別離
会うは別れの始まり、って言葉がある。結局のところ、人生の大半はさよならで構成されてるんだよ。人間はどんなに頑張っても、最後には全てとさよならしなけりゃならんわけだからな。俺たちの人生なんざ、しょせんは墓場への旅の途中なんだよ。なんとも切ない話だがね。
などと偉そうなことを言ってはいるが、やっぱり知っている人間が死ねば、悲しいもんだよな。誰かが死ねば、涙を流す奴がいる……それもまた人生だ。誰かが死に、別の誰かが涙を流す。その涙の量は、そいつの生きてきた価値なのかもしれないな。
ところで、俺が死んだら涙を流す奴はいるのかね。まあ、いないだろうけどな――
・・・
ミケーラは、ぼんやりしていた。
部屋ではテレビがつけっぱなしになっており、ニュース番組が垂れ流しになっている。アナウンサーが真剣な表情で語る、どこかの国で起きたニュースの数々……だが、ミケーラの耳には何も入っていなかった。
「なあなあ」
そんな中、マオが絵本を片手に持って歩いてきた。ぼんやりとテレビを観ているミケーラの肩をつつく。
「ん、なに?」
物憂げな表情のミケーラの前で、マオは絵本を開いて見せた。
「なあなあ」
言いながら、マオは絵を指差す。
「読んで欲しいの?」
ミケーラが尋ねると、マオはうんうんと頷く。
「わかった。じゃあ、読んであげるね」
言いながら、ミケーラはふと周りを見回した。
「おばさんたち、まだ帰って来ないの?」
そう、先ほどゾフィーとライノは買い物に行く……と言ったきり、まだ帰っていないのだ。そもそも、二人が出かけるというのは珍しい。
本当に、ただの買い物なのだろうか。
何かがおかしい……。
「な 、なあ?」
不安そうなマオの声に、ミケーラは我に返る。
「大丈夫だよ。おばさんは、そのうち帰ってくるからね」
ミケーラは、そう言って笑った。いくらなんでも考えすぎだ。ライノは確かに怪しい男だが、今さらゾフィーをハメたりはしないだろう。そう考えて自分を納得させると、ミケーラは絵本を読み始めた。
「勇者は魔法の剣を抜き、ドラゴンに立ち向かっていきました。ドラゴンは、とっても強い怪物です。勇者は怖くて仕方ありませんでした。でも、勇者は戦いを挑みます。そう、強いから勇者なのではありません。怖い時でも、勇気を振り絞り戦えるから勇者なのです……」
・・・
その頃、ゾフィーとライノは街中を歩いていた。
「本当に、ミケーラたちを助けてもらえるんだろうねえ?」
ゾフィーの問いに、ライノは口元を歪めた。彼は、いつになく真剣な表情である。
「どうだろうね。正直、何を考えてるか分からねえ奴だから……姐さん、くれぐれも気をつけてな。ニコライって男は、本物の化け物だからな」
ミケーラがニールを仕留めた直後、ライノの元に連絡が来た。なんとニコライからの呼び出しである。ゾフィーと、ミケーラの今後について話し合いたい。ついては、ゾフィーをこちらに寄越してくれないだろうか……ということだった。
「このニコライって奴は、ウッドタウンの実質的なボス……に近い存在だ。本人が直接支配してるのは街の三割くらいだが、いざとなったらニコライに逆らえる奴はいない。だから、話だけでも聞いてみてくれ」
ライノの表情は、いつになく真剣である。さらに、その目には不安の色もあった。
「ニコライは、あんたに危害を加える気はない、とも言っていた。あいつはそこらの雑魚と違い、嘘は吐かない。だが、妹のアデリーナは完全にイカレてる。アデリーナは、虫刺されが気にくわないだけで人を殺すような奴だ。機嫌を損ねないようにしてくれ」
「あんた、心配してくれてるのかい?」
からかうような口調のゾフィーの言葉に、ライノは顔をしかめる。
「姐さん、こいつだけは今までの連中とは違うんだよ。頼むから、慎重に行動してくれ。俺も付いて行きたいが、奴に断られたよ。ニコライは、あんた独りと話がしたいらしいんだ」
「どういう連中なのかね、まったく」
ゾフィーはのほほんとした態度だ。自身の置かれた状況を理解していないのだろうか……ライノは思わず頭を振った。
「とにかく、ニコライはあんたに興味を持っているらしい。くれぐれも気をつけてくれ……特に、アデリーナには」
ゾフィーの目の前には、怪しげな洋館があった。暴力と混沌の街に似つかわしくない、けばけばしくもファンタジックな外装である。まるで、童話などに登場する魔女の屋敷のようだ。
苦笑しつつ、ゾフィーは呼び鈴を鳴らした。すると、ドアが開く。中にいたのは、メイド服らしきものを着た少女だ。少女は、おずおずとした様子で口を開いた。
「あの、ゾフィーさまでしょうか?」
「そうだよ」
「では、こちらにいらしてください」
屋敷の二階に通されたゾフィー。前を歩くメイドが一つの部屋の前で立ち止まり、ドアをノックする。
「すみません……ゾフィーさまが、おみえになりましたのですが……」
「ああ、ご苦労。通してくれたまえ」
そこは、まだ昼間だというのに窓が閉めきられていた。日光を入れたくないようだ。また、家具も最低限のものしかない。屋敷のけばけばしい外装とは真逆である。
部屋の中央には、大きなベッドが設置されている。そのベッドの上には、美しく整った顔の男女が腰掛けている。
ニコライとアデリーナの兄妹だ。
「やあゾフィー、あなたに会えて嬉しいよ」
そう言って、ニコライは微笑んだ。しかし、ゾフィーの表情は堅い。
「回りくどいことはやめて、単刀直入に言うよ。あんたら、ミケーラをどうする気だい?」
「ミケーラ、か。彼女は大したものだね。まさか、ターゲットを全員仕留めてしまうとは。僕は、彼女をどうこうするつもりはないよ。好きにすればいい」
そう言うと、ニコライは微笑んだ。次いで、アデリーナも口を開く。
「お兄さまに感謝するのね。あんなゴミ以下の人犬、生かす価値なんかないのに……まあ、死なせる価値もないでしょうけど」
その言葉に、ゾフィーはギリリと奥歯を噛みしめた。出来ることなら、この女を殺してやりたい。だが、今は我慢の時だ。
まずは話し合う。そのために来たのだから。
「じゃあ、マオはどうなるんだい?」
「マオ? はて、それは何者だったかな?」
首を傾げるニコライを、ゾフィーは睨み付けた。
「クズみたいな連中に、猫みたいな耳と尻尾を付けられた女の子さ。さんざん殴られた挙げ句に、あたしのところに逃げて来たんだよ。その娘も、見逃してあげて欲しいんだ――」
「いい加減にしなさい、この害虫が。ゴキブリ以下の分際で、お兄さまに頼み事が出来るとでも思ってるの?」
アデリーナの言葉に、ゾフィーは顔を歪める。だが、懸命にこらえた。ここで短気を起こしても、何もならない。今はまず、ミケーラとマオを助けなくてはならないのだ。
殺すのは……話が通じない相手だ、と判断してからでも遅くない。
「そのマオとかいう娘は知らないが、好きにすればいい。だがね、ムルソーくんは渡してもらおう」
ニコライの言葉に、ゾフィーは口元を歪める。
「ムルソーを? どういうことだい?」
「ムルソーくんは、我々と同族である可能性が非常に高い。だから、是非とも引き渡して欲しいんだ。
聞いた話では、あなたの言うことなら何でも聞くそうじゃないか」
「嫌だと言ったら、あたしを殺すのかい?」
怒気を含んだ口調で尋ねるゾフィーに、ニコライはため息を吐いた。
「あなたは、自分の置かれている状況が分かっていないらしい。僕は、あなたに頼んでいるわけじゃないんだ。提案しているんだよ。これでも、だいぶ譲歩したつもりなんだがね」
冷ややかな表情のニコライに、ゾフィーは体を震わせた。だが、どうにか感情を押し殺して尋ねる。
「まず、同族とはどういうことなのか、あたしにも分かるように教えてくれないかな?」
「うーん、あなたに分かってもらえるかどうかは難しいところだね。まあ簡単に言うと、彼は人間じゃないんだよ」
「人間じゃ……ない?」
繰り返すゾフィーに、ニコライは頷いた。
「そう。彼はいわば、人間の手によって生み出された怪物さ。僕やアデリーナとは、また違うタイプのようだがね」
「お兄さま、ムルソーはあたくしたちとは違いますわ。奴は出来損ないです」
アデリーナが、横から口を挟む。すると、ゾフィーはじろりと睨んだ。
「出来損ないだあ?」
「そうよ。お前みたいな人間の言いなりになってるようなクズを、あたくしは同族とは認めたくないわね」
「まあまあ、そう言うな」
ニコライが言葉をかける。だが、今度はゾフィーが収まらない。
「あんたら、ムルソーの何を知ってるって言うんだい?」
「いや、あなたよりは詳しいはずだがね」
ニコライの表情が、微妙に変化した。だが怒っているわけではない。むしろ、どちらかといえば楽しそうだ。
「ムルソーはね、やっと人間らしくなってきたんだよ。ミケーラやマオの存在が、あいつを変えたんだ」
「あなたが何を言いたいのか、僕にはさっぱり分からない。どうしたいんだ?」
首を傾げるニコライに、ゾフィーは静かな口調で答える。
「ムルソーは、あんたらとは違う。あんたらみたいな人でなしじゃない。また、人でなしにはさせない。あたしが面倒を見る。あんたらには、ムルソーを渡せない」
「お前は、死ななきゃ分からないようね」
言いながら、アデリーナが立ち上がる。その顔には、残忍な表情が浮かんでいた。
「お兄さま、このゴミクズはあたくしが殺します。ついでに、その仲間もあたくしが片付けますわ。構いませんよね?」
だが、ゾフィーは怯まない。
「そうだね。あたしゃ、死ななきゃ分からない性分なのかも知れないよ。でもね、あんたらに言われたくないんだよ!」
怒鳴ると同時に、隠し持っていた拳銃を抜くゾフィー。
「ババアだと思って油断したのが間違いだよ! 身体検査くらいしとくんだったね! お前ら二人とも死んでもらうよ!」
叫びながら、ゾフィーはトリガーを引いた――
ゾフィーには、刺し違える覚悟があった。
このウッドタウンに来て、様々なものを見てきた。手足を切断されたミケーラ。猫のような耳と尻尾を付けられ、寿命まで短くされたマオ。他にも、不幸な人間を何人も見てきた。そのたびに、ゾフィーは涙を流し、心底からの憤りを感じていたのだ。
だが、目の前にいる兄妹は……この街の頂点にいるにもかかわらず、人の命をなんとも思っていないクズだった。いかにも楽しそうに、災いを撒き散らす害獣。多くの人を破滅させながら、振り返りもせずに歩いていく悪魔。まさに、ウッドタウンの象徴であった。
こいつらだけは殺す。
ゾフィーの銃弾は、ニコライの頭を撃ち抜く。彼女は冷静に、至近距離から狙いを定めトリガーを引いたのだ。
銃弾は、ニコライの眉間を貫いた……はずだった。言うまでもなく、この状態で生きていられる人間などいない。
だが、ニコライは立ち上がったのだ。何事もなかったかのように、顔に付いた血を手で拭っている――
「う、嘘だろ……」
ゾフィーは、あまりの事態にそう呟くことしかできなかった。
「あなたの命は奪わないと、彼に約束したんだが……こうなっては仕方ない。悪いが死んでもらうよ」
そう言うと、ニコライは手を伸ばす。
ゾフィーは、すぐに逃げるべきだった。
だが彼女は驚きのあまり、反応が遅れた。二メートルほどの距離から三発撃ち、一発は確実にニコライの眉間を捉えている。生きているはずがない。少なくとも、動くことなど出来るはずがなかった。
にもかかわらず、ニコライは何事も無かったかのように立ち上がり、手を伸ばしてきた。いつのまにか、その手には鉤爪が生えている。
鉤爪の生えた手が、ゾフィーの肩を掴んだ。爪が服を貫き、皮膚を傷つける。それは、ほんのささいなものである。ゾフィーのようなタフな女にとっては、針で突かれた程度の痛みだったはずだ。
しかし、ゾフィーの体は痙攣し始める。足に力が入らなくなり、彼女は崩れ落ちた――
「あなたの体内に、毒を流し込んだ。もう、体を動かすことが出来ないはずだよ。僕はね、顔に傷を付けられるのが大嫌いなんだ。もっとも、あなた方人間と違い、僕は傷を負ってもすぐ治るがね」
ニコライは、不快そうな表情を浮かべていた。だが、今のゾフィーには言い返すことが出来ない。呼吸すら困難になってきた。彼女は必死でもがこうとする。しかし、どうやっても手足は動かない――
「一つ教えてあげるよ。僕な体はね、心臓から無数のナノマシンを発生させているんだ。血中のナノマシンが、僕の傷を瞬時に修復する……だから、僕を殺したければ心臓を潰すんだね。もっとも今から死に逝くあなたには、無用の情報だろうけど」
ゾフィーは必死で起き上がろうとする。だが、体に力が入らない。呼吸すら、ままならないのだ。
やがて、全てが闇に覆われていく。薄れゆく意識の中、ゾフィーは心の中で呟いた。
みんな……ごめんよ。




