十一話 テレポート
————彼女が噂の殿下の新しい臣下か。
あれから、シンシアに服を選んで貰い、エヴァンに即席で用意して貰った部屋にて一夜を過ごした次の日の事。
すっかり情報伝達は行われたのか。
ちらほらと城の中でそんな声が聞こえるようになっていた。
窓から薄茜色の曙光が射し込む早朝。
着替えたりと、ひと通りの準備を終えた私の下に訪れる一つの人影。
「先生が、もう準備出来たってよ」
エヴァンがそう言って、ミラルダ侯爵領に向かう為に服を着込んだ私に向かって声を掛けてくれていた。
ここからミラルダ侯爵領までは、馬車で向かうとなると十数日ほど要してしまう遠方に位置している。
ただ、その距離をゼロにしてしまう手段がたった一つだけ存在していた。
それが、多数存在する魔道師の中でも特に使える人間が限られている『魔道』——〝第九位階光魔道〟。
使える人間は、ロストア王国内でも先生を入れて二人しかいないらしく、それ故に私達をミラルダ侯爵領に送る役目を負う先生は、今回同行出来ないのだとか。
「魔物討伐、って話だけれど、私達の役目はここ最近、ミラルダ侯爵領で大量に魔物が発生してる原因を探ってきて欲しい、なんだよね」
大前提として、ここ最近、異常な速度で発生している魔物の討伐。
加えて、可能であればその原因を探ってきて欲しい。というのがミラルダ侯爵から寄せられた依頼であるらしい。
だからこそ、ある程度の長丁場は覚悟しておかなければならなかった。
多めに食料を詰め込んだバッグを閉じ、それを背負いながら私はエヴァンの方へと振り返る。
「急に発生するようになったって事は、やっぱり親玉みたいな魔物が出現したって事なのかな」
王宮魔道師として活動していた時にも、何度かそんな場面に遭遇していた。
そして決まって、その時は何やら親玉のような魔物が存在し、他の魔物を従えていた。
「恐らくは。ただ、少なからず心当たりはあるだろうから、侯爵から一度話を聞くべきだろうな」
「うん。それは勿論」
何も話を聞かずに猪突猛進に突き進む。
というつもりは毛頭なかったので、エヴァンのその言葉に頷く。
そしてひと通りの準備を終えた私は迎えに来てくれたエヴァンと共に、先生が待つ場所へと向かった。
◆
皎皎とした陣が床一面にびっしりと刻まれた城の中に位置する一室。
エヴァンに案内をされてやって来たその部屋の物珍しさに私が目を奪われていると、
「ヒイナさんは、初めてでしたっけ。〝第九位階光魔道〟を見るのは」
既にいた先生から、声を掛けられる。
「知識としては一応知っていたんですけど、実際に見るのは初めてですね。陣と陣を繋ぐ『魔道』、でしたっけ」
通常の『魔道』は望んだ場所に陣を刻み、そこから『魔道』を発現させる。
という順序を辿るものであるのだが、〝第九位階光魔道〟だけはそれらと異なり、予め、転移させたい場所に術者が陣を刻んでおく必要があった。
「ええ。あと、初めてという事でしたら色々と不快感が襲うかもしれませんが、それは時間の経過と共に治るはずですのでご心配なさらないで下さい」
「一種の酩酊感、みたいなやつだな。まあ、別にどうって事もない奴もいるし、特別深刻視する必要はないと思うぞ」
隣で話を聞いていたエヴァンがそう補足をしてくれる。
きっとエヴァンは既にテレポートの経験があるんだろうなって思いながら、私は彼らの発言に頷いた。
「にしても、エヴァンと二人で何かするって随分と久しぶりだよね。魔物討伐なんて一、二回しか経験なかったし」
————折角だし、おれら二人で魔物を倒しに行こうぜ。そんでもって、先生を驚かせるんだ。
まだまだエヴァンが悪ガキだった頃。
折角、『魔道』を使えるようになったんだし、ヒイナも魔物の討伐したいよな。
なんて申し出で押し切られ、二人で魔物討伐に向かった時の思い出が不意に思い起こされる。
「……おれとしてはもっと経験したかったんだが、あの時は先生にこっ酷く怒られちゃったからな。三度目はありませんって事でそこからヒイナも先生から『魔道』を教わり始めたんだっけか」
「そうそう」
すぐ側に怒っていた張本人がいるにもかかわらず、私とエヴァンは顔を突き合わせて笑い合う。
チャンスがあったら三回目もやりたかったよな。なんてエヴァンが付け足すものだから、先生はあからさまにため息をついて呆れていた。
初めこそエヴァンに『魔道』を教わっていたんだけれど、そんな事情があって私は先生からも『魔道』を教わる事になっていた。
「……十歳やそこらの子供が二人で魔物討伐なんて非常識にも程がありますからね」
そりゃそうだ、と過去の自分の行いながら、先生の言葉に私は苦笑いしつつ同意する。
そして程なく、キィン、と金切り音のような甲高い音が何処からともなく聞こえ始めた。
心なしか、私達の足下に広がる陣が薄く明滅を始めたようにも思えた。
「……まぁ、今のお二人でしたら、何一つとして心配はありませんのでこうして送り出せるんですがね」
好奇心旺盛は悪い事ではありませんが、当時はもっと、節度を守って行動して貰いたいものでした。
などと愚痴染みた言葉が付け加えられ、何も言い返せない私とエヴァンは二人して黙り込んだ。
やがて、何を思ってか。
エヴァンは私に開いた右の手を差し伸べてきた。
「手とか繋いでないと、偶に離れ離れで転移する事になる可能性もあるらしいからさ」
だから、この手を握れと言ってくる。
「へえ、そうなんだ」
そして私は差し伸ばされた手を握り返した。
何故か先生が微笑ましそうな表情で私達を見ていたのが気になったけれど、その思考は更に増大する金切り音によって掻き消される。
「あ、先生!!」
「……?」
でも直前に、ふと、言い忘れていた事を思い出した私は慌てて声を上げた。
「テレポート!! 帰ってきた時に、昔みたいに教えて貰えませんか!!」
エヴァンからも多くの『魔道』を教わっていたけれど、数で言えばやっぱり先生から教えて貰った『魔道』の方が多かった。
特に、エヴァンは感覚で教えてくれる為、ちょっと分かり辛いんだけど、先生の教え方はとんでもなく分かりやすくて。
「ええ。構いませんよ」
「やたっ」
「……これ、相当難しいぞ。おれは三日で諦めたしな」
「エヴァン様はやる気がなさ過ぎです」
先生から呆れられながらも、お前、本気か?
みたいな視線をエヴァンから向けられる。
折角、使い手がこんなすぐ側にいるんだから、何事も習得してしまえばいいのに。
と、私は思うけれど、エヴァンは違うらしい。
そうこう話している間に、陣からはポツポツと蛍のような光が生まれ始めていた。
恐らく、きっとそれがテレポートの発動兆候。
「続きはまた、今度三人で話しましょうか」
先生のその言葉を最後に話が切り上げられる。
そして、
「————いってらっしゃい」
その言葉を最後に、私の視界に映る景色は一変した。





