第二十八話 いんが
大変遅くなりました<(_ _)>
少々短いですが、少しずつでも進めていきます。
いつも誤字脱字報告、感想ありがとうございます。
信賢のルビを のぶたか としてしまっている件は順次直していきます…
松倉城に入って三月ほど経った頃、俺の元に美濃から会談の申し出が入ってきた。
「一色左京大夫が和睦を申し出ている?」
「はい。恐らく織田家が今川義元を打ち破ったこと、そこに大きく貢献した藤十郎様が松倉城に入られたことで、考えを改めたのかと」
「道三を討ち取っておいて面の皮が厚い事で」
「それもこの戦乱の世の習いかと。お会いなされますか?」
「俺を指名しているんだろう?ならまずは俺が会って、それから三郎様に繋ぐかは考えよう」
そうして使者を待っていると1人の若者が通されてきた。
「柳藤十郎殿、お目通り感謝致します。私は斎藤家家臣、竹中半兵衛重治と申します」
竹中半兵衛!あの有名な二兵衛の片割れか!
病弱設定もちらほらあった記憶があるが、中性的ではあるが見るからに健康そうな顔をしている。
〜ステータス〜
名前:竹中半兵衛重治
レベル:5
年齢:16
所属:斎藤家
職業:馬衆
称号:なし
状態:健康
体力:50/50
気力:50/50
妖力:-
力 :13
頑強:17(13+4)
敏捷:10
器用:12
知力:20
精神:12
幸運:6
忠誠:68(斎藤義龍)
技術:軍配
〜装備〜
主武器:数打ち(攻撃力3)
副武器:数打ち(攻撃力2)
頭:なし
胴:木綿の小袖/肩衣(頑強+2)
腕:なし
腰:木綿の袴(頑強+1)
脚:木綿の足袋(頑強+1)
装飾品1:なし
装飾品2:なし
「竹中殿、斎藤家が和睦を結びたいとのことだったが、その真意はなんだ?知っての通り、左京大夫殿はお父上であり、我が主である織田上総介様の義父である道三殿を討ち取り、その後も尾張との小競り合いを仕掛けていたではないか。それがどういう心変わりか?」
「すべては柳殿、貴方の存在のためです。左京大夫様は道三様を討ち取られた際、織田伊勢守家と連動して上総介殿を討ち取ろうと画策しておりました。またその後も織田達成殿とも誼を通じ、尾張を狙っておりました」
おい、今サラッと重要な事言ったな。過去のこととは言え、そんな共謀の事実を詳らかにしていいのか?
そんな俺の疑問の視線に応えることなく半兵衛は言葉を続けていく。
「ですが、その悉くは貴方1人の活躍により潰されてきました。貴方がいなければ上総介殿がここまで至ってきたかも定かではないでしょう。左京大夫様はこの事を重く受け止め、柳殿のいる織田家とは和睦を結ぶ判断を下したのです」
「背景は理解した。だが何故それを俺に真っ先に伝えに来たんだ?」
「上総介様との会談にすんなり漕ぎ着けなかった場合、その間に美濃と事を構えて欲しくないことをお伝えしたかったのと、あわよくば万一の時に上総介殿に取りなしをして頂けないかと」
なるほど。気持ちはわからんでもない。
千単位の兵を一人で相手取れるような化け物とは敵対したくないわな。
だが俺は頭を張っている訳ではなく、あくまでも中間管理職だから俺に言われてもなぁ。
「事を構える構えないは俺が決める事じゃないからなぁ。上総介様から攻め込めと言われたら嫌とは言えんし、そちらから誰かが手を出してきたらもちろん反撃はするぞ?」
「それはそうでしょうね。積極的に藤十郎殿の判断で攻め込まないでいてくれれば、こちらとしては問題ございません」
「そうか。取りなしに関しては、俺も戦わなくて済むのであればそれに越した事はない。一筆書くくらいはしても良いぞ。だが最終的に君と会う会わないや、今後どうするのかを決めるのは上総介様だ。俺はそこに介入する気はない」
俺がそう突き放すと半兵衛は拍子抜けしたような顔をする。なんだ、結構当てにしていたのか?
「いや、失礼。一筆いただけるだけでもありがたい。よろしくお願い致します」
会談が終わった後、俺は信長宛てに半兵衛くんとの会談を勧める書を認め、半兵衛に託した。
また松倉城に常駐している諜報員に同様の内容と、最近の市の様子を認めて走らせる。彼なら半兵衛よりも早く城に着くだろうから根回しとしても十分だろう。
そしてそのさらに三月後、信長と義龍の会談が行われ、同盟が結ばれた。
道三殺害についてはその動機も含めて義龍から信長に説明があり、その上で義龍から信長と帰蝶に謝罪があった。
実は義龍は道三の子ではなく、道三が追放した美濃国守護・土岐美濃守頼芸の子であること。道三を討ったことは敵討ちであった事が伝えられた。
ちなみに帰蝶を含めた他の兄弟は道三の息子であることも伝えられた。
親殺しは忌避されがちな戦国の世だが、敵討ちとなれば話は別。信長も帰蝶も納得したかはともかく、理解はしたらしく、謝罪を受け入れたようだ。
同盟が結ばれた後も俺は松倉城主を務めていた。
まだ斎藤家との同盟が成ってから日が経っていない為、状況が安定するまでは松倉城で様子を見ることになっていた。
城下から打ち上がる報告書や嘆願書をさばきながら、市といちゃいちゃしたり、鍛錬をする日が続く。
訳あって松倉城に居候している利家くんの元に娘を連れたまつちゃんがやってきて一悶着あったり、ひっそりと城下で利定くんに"壺打ち喜太郎"の異名が広がったりと色々小事件はあったが、平和な日常を享受していた。
だが1561年の春、傷だらけの竹中半兵衛が飛び込んで来たことで、そんな平和な日々は終わりを告げる。
斎藤家の因果なのか、斎藤義龍が弱冠14歳の息子である一色右兵衛大夫義糺(斎藤龍興)に謀反を起こされたのだ。
信長との同盟を弱腰と考えた龍興に同調した家臣は多く、義龍は半兵衛を含めた僅かな兵と共に常在寺へと落ち、救援を呼ぶ為に半兵衛が命辛々松倉城までやって来た、という訳だ。
これを受け、緊急性を感じた俺は半兵衛を背負って清洲城まで走り、救援の是非を問うことにした。
松倉城から清洲城までは約18km。今の俺のステータスなら人一人担いで気を使いながら走っても15分もあれば辿り着く。
信長は即時義龍の救援を決定。
俺は兵を率いる為、単身松倉城までとんぼ返りだ。
半兵衛が松倉城に辿り着いてから俺が戻ってくるまで僅か半刻の超スピード決裁だ。
俺は利定くんを始めとした手勢を連れて美濃へと急ぐことになる。
まさかこれが俺を釣り出す為の策の一つだったことも知らずに…




