二十三話 二人で一つの
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「————しっかし、考えたもんだな。確かに、それなら正攻法じゃない上、恐らく魔道の連発よりもよっぽど目がある」
突として発動した〝第五位階火魔道〟。
それを生み出した張本人であるネーペンスさんと私との会話を側で聞いていたエヴァンが感心したように言葉を口にした。
————山を崩し、雪崩を起こす。
私達自身が既に雪崩によって被害を受けていたからこその発想。
あのアクシデントがここにきて活きるとは私自身も思いもしてなかった。
「……ほんっと、良いところで来てくれたよ、ネーペンスさんは」
絶体絶命のピンチであった。
というわけではないけれど、何かしらの変化が欲しかった事は確かだ。
幾ら手負いの相手であるとはいえ、まともに戦えば私達の魔力が尽きるのが先である事は目に見えて分かっていた事であったから。
「それで、返事は?」
「分かったって言ってくれた。あと、山を崩す事についても」
「まあ、氷竜をどうにか出来るのなら、山の一つを崩す事くらい微々たるもんだろうなあ」
ネーペンスさんならば、そう返事をするだろうなと信じて疑っていなかったらしいエヴァンは笑った。
そしてやって来る氷竜の叫び声。
殺気と怒りの塊がびりびりと空気を振動させ、伝播してきたそれは私達の下にまで容易に届いた。
小賢しい真似を……っ!!
遠間からのネーペンスさんの一撃。
それに気を取られた一瞬の意識の間隙を突いた私とエヴァンの攻撃。それらを翼を羽ばたかせ、紙一重で避けてみせていた氷竜はまるでそう言っているようでもあって。
「兎も角、ネーペンスさんがやってくれるのなら、私達は注意をひいておかなくちゃいけない」
雪崩を起こすにせよ、易々と躱されるわけにはいかない。絶好のタイミングで直撃させるのであればそれまで氷竜にソレを気付かせる隙すら与えてはいけない。
とどのつまり。
「となれば、もうやる事は決まったようなもんだよね」
勝てる見込みはついた。
ならば、後は先の事なぞ考慮に入れず、全てを出し切る勢いで氷竜の余裕を削り取ってしまうだけ。
ただ、結局、ゴリ押しでしかない選択を掴み取る事になってしまった為、やっぱりこうなっちゃうか、って堪らず笑みが漏れた。
「足、引っ張んなよ」
「それはこっちのセリフだから」
およそ本気とは思えない弾んだ声音で冗談めいた言葉が一つ。折角だから、その言葉に私も乗っかっておく事にした。
そして、エヴァンの視線が私から外れ、息吹らしきものを口内にて装填する氷竜へ。
「ま、というわけだから」
既に意思疎通は可能であると露見している為、きっとその言葉は挑発の意味も込められていたのだろう。
ちっとも緊張感を感じさせない普段と変わらない声音で————一言。
「もう少しだけ、付き合ってくれよ」
そう宣うと同時、金切音を立てて魔法陣が氷竜の両翼目掛けて展開される。
加えて、私達のすぐ目の前にも特大の魔法陣を一つ。肉薄をすれば、いつでもこの魔道を当てられるぞ。という牽制を以てして相手の行動を制限。
しかし、そんなものは関係ないと言わんばかりに灼熱の奔流が叫び声と共に撃ち放たれた。
その間にも、展開した魔法陣の照準から氷竜の身体は外れ、虚空に身を躍らせる。
だけども————。
「————そこに動くって、知ってたよ」
『————ッッ!?』
避けるとすれば恐らく、この場所に。
先程までのやり取りから大体の癖を把握し、予想した上で私もエヴァンに負けじと魔道を行使。
予想で以ての一撃故に、発動までの時間が通常よりも数瞬ばかり早かった。
そしてそれが、氷竜から「隙」を引き出す一手へと昇華される。
「自分の身を守る気はゼロかよ」
「信頼してるからね」
「……ものは言いようだな」
先の息吹の存在をガン無視した上での行動に、呆れられる。
でも、私の鼓膜を揺らすその言葉は、強ち満更でもないようなものであった。
その間にも迫る息吹。
だが、私達との距離がゼロになる一瞬前に、氷竜の牽制用と私が勝手に認識していた魔道が発動。
圧倒的な魔力量に物を言わせたとんでもない出力の〝第四位階火魔道〟によって、襲い来る一撃を————相殺。
でも、若干力負けしたのか、その反動が後方に位置していた私達に降り掛かっていたけれど、その程度は誤差の範疇。
爆風と錯覚してしまう程に吹き荒れる風に目を細めながら、私は展開していた魔道の名を叫ぶ。
「————〝第三位階雷魔道〟————!!」
雪景色に紛れて尚、存在感を主張する金色の魔法陣から出でるはバチリ、バチリと音を立てる雷の槍。その数、数十。
有無を言わせず発動したそれは、氷竜目掛けて飛来し、身体に確かな赤い線を刻んでゆく。
「魔法陣の状態ならかき消せるけど、発動したらかき消せない、ってところなのかな」
考察を一つ。
よく分からない吠え声で魔道をかき消さない理由は、かき消せないからであると自己解釈をし、ならばと考える。
「だ、っ、たら————」
無数の魔道をひっきりなしに展開して時間を潰してやろうと思っていたけれど、そう言う事ならばと考えを改める。
そして、飛来し、あらぬ場所へと進み地面へと直撃し掛けていた〝第三位階雷魔道〟に意識をやり、
「————こんなのは、どうだろっ!!!」
〝戻ってこい〟。
胸中でそう叫びながら私は空いていた右の手の五指をクイ、と動かし、強引に一方通行だった筈の進路を————ねじ曲げる。
「く、はッ! あいっ変わらず、すっげぇなそれ!!」
隣から笑い声が。
頰が裂けたかのような唇の笑みは、ずっと昔によく見た歓喜の表れ。
喜色に表情を染めながら笑うエヴァンの姿につられるように、私の頰まで綻んでしまう。
魔道を展開する前にかき消されてしまうのだから、展開し終わった魔道は出来る限り大切にするべきだ。
だからこその、このアレンジ。
ぶっつけ本番だった上、出来るかどうかも定かでなかった為、ダメ元だったけれど上手くいって良かったと内心を隠しながら追撃を開始。
そしてその間にも、今度は氷竜の頭上目掛けてエヴァンが魔法陣を複数浮かばせた。
「氷竜に高度を上げさせるな!! いくら雪崩とはいえ、飛ばれてちゃ当たるものも当たらなくなる!!」
「分かっ、てる!!」
雪崩を当てるか。
はたまた、雪崩に気を取られている隙に魔道を展開して一気に畳み掛けるか。
選択肢は二つあるとはいえ、それらは雪崩に氷竜が行動の選択肢を制限された場合の話。
だからこそ、私達は氷竜が雪崩から目を逸らせない状況下に持っていく必要があった。
「だけど、結構きっ、つぃよ、これ!!」
〝第三位階雷魔道〟を操りながら、それだけでは氷竜の脅威足り得ない故に、更に魔道を展開させ、そっちにもリソースを割きながらのやり取り。
恐ろしい程の魔力の消費量に気怠さを感じながらも、出来る限り気丈に大声で言葉を返す。
「でも、ヒイナならいけるだろ」
相変わらずの〝ど〟が付くほどの高評価。
しかも、それがお世辞でもなく紛れもない本心からの言葉なのだから救いようがない。
でも、そんな期待を寄せられるという事に悪い気しなくて。
だから、
「無茶を、言うっ!!」
無理とだけは口が裂けても言えなかった。
……まあ、到達点が見えないわけでもないし、限界まで頑張るつもりではいたんだけれども。
そして立て続けに魔法陣を浮かばせ、合わせ、陽動し、氷竜の冷静さを丁寧に削り、やがて。
「———————」
鼓膜を容赦なく殴りつけ、周囲一帯の視線を一斉に集める程の爆発音が、突如として響き渡った。次いで、上がる煙。
それは巻き上がった雪と混ざり合い、爆発の発生源は瞬く間に見通せない視界不良な地帯へと陥った。
ネーペンスさんが上手くやってくれたのだと音で判断する。そして、より一層気を引き締める。
……ここからが、正念場。勝負時。
「————来るよ、エヴァン」
何が。
と、言うまでもなく、爆発音の後。
場に降りた寸の静寂の後に続くドドド、という地響きに似た音が全てを物語っていた。
その勢いは。
その物量は、少し前に私達をのみ込んでくれた雪崩の比じゃないほど大きくて。
あれに巻き込まれたら今度こそひとたまりも無いなあって感想を抱きながらも、操っていた〝第三位階雷魔道〟を若干の動揺を見せる氷竜に全て差し向ける。
……今更逃げようったってそうはいかないんだから。
「く、はっ、逃がすかよ」
同じ心境であったエヴァンのこぼした言葉に同意しながら、物凄い勢いで迫る雪崩の存在など知らないと言わんばかりに、私達は氷竜を注視する。
直後、翼を羽ばたかせ、その場から離脱しようと試みていたであろう氷竜から私達を射竦めんと睨め付けられるも、それを黙殺。
私も一緒になって魔法陣を浮かばせる。
この好機を、逃す訳にはいかなかったから。
「ここまでやったんだから、最後まで付き合って貰うよ」
言葉を交わす暇すら惜しいのか。
意思疎通は出来るだろうに、声は一向にやってこない。
私達の呟きへの返事は、蹴散らしてやると言わんばかりの攻撃、その予備動作だけ。
そして、多少の損傷は仕方がないと割り切ったのか。
差し向けた〝第三位階雷魔道〟を避けた後、周囲に浮かぶ魔法陣を無視して私達の下へと肉薄を開始。
その速度は身体に刻まれる傷を感じさせない程の速さであり、十秒もあれば私達の下にたどり着く事だろう。
故に、迷う暇なぞどこにも無かった。
「よし、ヒイナ。アレをやるぞ」
服の袖を捲ったエヴァンの右手が、その言葉と共に前へ突き出される。
事前の打ち合わせは一切ないにもかかわらず、アレ呼ばわり。
平時であれば、アレで分かるもんか!
と、言ってやりたくもあったけれど、幸か不幸か。その一連の動作で何をやるのか、私は分かってしまった。
だから————応じる事にした。
『————うんっ、と強い魔道を教えてくれ』
それはかつての記憶。
十年以上前に、私の前でエヴァンが先生に対して言っていた言葉であった。
ここで言う強い魔道とは、使い手が世界全土を見渡せど、両手で事足りる程しかいないとされる十位階以上の魔道。
ただ、その教えを乞われた先生は私達がどう足掻いても使えないと見越した上でなのか。
案外、あっさりと教えてくれた。
だけど、案の定と言うべきか。
どれだけ練習しようとも、その魔道だけは十全に使う事が出来なかった。
『人外と呼ばれる方々でさえ、苦労する魔道ですよ。そう落ち込む必要なんてありません』
それが気休め程度の慰めではなく、本心からの言葉であると知って尚、エヴァンはその鍛錬は隙を見つけてはどうにか出来ないものかと試行錯誤していた。
そんなある日。
『二人で一つの魔道を完成させる、とかどうだろ』
漸く諦めがついたのか。
と思ったところで、思いもよらない発言が私に向けられた。
本来であれば一人で行使する魔道を、どう頑張っても出来ないからそれならいっそ、二人で完成させてみるのもアリなんじゃないか、と。
んな馬鹿な。
なんて初めは思ってたんだけれど、私は人よりずっと器用だからいけるかも。
と、先生までも乗り気になっちゃって結局、私までも付き合わされた記憶はまだ鮮明に思い出せる。
だから、すぐに分かった。
エヴァンが、何をやりたいのか。
何を求めているのか、が。
まさか、一度も成功したことの無い魔道をここでチョイスしてくるとは露程も予想できなかったけれど……迷ってる暇はどこにもなくて。
もう、どうにでもなれ!
そんな感想を抱きながら、エヴァンに倣うように私は左の拳を突き出した。
発動するは、火属性魔道の最高峰に位置する第十位階。
二人で協力をして、やっと僅かな糸口が掴めるレベルに困難な魔道であるけれど。
どうしてか、この時だけは不思議と出来る気がしたんだ。
無謀だとか、無茶だとか、出来ないとか。
なんでここでそのチョイスなんだよとは思えど、不可能であるとは思えなかったんだ。
何より、魔道を撃ち込めるとすれば、雪崩を起こしたお陰で氷竜が勝負を急いて冷静さを失っている今しかなかった。
そして、視界に氷竜の姿がすぐそこにまで迫ったその時。
眼前に紅蓮に彩られた特大の魔法陣が描かれ————程なく、私とエヴァンの声が綺麗に重なった。
「食らっとけ————〝第十位階火魔道〟————ッ!!!」





