二十五話 カルア平原
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「ご無沙汰、とは言っても、1週間程度ですけども……お久しぶりです、ルイスさん」
ルイス・ミラー公爵閣下。
本当は、そう呼ぶべきなんだろうけど、以前そう呼んだ際に、ルイスさんがやめてくれと言われていた。だから、私は公式の場を除いてルイスさんと呼ぶようにしていた。
〝第九位階光魔道〟でミラルダ領から帰還し、ルイスさんの待つ場所へと急いだ私は、挨拶を口にすると同時に下げた頭をゆっくりと上げてゆく。
そして、視界に映り込むルイスさんの相貌。
黒曜石のような瞳に、知的さを感じさせる面立ち。いかにも文官、といった印象を抱いてしまうけれど、それが半分正解で半分不正解である事を私は知っている。
「いいえ。ご無沙汰で合っていますよ。1週間とはいえ、随分と長い1週間でしたから」
その発言には、隠しきれない疲労感がどうしてか滲んでいた。
続け様、殊更に深いため息を一つ。
やがて、何を思ってなのか。
今度は何故か、ルイスさんが私に対して頭を下げてくる。
「ル、ルイスさんっ!?」
「今回の一件は私の落ち度です。入念にちゃんと、手を回しておくべきだった」
そこを気をつけていれば、私が追い出される事は無かったと、彼は言う。
……で、も。
「……頭を上げてください、ルイスさん。確かに追い出されはしましたけど、私が王宮魔道師に志願した目的は果たせましたし、責めるなんてとんでもない。もう何度目だって話ですけど、私を推挙して下さり、本当にありがとうございました」
一緒になって、私はもう一度頭を下げる。
頭を上げてくれる気配が無かったから、ならばと私も頭を下げ、二人して視線を床に向ける奇妙な状態に見かねてか。
「……ルイス・ミラー公爵殿」
後ろから、声がやって来た。
それは、エヴァンの声。
「それで一体、何の御用でお越しになられたので?」
私の態度。
それから、ルイスさんのこの態度から、悪い人ではないって分かってくれているのだろう。
その発言に、敵意のような感情は含まれてはいなかった。
エヴァンの登場により、頭を下げていたルイスさんは観念したように頭をあげる。
それを見て、同じように頭を上げた私の瞳には、何故か釈然としていなさそうな表情を浮かべるルイスさんが映り込んだ。
「……エヴァン王子殿下」
どうして、エヴァンまで此処にいるのだと、疑問符を浮かべているようであった。そして、様子を前にして漸く、「……あっ」と、彼の様子に合点がいく。
王宮を追い出された平民出の魔道師の側に一国の王子殿下がいる。どこからどう見てもその状況は異常でしかないじゃないかと。
だから私は、
「も、元々! ……元々、私はルイスさんに王宮魔道師になりたいと申し出た理由が、此処にいるエヴァン王子殿「敬称はいらん」……エヴァンに会う為だったんです」
二人の間に割って入る事は勇気が必要だったから、持ち合わせのなけなしの勇気を振り絞って声を張り上げた。
途中、指摘が入ったので言われるがままに訂正するも、そこについて触れる気はないのか。
特に指摘される事もなく、発言を耳にしたルイスさんは神妙な面持ちへと表情を変えてゆく。
やがて、
「……会いたい人がいる、とは事前に伺ってはいましたが……成る程、お相手はエヴァン王子殿下でしたか。確かに、それであれば少しだけ納得がいきます。特に————ヒイナさんの魔道について」
「……私の魔道、ですか?」
「明らかに誰かから教わったものだったでしょう? 馬鹿にするわけではありませんが、貴族でないヒイナさんが魔道を学べる機会というものは、間違いなく極めて少なかった筈」
だからこそ、他国の王子であるエヴァンが絡んでいたならば、納得出来る部分は多いとルイスさんは言う。
「……ただ、ならばどうしてリグルッド王国の王宮に……? ロストアの王子殿下が目的であったのであれば、言ってくだされば、私のツテを使ってロストア王国の貴族に優秀な魔道師として話を通す事も」
————出来たのに。
本心からそう告げてくれるルイスさんの物言いに、申し訳なく感じてしまう。
「……えっ、と、その、知らなかったんです。エヴァンが、ロストア王国の人間だとか、王子殿下だとか、全く話していなかったので」
臣下になれって約束を取り付けてくるくらいだから、貴族なのだろうなとは思っていた。
でも、それが隣国であるとは思わないし、何よりそんなに位の高い人物だとは露程も思っていなかった。
だから私は、手っ取り早く貴族との接点を作れるであろう王宮魔道師に志願したのだから。
やがて、そうなんですか? と尋ねるように、私からエヴァンへとルイスさんの視線が移る。
「ノーヴァスが、ヒイナに言うなと俺に口止めをしていたからだ。要らぬ厄介事を引き起こさない為にも、不用意に己の身の上話をするなと」
「……ノーヴァス・メイルナード殿ですか」
どうやら、ルイスさんは先生の事も知っているらしい。少しだけ複雑な表情を浮かべていた事は気になったけど、悪感情、というわけではなさそうだった。
「なるほど。事情は大方理解しました。……それで、私が訪ねさせて貰った理由、でしたね」
やや、言い辛そうに。
でも、言う他ないと割り切っているのか。
逡巡を思わせる開口、閉口といった躊躇が一瞬ばかし存在したものの、
「単刀直入に申しますと————ヒイナさんの力を貸して欲しいのです」
「力、ですか……?」
思わず、眉根が寄った。
理由は、そう言われる覚えが私に無かったからだ。
確かに魔道の腕を見込まれたから、王宮魔道師にと推挙して貰った。その事実は私もちゃんと認識している。
だけど、いくら見込まれたとはいえ、精々が平凡を少し抜けた程度でしかない筈だ。
なのに————。
などと私がひとり、思考の渦に囚われる中、エヴァンも私と似たり寄ったりの感想を抱いていたのか。
「話が見えない。事情をもっと詳しく話してくれ」
ルイスさんに向かってそう問い掛けていた。
「————カルア平原を、ご存知でしょうか」
対して、返って来た言葉はリグルッド王国に位置する平原の名前。
しかもそれは、王宮魔道師として私が勤めていた際、魔物の討伐をと担当していた場所の名前であった。
「……色々ありまして、うちの王子殿下がカルア平原に向かってしまったのです。しかも、最低限の供回りだけ連れて」
「色々って、ルイスさん……!!」
私の記憶が確かであれば、リグルッド王国の王子殿下は、とてもじゃないが、そこらの魔道師並みに戦える人では無かったはずだ。
加えて、向かうにしてもあまりに場所が悪過ぎた。
カルア平原。
そこは一言で表すとすれば、魔物の巣。
それが何より適当である事だろう。
魔物の発生原因とされる瘴気の量があまりに多く、その為、殲滅を目的とした討伐を諦めざるを得なかった地。故に、リグルッド王国は民に被害が出ないようにカルア平原の周辺に魔道師を配置し、それで現状維持をと試みていた。
そして、数年前に亡くなった方が編み出した結界を用いる事でリグルッド王国は魔物の被害を最小限に留めていた————筈なのだが、そこで結界の維持及び、偶に起こる結界からすり抜けてくる魔物の討伐の任をこなしていた私だからこそ、
「……それ、本当ですか?」
そう聞かずにはいられない。
ルイスさんが私に嘘を吐く理由はないだろう。
でも、そう分かってても尚、聞かずにはいられなかった。
カルア平原は特に広いがその代わり、結界を張っている人間に限り、結界内の魔力を大体ではあるが感知する事が出来る。
……ただ、結界を起動させられる魔道師はあの時の時点で、私を含めて10人程度だった。
曰く、結界を行使する適性を持った人間は、王国内でもひと握りとかなんとか。
しかも、その中の半数が引退寸前の魔道師ばかり。だから、探すとしても実質動けるのは両手で事足りる程度の人数だろうか。
……確かに、であるならば、一人でも多くの助けが欲しいという気持ちはよく分かる。
「でも、何でそんな事になったんですか……」
「……元々、私が王宮から離れる際に部下や殿下に言伝を残しておいたのです。ヒイナさんを丁重に扱ってくれと。……ただ、それが良くなかったようでして」
「よく、なかった?」
「ええ。負けん気、に似た感情でしょうか。平民に出来る事が己に出来ないわけがないと、飛び出してしまった……らしく」
お前はあの平民に謀られているのだ。
なに、その程度の行為、僕が代わりにやって来てやろうではないか。
などと、仰られていたようでして。と続けられたルイスさんの言葉に、思わず天井を仰いで溜息を吐きたくなった。心なしか、頭痛がする。
「……カルア平原の結界は、張る為には結界内に足を踏み入れる必要があります」
最年少であった事もあって、老齢の同僚達に無理はさせられないからと人一倍奔走していたから、結界の張り方もよく覚えてる。
そして、あそこの魔物は特に瘴気が濃い場所で生まれたからか、あり得ないくらいに強い。
だから、私も基本は逃げ回ってるし、倒そうと思ってもかなりの魔力を消費する羽目になる。
なので、倒すとしても、結界を通る事で疲弊した魔物ぐらい。
それもあって、無謀過ぎる。
という感想を抱かずにはいられない。
「……ええ。知っております。だからこそ、」
そこで殊更に言葉を切り、ルイスさんは何一つとして悪くはないのに、再び勢いよく頭を下げられた。
「虫の良い話とは存じていますが、今一度、お力添えを頂けませんか」





