二十四話 ルイス・ミラー
一面が白銀色に染められた眼前の景色。
そこに一筋の亀裂が入り込み、そして————私達の目の前で、瞬く間に紅蓮が全てを呑み込んだ。
————ばかげてる。
術者の本人ですらそんな感想を思わず抱いてしまうレベルの威力。
触れた先から周囲を埋め尽くす雪を、残らず溶かさんと紅蓮の炎はとどまる事を知らないと言わんばかりに未だ範囲を広げてゆく。
直接触れていなくても感じるぴりぴりとした肌を灼かれる感覚。その中心にいるであろう氷竜は、恐らくひとたまりもない筈だ。
「……ま、こんなもんだろ」
やがて、爆風に紛れて聞こえてくるエヴァンの声。次いで、重力に従うようにどすん、と尻もちをついたであろう音が続いた。
きっと、立ち続ける事すら辛くなるレベルで魔力を注ぎ込んだのだろう。
言葉では何事もなかったかのように取り繕ってはいたけれど、そこには隠しきれない疲労感が確かに滲んでいた。
「にしても、先生がこの場にいないのが残念で仕方ないよな。今のアレ、見てたら絶対驚いただろうに。見ろよ、あの雪崩まで吹き飛んでるぞ」
「……うっわ、本当だ」
……流石は第十位階。魔道における最高峰は伊達じゃない。
そんな感想を抱きながら、笑うエヴァンの言葉に、私も一緒になって驚く。
十年前までは、強い魔物を狩ってやろうだ。
先生ですら使えない魔道を使ってやろうだとか。どうにかして先生を驚かせてやろうぜ、みたいな風潮が私とエヴァンの間ではあったから少しだけ損をしたような気持ちに陥って。
次第に晴れてゆく爆風越しに見える景色を、目を細めながら確認しつつ、
「……ま、なんだ。取り敢えず、お疲れさん」
手持ちの魔力を使い切った事で、どっと身体を襲いくる疲労感。
それに身を委ねながら私もエヴァンに倣うように尻もちをつくと同時に労いの言葉がやってきた。
「エヴァンも、お疲れさま」
私達の頭上を覆っていた洞窟の壁は当然の如く先の一撃によってごっそり削れており、風通しの良い場所へと変貌していた。
だから、上を見上げれば必然、視界には空が映り込む。
鈍色の空だった。
でも、吹き込んでいた筈の雪の気配は既に何処か薄れていて。
「竜の次は……何を倒してやろうかね?」
手負いの竜の相手でさえ、一苦労どころじゃなかったのに、抜け抜けとそう言い放つエヴァンに苦笑を向けながら、
「私は当分パス。これが万全の状態だったらって考えると……もう頭が痛くなるもん」
そこまで行くと付き合ってらんない。
って答えると、冗談だよ、冗談ってちっとも冗談に聞こえない言い訳が私の鼓膜を揺らした。
兎も角、これで漸く一段落、ってところなのかな。そんな感想を抱きながら、私は白い息を吐いた。
* * * *
それから十数分後。
はぐれていたネーペンスさんと漸く合流した私達は、魔力がすっからかんだった事もあり、〝メヘナ〟に見つからないように気を付けながら、転移陣のある場所にまで一直線で戻る事になった。
その間に、見るからにふらふらだったエヴァンは途中、ネーペンスさんに背負われ————そして、ものの数分で意識を手放し、寝息を立て始める彼の様子に、笑わずにはいられなかった。
「信頼されてるんですね」
ざくざく。
積りに積もった雪を踏み締めながら、私は何となくネーペンスさんに問い掛ける。
十年だ。
十年以上経っていれば、あの頃とは色々と変わっているのが当たり前。
とはいえ、世界で先生しか信用していないと言わんばかりであったあの捻くれた少年が、他の人の背中に背負われて休息を。
という現実は割とかなりの驚きだった。
「……貴女ほどではないがな」
そう言って、ネーペンスさんが楽しげに笑う。
「私ほど、ですか」
その言葉には、若干の思うところがあった。
だから、それを言葉に変える事にする。
「……とはいえ、今回のこれは、良い機会でした」
「良い機会?」
「エヴァンって、ほら、ちょっと私に信頼を寄せ過ぎなところがありますし、それで私をえこ贔屓しちゃって周りから目を付けられては、申し訳が立ちませんから。だから、こうして臣下として活躍出来る場を得られて良かったかなと」
殆どコネみたいなものだけど、臣下をするからにはそこはちゃんとしたいんです。
って言うと、何故か鳩が豆鉄砲を食ったような顔をネーペンスさんは私に向けてきた。
……一体どうしたのだろうか。
「……貴女のそういうところが、殿下の琴線に触れたのかもしれないな」
流石に信頼を寄せ過ぎだよね。
っていう私の想いを汲み取ってか。
ネーペンスさんがそう答えてくれるけど、そういうところと言われても、私的にはどこ!? という感じだった。
「要するに、今のままの貴女が殿下に好まれている、という事だ」
「……はあ」
いまいちパッとしない答え。
でも、このままで良いのならまあいっかと考える事を放棄する。
やがて。
「それにしても、良いものを見せて貰ったよ」
「良いもの、ですか」
エヴァンのぐでーっと力尽きた様かなとか、変なことを一瞬ばかり考えてしまうけれど、
「これでも一応、魔道師の端くれ。故、魔道に対しては畏敬の念を抱いているものでな。第十位階クラスの魔道は一生に何度お目に掛かれるか分からない程の代物だ」
ああ、そっちかって納得。
「また改めて言わせては貰うが……竜の対処含めて感謝する。貴女と殿下を寄越してくれたノーヴァスにも感謝せねばならんな」
実に業腹ではあるが、あのサボり魔の公爵にも。そうネーペンスさんは言葉を付け加えた。
程なく見えてくる屋敷のシルエット。
忙しなく吹雪いていた吹雪も止み、視界は明瞭。それもあって、遠くの景色まで見渡せるようになっていた。
「それと、残った〝メヘナ〟の対処についてだが、こちらは問題ない」
厄介だったのは〝メヘナ〟よりもあの吹雪。
吹雪さえどうにかなったならば、後はこちらでなんとか出来る問題であると言い、ネーペンスさんは背負うエヴァンに一度視線を向けた。
「それに、殿下も含めて魔力はすっからかんだろう? 殿下と一緒に王城に戻ってゆっくりと休んでくれ」
今の私達であればたとえ居たとしても、体力の回復に努めるだけになる。
だったら、王城に戻ってゆっくりと。
という事なのだろう。
エヴァンがぐったりと寝ている間に勝手に返事をする事は気が引けたけど、魔力が回復するまで出来る事は何一つとしてないのでその言葉に私は頷いた。
「とはいえ、後数時間はミラルダ領に居てもらう事になるんだがな」
定時にノーヴァスに来て貰う事にはなってるんだが、それまでは帰る手段がないんでな。
と、ネーペンスさんが苦笑い。
〝第九位階光魔道〟が使える人がそう何人もいるわけがないよねって納得しながら、客間があるからそこで寛いでおいてくれと言う彼の言葉に再び頷いた。
そうこう話している間に屋敷へと辿り着き、そしてそのままソファで爆睡するエヴァンの頰を突いたりしているうちに時間は過ぎ。
やがて、転移陣を通してミラルダ領へとやって来た先生だったんだけれど、何故か少しだけ複雑そうな表情を浮かべていた。
「ルイス・ミラー公爵殿を、ご存知ですか」
開口一番にそんな疑問が私に向けられた。
そしてその名前は、私が王宮魔道師になるキッカケを作ってくれた人の名であり、かつて私が助けた人物の名。
ロストア王国の隣国にあたるリグルッド王国の貴族であった。
「ルイスさんは勿論知ってますけど……」
助けた。
という出来事があったからというのもあるだろうけれど、色々と私に良くしてくれた人だ。
忘れるはずが無い。
「……どうかしたんですか?」
あえて名前を出すくらいだ。
何かあったと考えるのが普通だろう。
少し前に目を覚ましていたエヴァンも、話が見えないと言わんばかりに、不思議そうに私の側で先生の言葉に耳を傾けていた。
「……ヒイナさんに会わせてくれと言って、王城に今いらっしゃるんですよ」
流石にいくら他国の貴族とはいえ、公爵を相手に追い返すわけにもいかなくて対応に困っていたのだと、先生は表情でそう物語っていた。
「やはり、お知り合いでしたか」
「……ルイスさんは、私を王宮魔道師にと推挙して下さった方です」
「……成る程、そういう事でしたか」
選民思想が深く濃く根付いたリグルッド王国の王宮に、平民である私が王宮魔道師としての地位を得られた背景にはそんな事があったのかと、ようやく合点がいったと、先生は納得しているようであった。
「しかし、そういう事であれば尚更無下には出来ませんね」
そう口にする先生の表情は、どうしてか苦虫を噛み潰したように渋面であって。
「……今の状態のヒイナさんにあまり無理をさせたくはないんですが」
その一言のおかげで、先生がどうして私にそんな表情を向けるのか。その理由が判明する。
先生の事だ。今の私が魔力すっからかんでエヴァンと一緒になって休んでいた事は当然、お見通しなのだろう。
だからこそ、今すぐにルイスさんの相手をさせる事は気が引ける、といったところか。
「問題ありません。もう、随分と休めましたし。それに、私の意思ではなかったとはいえ、王宮を出た時点で私がルイスさんにその旨をお話しするべきでしたから」
だから、彼に私は説明をする義務があるんだと言葉を続ける。
あの時はルイスさんが政務で王都を離れたばかりだったから、邪魔をしては行けないからとすぐに会いに行く事はしなかったけれど、どこかのタイミングで赴こうとは思っていた。
ただ、まさか向こうから来てくれるとは露程も思わなくて、そこに驚きはしたけど、これも良い機会であった。
「だから、その、そういう事であれば、ルイスさんに会わせていただいても良いですか」





