正義の定義
ウッドタウンでは、力が正義である。これは紛れもない事実なのさ。力なき正義は無能である……大昔の哲学者がそんなことを言ったらしいが、確かに力も無いのに正義を説いたところで、誰も聞いちゃくれないよ。
姐さん、あんたにはあんたなりの正義があるのだろうさ。だがな、ここにいる者のほとんどが力なき者なんだよ。群れからはぐれたて、転がり落ちた先がウッドタウンだった……そんな人間なのさ。
そんな連中に、人間らしく生きるのを説くなんざ不可能だよ。それが出来たら、あんたは教祖さまになれるぜ。
・・・
「また撮影?」
面倒くさそうに言うミケーラに、ライノはもっともらしい表情を作り頷いた。
「ああ、そうさ。あんたは今じゃあ、アングラの世界で知る人ぞ知る人気者なんだよ。だから、あんたの映像を撮っておきたいのさ」
「いつ死ぬかわからないから、って訳かい」
険しい表情で、ゾフィーが口を挟む。すると、ライノはへらへら笑った。
「いやいやいや……違うって。俺は純粋に、あんたの姿を撮りたいのさ」
ひとかけらの真剣さも感じられないライノの様子に、ゾフィーは思わず顔をしかめた。
「本当に、ふざけた奴だね……だけど、あたしが帰って来るまでは撮影するんじゃないよ」
そう言うと、ゾフィーは立ち上がりムルソーの方を向いた。
「ムルソー、ちょっと付き合ってくれないかい。リハビリしなきゃならないからさ」
彼女の言葉に、ムルソーは無言で頷いた。音も無くスッと立ち上がり、ゾフィーの横に付く。
そんなムルソーに、ゾフィーは微笑んでみせた。
「ありがと、ムルソー。じゃあ、あたしたちはリハビリしてくるから――」
「おい、ちょっと待てよ。リハビリなんざ、部屋の中でも出来るだろうが。何だって、わざわざ外に出るんだよ?」
ライノが慌てた様子で口を挟む。しかし、ゾフィーは聞く耳を持たない。
「冗談じゃないよ。家の中でじっとしてたんじゃ、頭がおかしくなっちまう。たまには、外に出ないと」
そう言うと、彼女はミケーラの方を向いた。
「あんたも行くかい?」
「いいや、あたしはまだやることがある。後で撮影をやるなら、なおさら今のうちにノルマをやっとかないと」
「そうかい……じゃあマオ、ミケーラを頼んだよ。すぐに戻って来るからね」
ゾフィーの言葉に、マオはうんうんと頷いた。だが、ライノは渋い表情だ。
「待てよ……どうしても行くのかい?」
「ああ、何か文句でもあるのかい?」
「当たり前だ。あんたら二人を野放しにしとけない。俺も行くよ。構わないよな?」
ライノの問いに、ゾフィーは呆れた顔で頷いた。
「好きにしな」
三人は、のんびりと街中を歩いて行く。人通りはさほど多くはない。それでも、あちこちの店には旅行客らしき者たちの姿が見られる。
杖を突きながら、ゆっくりと歩くゾフィー。だが突然、その足が止まる。彼女の目は、中年女が店番をしている屋台へと向けられている。
その屋台の脇には、手足を切断された子供がいた。ミケーラと同じく肘と膝の先がなく、虚ろな表情で地べたに座っている。しかも、その首には首輪が付けられており、首輪には縄が繋がっていた。その縄の端を女が握っている。
さらに、女主人が子供を怒鳴りつけた――
「あんまりチョロチョロするんじゃないよ! 言うこと聞かないと、ブン殴るよ!」
「ちょっと待ちなよ……なんだいアレは?」
ゾフィーは声を震わせながら、隣にいるライノに尋ねた。だが、ライノは渋い表情だ。
「いいから行こうぜ。あんなものに、いちいち関わるなよ」
そう言って、ゾフィーの腕を引くライノ。だが、彼女は動かない。
「いいから教えなよ。なんだいアレは?」
その問いに、ライノはため息をついた。面倒くさそうに語り始める。
「じゃあ教えてやる。ああいう子供がいた方が、旅行客が金を落とし易いんだ」
「じゃあ、あれは……子供の手足を、わざわざ切り落としたっていうのか? 自分の子供の……手足を?」
ゾフィーの声は震えていた。その震えが何によるものかは、考えるまでもないだろう。ライノは顔をしかめながら、なおも腕を引こうとする。
「そんなの知らねえよ。いいから行こう。これ以上、揉め事を起こさないでくれよ」
囁くライノ。しかし、ゾフィーが聞くはずもない。彼女は杖を突きながら、屋台に近づいて行く。
屋台の前に立つと、女主人を睨み付けた。
「あんた、いい加減にしなよ。こんな子供に口汚く……見苦しいんだよ」
「はあ? あんたにゃ関係ないだろ! 人の家のことに口出さないでくれないかな!」
女主人も、怯まずに怒鳴り返す。だが、その言葉がゾフィーを激怒させた――
「人の家、だと……よくそんなことが言えたな!」
喚くと同時に、ゾフィーは杖を振り上げた。
直後、屋台に叩きつける――
「な、何しやがんだ!」
女主人が喚く。と同時に、周囲からガラの悪い男たちが寄って来た。揉め事を収める役目のギャングたちだ。
すると、ムルソーが動いた。ゾフィーに近づいて来た男を一撃で殴り倒す。さらに別の一人を掴み、片手で放り投げる――
二人は意識を失い、その場で倒れた。
そして通行人たちは、唖然とした様子で倒れた二人を見ていた。ムルソーの超人的な強さを目の当たりにし、何も言えず口を開けていることしか出来なかったのである。
そんな中、ライノだけは顔をしかめていた。これ以上の騒ぎは避けなくては。
「姐さん、行くぞ。長居してたらヤバい」
そう言って、ライノは強引にゾフィーを連れて行こうとする。だが、ゾフィーは動かない。それどころか、屋台に怒りをぶつけていたのだ。
「お前ら! いい加減にしろ!」
叫びながら、ゾフィーは屋台を蹴飛ばした。さらに、杖を振り回し屋台に叩きつける。既に女主人は、子供を連れて逃げてしまったのに……ゾフィーはそれでも、屋台を壊し続ける――
通行人たちが遠巻きに眺める中、ゾフィーは叫び続けた。
「そうやって、僅かな金のために……人間をやめる気か! お前らがそんな真似をすれば、喜ぶのは大陸の肥えたクズ共なんだよ! そんな簡単なことが分からないのか!」
ゾフィーは感極まったのだろうか、涙を流していた。顔をくしゃくしゃに歪めながら、唖然として見ている者たちになおも喚き散らす。
「お前らがそうやって、小銭のために魂まで売り渡す……その様を、大陸の悪魔どもが見てほくそ笑んでるんだよ! お前らが小銭拾いに血道を上げれば、本物の極悪人がどんどん肥え太っていくんだ! そんなことも分からないのか!」
周囲に喚き散らしながら、ゾフィーはその場にへたりこむ。荒い息を吐きながら、怒りの表情を周囲に向けた。
「お前らみんな、何でここにいるんだ? 大陸で、落ちこぼれたからだろうが……大陸で、どれだけ多くの人間に虐げられてきたんだ? 弱者として、さんざん痛めつけられてきたはずだろ? その結果、ウッドタウンに来ちまったんだろうが……」
ゾフィーは、周囲にいる者たちに問いかける。だが、答える者は独りもいなかった。皆、何だこいつは……とでも言いたげな視線を向けるだけだ。
それでも、ゾフィーは語り続けた。
「なのに、ここに来て自分よりさらに弱い者を叩く……それでいいのかい!? あんたらが弱い者を叩けば、それだけ大陸のクズ共が――」
「いい加減にしろよ!」
ゾフィーの言葉を遮り、怒鳴りつけた者がいる……ライノだ。彼はいつもの軽薄な表情を一変させ、怒りを剥き出しにしてゾフィーを睨んでいた。
だが、ゾフィーも負けじと睨み返す。
「じゃあ、あんたはこのままでいいのかい!? こんな腐れきった場所で、一生を終えるつもりかい!?」
「ああ、そのつもりさ! あんたこそ、そんなにこの街が嫌なら、さっさと出て行けよ!」
怒鳴りつけるライノに、ゾフィーは黙りこんだ。さすがの彼女も、ライノの言葉に何かを感じたのだ。
そんなゾフィーに、ライノはなおも語り続ける。
「姐さん、あんたは卑怯だよ」
「卑怯?」
「ああ、卑怯さ。あんたには、ムルソーという最強のボディーガードが付いてる。ムルソーがいれば、このへんのチンピラなんざ皆殺しだからな。でもな、ここに住んでる連中には、そんな芸当は不可能なんだよ。力ある者の言いなりになるしかないんだよ。あんただって、十四の小娘じゃないんだ。それくらい分かるだろ?」
まくし立てるライノの表情は真剣そのものである。彼の中で蠢く何かを、ゾフィーに思いきりぶつけているのだ。
ゾフィーにも、その気持ちが通じたらしい。彼女の顔から怒りが消えている。神妙な面持ちで、ライノの話を聞いていた。
「みんな、あんたみたいに強くないんだ。ここじゃあ、力ある者に従うしかねえんだよ。でなきゃ、生きていけないんだ。ここじゃあ、力が法なんだよ」
一気に喋ったライノは、荒い息を吐きながら、ゾフィーが言い返してくるのを待った。だが、ゾフィーは無言のままだ。憐れむような眼差しをライノに向けている。
その視線が、ライノをさらに苛立たせた。
「だいたい姐さん、あんたにこいつらを責める資格があんのか? あんただって人殺しだろうが! あんたが、こいつらに正義を説くなんておかしいだろ!」
「確かに、あんたの言う通りさ」
ゾフィーが、ようやく重い口を開いた。その顔には、不思議なくらい穏やかな表情が浮かんでいる。
「ムルソーがいなかったら……あたしは、こんなこと言えやしなかっただろう。それどころか、今ごろ殺されていたかもしれないよ」
ゾフィーの口調は、静かなものであった。だが、その冷めた迫力に圧倒され、今度はライノの方が黙り込んでいた。
「けどね、あたしは言い続けるよ……あんたが何と言おうが、ね。嫌なものは、嫌なんだよ。この街は変わらないかもしれない。でも、あたしは言うのをやめないよ」
言いながら、ゾフィーは周りを見渡す。
ライノは、様々な感情の入り混じった顔でゾフィーを見ていた。ムルソーはいつもと同じく、無表情で突っ立っている。
そして他の野次馬たちは、固唾を飲んで見守っていた。一見すると、若い男と中年女の口ゲンカにしか思えないだろう。なのに、その口ゲンカの行方を多くの者が見つめていたのだ。
まるで、己の中にある二つの部分の対立を見ているかのように。
そんな状況の中、ゾフィーはなおも言葉を続ける。
「あたしに出来ることなんか、たかが知れてるだろうさ。でも、あたしはやめない。今は変わらなくても、いつの日か変わってくれる……あたしは、そう信じている」
「あんたに何が出来るんだよ。ウッドタウンは変わらねえんだ。今までも……そして、これからもな」
吐き捨てるような口調で、ライノは言った。しかし、ゾフィーにも引く気配がない。
「あいにくと、あたしは無力じゃないんでね……行くよ、ムルソー」




