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十七話 どっちが臣下なんだか

* * * *


「……ひ、ひどい目にあった」


 積りに積もった雪の山に埋もれていた私は、顔を出す。

 そして、見上げても頂上が見えない程の断崖絶壁。先程まで自分達がいた場所を見詰めながら私は白い息を吐いた。



 先の一撃————〝第五位階火魔道(アブレーション)〟の「合わせ」は完璧だった。

 ただ、一つ問題があったとすれば、迫ってきていた雪崩れを消し飛ばした後に第二波、第三波と怒涛の勢いで雪崩れが続き、私達がそれに呑まれてしまったという点だろう。


 お陰で三人とも雪崩れに巻き込まれて離れ離れ。せめてもの救いは、エヴァンが掛けてくれた『魔道』のお陰で落下は勿論、雪崩れに巻き込まれて尚、殆ど無傷であった事くらいか。


「取り敢えず、エヴァンとネーペンスさんと合流しなきゃ」


 微かに残る温かみを手に感じつつ、離れ離れとなってしまった二人と合流すべく口を開いた直後。


「————いや、おれはいるぞ」


 聴き慣れた声が私の鼓膜を揺らす。


「……エヴァン?」


 何処からともなく聞こえてきたその声は、まごう事なきエヴァンのものであった。

 周囲を見渡すと、少し離れた場所から私と同様に積もった雪の山から顔が飛び出していた。


「直前まで手を握ってたからだろうな。おれとヒイナはそこまで離れ離れにはならなかったが……」


 左右を一度、二度とエヴァンが視線を向けて確認。やがて、いるべき筈の人間が見当たらなかった事を確認したのち、


「ネーペンスとは流石に離れ離れ、か」


 まぁ、あいつが一人になったところで心配はないから良いんだが。


 彼に対して不安はないのだろう。

 エヴァンはそう言って言葉を締めくくる。


 比較的近くにいたとはいえ、盛大に雪崩れに巻き込まれたのだ。

 離れないようにと手を握っていたならまだしも、そうでないなら離れ離れになっていても何ら不思議な事ではなかった。


 そして私達は雪の山から脱出を試み、身体に乗った雪を手で払ってゆく。


 そんな折。

 偶然にもある事に気付いてしまう。


 私がそれに気付けてしまった理由はきっと積もる雪が真っ白であったから。

 だから、強い色は特に目につく。


 エヴァンのちょうど背中にあたる部分は、どうしてか赤く滲んでいた。

 そして、何かが突き刺さっていたかのような痕も見受けられた。


「エヴァン!」


 慌てて私は駆け寄る。

 エヴァンは何も無かったかのように普段と変わらない表情を浮かべてるけど、怪我をしてる事は明らかだったから。


「……どうしたの、それ」

「ん? あぁ、ちょっと失敗してな。まぁなに、擦り傷だ。気にするなよ」


 ————失敗した。


 笑いながら口にするエヴァンのその言葉が何を意味するものなのか。

 私は、すぐに分かった。


 エヴァンという人間は、『魔道』の天才ではあるけれど、決して器用な人間ではなかった。

 ある意味で、物凄く不器用な人だった。

 そして、一度自身の内に入り込んだ人間に対しては、馬鹿みたいに優しい人。


 だからきっと、先の落下の際の衝撃を防ぐ『魔道』の調整を間違えてしまったんだと思った。


 たとえば、私とネーペンスさんに重きを置き過ぎて、自分を守る為の防御の『魔道』が疎かになってしまった、とか。


 そのせいで雪崩れの勢いによって岩壁に打ち付けられ、怪我を負った。

 たぶん、そんなところ。


「背中見せてエヴァン」


 私に傷を見られたくないのか。

 近づくや否や、背中を隠すように私と向き合おうとするエヴァンにそう告げる。


「……だから、気にする必要はないって」

「エヴァン」


 そこで、私に譲る気がないと悟ったのだろう。

 小さな溜息を吐いたのち、意地を張る事を諦めてエヴァンが私に背中を向けてくれた。


「……痛むだろうけど、触るよ」


 服越しからでも分かる、見るからに痛々しい傷を前に、それだけ告げて私は背中に右手を伸ばす。


 数ある『魔道』の中でも、治癒の『魔道』は傷口に手を当てなければ効果が薄れてしまう、という欠点を負った『魔道』の一つ。

 故に、痛いだろうけど、傷口の上から手を当てる他なかった。

 

「〝第二位階治癒魔道(ヒール)〟」


 転瞬、目に優しい薄緑の光が私の右手に宿り、やがてその光はエヴァンの背中を包み込んでゆく。


「……何で傷を隠そうとしたの」

「……『魔力』が回復したら、こそっと治すつもりだったんだよ。だって、ほら、恥ずかしいだろ。おれがやるって言っておきながら、自分は傷を負ってたとか」


 素直にいえば、私がすぐに治すし、必要以上に痛い思いをする事もなくなるのに。

 なのに何故か、エヴァンは意地を張る。

 三人分の防御『魔道』を行うってかなり難易度高いし、そう思う必要なんて何処にもないのに。


 私はそう考えるけど、エヴァンは違うらしい。


「私しかいないんだし、別にそんな事気にする必要ないでしょ」


 別に失敗したから言いふらすとか、その事についていじるとか。そんな性格の悪い事をする気なんてこれっぽっちもないのに。


「……それは知ってる」

「じゃあなんで」

「ただちょっと、見栄を張りたかっただけだ。今度からはちゃんと言うから許してくれよ」


 今後もこんな事が続き、私が気付けなくて傷が悪化。とかされたら嫌だったから問い詰めると、エヴァンも観念したのか、困り顔を浮かべて二、三、ぽりぽりと頭をかく。


「ところで、ヒイナは怪我してないか」

「お陰様で。でも、エヴァンは私の事より自分の事を心配しようね」


 私に掛けられた防御『魔道』はそれはもう、頑丈に頑丈を重ねたような完璧さであった。


 自分は『天才』、『天才』って私の事を呼ぶ癖に、自分が『天才』って呼ばれる事は受け付けないエヴァンの前だから言わないけど、その出来は正しく『天才』の所業だった。


「ヒイナが無事なら、おれ的には問題ないからこれで良いんだよ」


 怪我を負っても、それならプラスだな。

 なんて言って、エヴァンが笑う。


「……これじゃ、どっちが臣下なんだか分かんないよ」


 私のその的確な指摘を前に、エヴァンは目を泳がせる。でも、浮かべる笑みを崩す事はなく、悪戯を好む少年のような態度を貫いてるから、きっとこの在り方を変える気はないんだろうなって言葉はなかったけど分かった。


 エヴァンに悪影響だからって事で私、何か罪を着せられる事になるとかないよね……?

 ふと、不安に駆られた私は、此処から帰ったら先生を頼ろうと誓う。


 多分、私一人の力ではエヴァンはちっとも直そうとしてくれないだろうから。




 そして、それから更に数分程かけてエヴァンの背中の傷が癒えたタイミングを見計らい、言葉が発せられる。


「よし。ひとまず、休める場所を探すか」


 ————今後の事を考えると、休めるうちに休んで体力や『魔力』を回復させた方がいい。敵はまだまだいっぱいいるんだから。


 そう思ったからこそ、エヴァンのその発言に私は頷き、従う事にする。


 ここには未だ〝メヘナ〟が多く存在しており、その上、竜までいる可能性が極めて高い。

 先程まで行っていた逃走劇。

 加えて『魔道』の使用。


 いざという時に備えて、消耗した体力と『魔力』を回復させる事は最優先事項であった。


 しかし。


「——————」


 見計ったかのようなタイミングで不意に響く唸り声。

 肉食獣を想起させるソレが、何を意味しているのかなぞ、最早考えるまでもない。


 ただ、仕方が無かったとはいえ、真正面から対峙してどんな目にあったかは先程の雪崩れで嫌というほど思い知らされている。


 きっと、だから。


「……逃げるぞ!」

「……逃げるよ!」


 私達の声はぴったり重なり合った。

 それはもう、笑えるくらいのタイミングで。


 唸り声が聞こえた方角とは真逆の方向に向かって私とエヴァンはその言葉を最後に一斉に再び走り出す。


 つい、ほんの少し前までずっと走りっぱなしだったのに、その繰り返しだけは何としてでも避けないと!!


「ヒイナ」


 ふと、名を呼ばれる。


「あの洞窟に駆け込むぞ!!」


 そして丁度、視界に映り込む洞窟のような場所。明らかに何かの巣穴って印象を抱いたけれど、身を潜められそうな場所は生憎、その場所以外は見当たらない。


「あの中ならある程度音は抑えられるし、入り口を塞いでしまえば無限に〝メヘナ〟が湧くことはない!!」


 私が抱く懸念を見抜いてか。

 他に声が聞こえないギリギリのラインを攻めた声量でエヴァンが言う。


 厄介なのは先の雪崩れといい圧倒的な物量。

 その一点のみ。


 故に、中に何かが潜んでいようと、大した脅威にはなり得ない。寧ろ外の方がよっぽど厄介だ、と口にするエヴァンの言葉はもっともだった。


 かくして私達は、全速力で洞窟の中へと向かって駆け込んで行った。

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