽっちもありませんから」
冗談半分に口にされたその一言を、そうだったのか……? と、エヴァンが割と本気で信じ込みそうだったので慌てて否定。
なんて事を言うんだと半眼でじっと見詰めてやると、冗談、冗談と笑いながら謝罪をされた。
……なんか、調子が狂う。
「……それより、何でレヴィがここに居るんだ」
政務はどうしたんですか、政務は。
と、諦観の込められた言葉と共に付け足された先生の言葉に、サボりに決まってるじゃんとさも当たり前のようにレヴィさんが即答。やがて、
「いや、さあ? ネーペンスの件でノーヴァスに進捗を聞こうと思ったら、まさかまさかもう殿下が帰ってきてるじゃん? だからその事について聞こうと思ったんだけど……何やら面白そうな話をしてるからさ。ちょっと、首を突っ込んでみようかなってねえ」
喜色に弾んだ声が発せられると同時、あからさまにレヴィさんの唇のふちに微笑が浮かぶ。
それは、好奇心に支配された子供が浮かべるような、そんな笑みであった。
やがて、扉の側にいたレヴィさんは何を思ってか、私の下へと歩み寄り、そして目の前で立ち止まる。次いで、「はい」と言われて透明の液体が注がれた瓶を差し出される。
「いくら向かいたいと思ったところで、肝心の手段である魔力がすっからかんじゃどうしようもないでしょ? だからこれ。君にあげるよ」
差し出された液体を注視して見てみれば、そこには魔力が内包されていた。
所謂それは、ポーションと呼ばれている魔力回復剤。そして、それが二本。
恐らく、エヴァンの分も。
という事なのだろう。
……やけに準備がいいと言うか、何と言うか。
「……適当な男ではありますが、能力だけは優秀なんです。一応コレでも、殿下と同様に〝天才〟と持て囃されていた人間ですから」
「能力だけはってひっどいなあ? これでも、顔も割と良いつくりしてると思うんだけど」
「……こんなふざけた男ではありますがね」
念を押される。
余程、先生はレヴィさんの事を認めたくないのだろう。その点はひしひしと伝わってきた。
「とはいえ、この提案は全員にとってメリットがあると思うんだけどね。だからそう、親の仇でも見るように睨まないで欲しいんだけどな」
苦笑いしながら告げられたその言葉は、終始複雑な表情を浮かべていたエヴァンに向けられたものであった。
「メリット?」
「そう。例えば僕だったら————そこのミラー公爵に恩が売れちゃう、とか。ミラー公爵は義理堅い事で有名だしねえ。彼に恩を売れるのなら、ここでちょっとお高いポーションを消費したところで安い安い」
「……成る程」
ルイスさんの義理堅さは私も知るところであった。だからこそ、ルイスさんに恩が売れるのであればと考えて行動したと言うレヴィさんの言葉には道理でと納得できる部分が多分にあった。
「なら、おれにとってのメリットはなんだ」
「そんなの決まってるでしょうに」
待ってました。
と言わんばかりに、レヴィさんの笑みが一層深まる。そして、
「ムカつくバカ王子に堂々と文句をぶちまけてやる権利。他にもある事にはあるけど……これ、魅力的に映りません? 助けに向かえば、かなりの高確率でこの機会に恵まれると僕は思うんですけどねえ」
へらりと笑いながら、レヴィさんはそんなとんでもない事を言い放つ。
……バカ王子、とは恐らくリグルッド王国の王子の事なのだと思う。
だけど、リグルッド王国の貴族————しかも、公爵位を賜っている人間の前で、バカ呼ばわりしちゃだめでしょ……!!
そして案の定、エヴァンは目を丸くし、口は閉口。ゆっくりと一回、二回と瞬かせる。
呆れて物も言えないんだよこれ絶対。
と思う私であったけれど、何故かレヴィさんはその様子を前に、後一歩。なんてとち狂った感想を抱きでもしたのか。
「結果的に、追い出された事が殿下にとってプラスに働いたとはいえ、それでも言いたい事は結構あるんじゃないです? それに、その子の事が心配なら、殿下が守ってやればいい。たったそれだけの話でしょう」
故に、ルイスさんの懇願を受けるべきだと。
そう言うレヴィさんの言葉をにべもなく一蹴する発言が————
「……確かに、それは悪くないかもな」
————何故かやって来なくて。
それどころか、全く真逆の言葉が私の鼓膜を揺らした。
「いやいや、ダメだから。それは絶対にダメですから」
難色を示していたエヴァンが乗り気になってくれる事は私にとって良い事ではあったけど、理由が理由なので慌てて止めにかかる。
そんな私の内心を知ってか知らずか。
けらけらと楽しそうにレヴィさんは笑っていた。





