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二十二話 ウィスパー

* * * *


 瀑布を想起させる白い煙。

 耳をつんざく程の爆音を伴ってそれはあたり一帯に向かって容赦なく存在感を主張した。



「……成る程たしかに。これ程であれば、あのノーヴァスが殿下と比肩する〝天才〟であると口にするのも頷ける」


 極寒の寒さ故に、汗といったものは流れない筈であるというのに、冷や汗が流れたかのような錯覚に陥りながらも、はぐれてしまっていた彼——ネーペンスはやや離れた場所にて、エヴァンらが生みだす光景を前に言葉を口にする。


 そこには努力で至れる限界、その先を超えた正しく天賦の才と言い表すべき技量による応酬が行われていた。

 眼前を埋め尽くす程の量の魔法陣。


 それがたった二人と一体の竜によるものであると一体誰が信じようか。

 しかも、その実力は伯仲しているようにも見える。


 幾ら手負いの竜とはいえ、恐怖に身を竦ませず、現実を現実として見据え、唯々最適解を手繰り寄せ続けるあの胆力は。度胸は。

 少なくとも、ただの少女や、ただの魔道師と言い表す事が烏滸がましいと認識するに至るには余りある光景が、まごう事なき現実としてそこに広がっていた。


「……悪いようにはならない、か」


 ポケットに手を突っ込み、くしゃりと手の内で軽く折り畳まれた紙を握り潰しながらふと、思い起こす。

 それは、エヴァンとヒイナがミラルダ領に姿を現す前。ノーヴァスから寄越された手紙に記載されていた言葉であった。


 貴族としての誇りをネーペンスが強く抱いているという事実を認識していたからこそ、ノーヴァスは何よりも最初にヒイナの存在を明かしていた。


「……まぁ、平民が好きでない事は確かなんだがな」


 あの、ノーヴァスの事だ。

 恐らく、己が平民を好んでいない事を知った上で、あえて寄越したのだろうと薄々予想出来ていた事が事実であったのだと改めて認識をする。

 理由としては、平民を好んでいない己の悪感情のようなものを払拭する為に、なんてところか。


 実にノーヴァスらしい手法だ、などと感想を抱きながらネーペンスは苦笑した。


「私も頭ごなしに嫌っているわけじゃないと言うのに」


 選民思想を抱いている、という点は決して間違ってはいない。

 しかし、貴族であるという事実の前に、ネーペンスは魔道師である。


 故、あくまで魔道に関しては如何なる虚飾すら剥いで認識するつもりであったのだ。

 有能であると己の目で判断すれば、別にエヴァンが彼女を側におこうと何一つとして口を出す気は無かった。

 

 だからこそ、心外だ。

 などと思わざるを得なかったのだろう。


 抱いた感情ごと吐き出さんと、白い溜息が続いた。


「……しかし、どうしたものか」


 邪念を振り払い、気を引き締める。

 そして、目の前に映る現実を見詰めながら考えあぐねる。


 用意された選択肢としては、助けに向かう。

 この一つしかそもそも存在し得ない。


 だが、あの中に交ざる。ともなると、僅かながら躊躇いに似た感情が生まれてしまう。


「……あそこには、交ざるわけにもいくまい」


 氷竜と対峙し、互角の戦いを演じるヒイナとエヴァンであったが、それは絶妙なバランスのもと、成り立っている互角である事は目に見えて明らかだった。


 例えるならそれは、薄氷の上をギリギリの綱渡りで渡っているかのような。

 たった一つの要素で崩れてしまう程の脆い拮抗。言語という意思疎通の手段を限界まで省き、以心伝心とも言える境地に達した二人だからこそ、相対出来ているのだとネーペンスは判断を下していた。


 だからこそ、今すぐに交ざって加勢する。

 という選択肢だけは選べない。

 それが事態の好転を促す行為であるとは思えないから。


「かといって、黙って趨勢を見守るという選択肢もあり得ない」


 ここは他でもないミラルダ侯爵領。

 自領の問題を全て他者に丸投げし、全てを委ねる、という事は貴族の誇りが、己自身が何より許さない。


「……〝メヘナ〟を減らしておく、が一番現実的ではあるか」


 何をすればいいのか。

 そう考えた時、まず先に浮かんできた選択肢がそれ。……けれども。


「……いや」


 かぶりを振って一瞬前の己の考えを否定する。


「やはり、助力に向かおう」


 一見すると入り込む余地がないようにも見えるが、何一つとしてやれる事はない、事もない。


 三人で連携。

 という事は難しいにせよ、やれる事は他にもある。


 例えばそれは————。


「……〝第五位階火魔道(アブレーション)〟」


 ————陽動であったり。


 風鳴りのような小さな呟き。

 それは、紅蓮に染められた魔法陣として形となり、程なく氷竜の頭上に広がる。


 魔道を行使した事により、場に広がる驚きの波紋。顕著なそれを目視しながら、しかし、次の瞬間にはその魔道が無力化されてしまう。


「……チ、流石に一筋縄ではいかんか」


 怪我を負ってもやはり竜は竜。

 攻撃一つ容易に当てさせてくれないという事実を認識しながらネーペンスは臍を噛む。


 次いで、一瞬ばかり交錯する視線。

 ぎゅうぅ、と猫のように絞られた瞳に射抜かれ、ゾクリと悪寒に似た肌を刺すような感覚に襲われる。


 しかしそれも刹那。

 臆する様子を見せる間も無く、ネーペンスの下に一つの声が届いた。


『————ネーペンスさん』


 本来であればそれは聞こえるはずのない声音。

 だが、それなりに離れたこの場所にまで風に攫われる事もなく確かな声として聞こえている事実を前に、それが何であるのか。

 その判断をネーペンスは下す。


 ————〝第六位階系統外魔道(ウィスパー)〟————。


 〝第六位階系統外魔道(ウィスパー)〟とは連絡手段として用いられる魔道であり、遠方にいる相手に声を届けるだけでなく、パスを繋いだ相手の呟きすらも拾う事が出来るものであった。


 そしてそれが数ある魔道の中でもかなりデリケートな魔道故に、使い手が限られると知られる魔道であると理解をし、眉間に若干の皺を寄せながらネーペンスはその声に応じる事にした。


「……どうしましたか(、、、、、、、)

『良かった。無事だったんですね。一つ頼みがあるんですけど、良いですか? ……それと、私に対しては砕けた口調で全く問題ありませんよ』


 早口に言葉が捲し立てられる。

 その様子が、逼迫した状況下にいるのだと声の主——ヒイナの現状をありありと示していた。


「……頼みというのは?」


 丁寧語が普段のネーペンスの口調でないと見透かした上でのヒイナの発言。

 必要ないというのであれば良いか。と納得し、出来る限り短い最低限の言葉で返す。


『少しだけ。少しだけの間、時間を稼いで貰いたいんです。もしくは、私とエヴァンが時間を稼ぐので、魔道をある場所にぶつけて欲しいんです』


 そうして、完全に晴れ、明瞭になる視界。

 舞い上がっていた煙は薄れ消え、雪に彩られた景色と同化してゆく。

 それに伴って、一斉に魔法陣が虚空に浮かび上がり、騒がしい戦闘が再開された。


『……ッ。い、まの、ままだと、かなりジリ貧なん、で……っ』


 ヒイナの言い分は要するに、あの氷竜の注意をひけと。


 ————ほんっと、あれまでも避けちゃうって、流石に規格外過ぎるって……。


 会話の中で割り込んできた焦燥感孕んだ感想を前に、色々とここから見えない事態をネーペンスは把握する。


 先の爆発の中で、必殺とも言える一撃をヒイナが繰り出していたのやもしれない。

 しかし、それが全く効果が見られなかった。

 だから、嘆いているのだろう。


「……魔道をある場所にぶつける?」


 時間を稼いで欲しい。

 と言うからには、刹那の時間では不十分なのだろう。


 少なくとも、十数秒。

 意識を外せるだけの時間は必須である筈だ。

 けれども、生憎ネーペンスは時間稼ぎをする手段を持ち合わせていなかった。


 一瞬で無効化された先の魔道。


 そのタネが未だ分かっていないからこそ、例えどれだけ大仰な魔道を展開したところで二の舞になる未来しか見えなかった。

 だから、聞ける頼み事は前者ではなく後者。

 そして、その内容を確認する為に、ネーペンスはヒイナにそう問い返していた。


『はい。ネーペンスさん、には、魔道をぶつけて山を崩して(、、、、、)貰いたいんです。あと、出来ればその許可を』

「山……?」


 予想外でしかない突拍子のない発言に、思わず聞き返していた。

 山を崩せとは、これ如何に。


『もうご存知だとは思いますが、あの氷竜に魔道は効きません。厳密に言うなら、遠く離れていたり、意識の間隙を突けば何とかなりますが、それは現実的じゃないです』


 大技を展開している隙を突けるタイミングがかなり限られている上、遠くから魔道を行使したところで威力はそれだけ低くなる。

 何より、あの機動力の前では呆気なく躱されてしまう事だろう。


 だから、その発言にネーペンスも胸中で同意していた。

 しかし、ここでどうして山が出てくるのだろうか。そんな疑問に頭を悩ませる中、すぐに答えがやってきた。


『————魔道がダメなら、魔道じゃない他の力を借りればいい。それが私が出した答えです。山を崩して……それによって生まれる雪崩(、、)を氷竜にぶつける。恐らく、これが現状、私達が取れる手段の中では最善であると考えました』


 ちょうど、私達を襲ったアレを再現するように。

 そう、言葉が締めくくられた。

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