その1 ひいい! 女の子がこっぢ見でるうう
「ふああ」
ボクは受付のお姉さんに起こされて、洗面所に向かっている。
時刻は八時半、あと三十分もすれば、この施設の職員や食堂スタッフが出勤してくるはずだ。
この世界に転生してきて数日が過ぎた、そんな朝である。
依然としてボクはまだ、ここの食堂に宿泊していた。
食堂の仕込みは朝早いはずだが、ギルドの営業時間にあわせて別の店で仕込んだものを持ち込んでくるようだった。
おかげで、この時刻までぐっすり寝られるのが助かっている、なんせ夜中は対オバケ警戒で忙しいのである。
「さて、ふうー」
鏡の前に立ち、自分のつま先を見下ろしながら深呼吸をする。
未だに自分の顔を見るのに躊躇してしまうのだ。
キョドってしまうのである、自分の顔に、情けない事に。
これは別人になってしまった事に対する慣れの問題もあるのだろうけど、そうじゃない、それだけじゃない。
鏡に映った〝女の子〟という存在に、ボク自身がボクに対してキョドってしまうから情けない。
鏡の中の女の子(自分)を見て、慌てて視線を落とし、胸を見て泣く。
朝洗面所でこのコントを繰り返すのが、ボクの日課になっていた。
でも鏡を見ないわけにはいかない、髪のチェックとか、そういう女の子らしい理由ならまだよかったのだが。
毎晩毎晩ボクの警戒を突破して、抵抗むなしくオバケがボクの顔にラクガキをしていくのだ。
どんなに今夜こそは朝まで起きてるんだと頑張っても、朝になったらぐっすり眠っている。
ここに出るオバケが繰り出す〝相手を眠らせる魔法〟にどうしても抵抗できないで、『木の棒』を抱き締めたまま気がつけば朝である。
そんなわけで、ボクは毎朝鏡の前で酷い目に遭っているのだ。
朝から女の子の視線に晒される身にもなって欲しいものだ、他の女の子はどうやって対処しているのか不思議である。
さて、意を決して鏡を見るか。
「あわわわ、女の子だああ。女の子がこっぢ見でるうう」
悲鳴を上げながらその顔を確認する、今日は猫のヒゲか、オバケのヤツめー。
ラクガキを消しながら、目に溜まった涙も拭く。
あ、違うぞ、これはあくびをしたから出た涙であって、『木の棒』を抱き締めたままオバケが怖くて泣いてるんじゃないぞ。
オロオロ目が泳ぎながら一生懸命自分の顔に言い訳をして、視線を降ろしやっぱり涙目になった。
ラクガキは洗えばすぐ取れるのが救いだ。
自分の顔を見て少しは女の子に慣れる訓練にもなってるのかな、と思えば、この毎朝のコントにも意味があるのだろうか。
洗面所から出ると、受付のお姉さんがタオルを差し出しながら出迎えてくれた。
「みのりんさん、ちょっとお使いをお願いしますね。それで今夜の宿泊代もチャラですよ」
****
「こんにちは、ここに赤ひげって人はいますか?」
ボクが扉を叩いたのは、冒険者の町の中にある宿泊地区のとある宿屋だ。
この辺りは大勢の冒険者が寝泊りしている場所で、いわば冒険者の本拠地と言っても過言ではない。
冒険者の端くれであるボクは今、堂々と仲間達の牙城を訪れたわけである。
「んあ? なんだお前、おーい赤ひげ、どこかのスナックの姉ちゃんが請求に来てんぞ」
おい待て、どこをどう見て飲み屋のお姉ちゃんだと思った、どこからどう見ても冒険者だろ。
「ああ、どこの店だって?」
奥から出てきたのは赤ひげの熊みたいオジサンだ。上半身裸で筋肉モリモリ、胸毛とひげが繋がっていてどこまでがひげなのかよくわからない。
胸毛どころかお腹の毛も繋がっているので、もうこれ全部ひげなんじゃないのだろうか。
まあ、どうでもいいオジサンの描写なんか、ホントどうでもいいのだ。これだけは言える、誰も幸せにならない。
「おお、随分可愛いじゃねーか、こんな可愛い子のいる店なんてあったかな。おい姉ちゃん、思い出すからちょっと触らせてくれ」
「俺もちょっと尻くらいなら、それで店を思い出すかも知れん」
な、何を言ってるのかなこの人達は、お尻で何を思い出せるのか。
スカートを押さえてちょっと後ずさりながら、頼まれた用事を伝える。
「ギルドの受付のお姉さんからの封書です」
受付のお姉さんと聞いた瞬間にオジサン達は直立不動になった。『ビン!』という音が聞こえたほどである。
上半身裸の赤ひげオジサンは慌てて上着を前後反対に着た。
「ギルド受付の関係者のお嬢様でしたか、これは失礼いたしました!」
「わ、渡しましたよ、服はちゃんと着てくださいね」
「お勤めごくろうさまです!」
全くの別人になった彼らの敬礼に見送られてその宿屋を離れた時、その奥から一人の大男がボクを見つめている事に気がつき、ペコリと会釈をして歩き去った。
こんな感じでお金がないボクは宿屋を借りられずに、オバケに悩まされながらも受付のお姉さんのおつかいをして、キルド食堂に宿泊しているというカラクリだ。
ご飯もギリギリゲットしている。
おつかいではギルドの職員になったようで、ちょっとかっこいいのだ。颯爽と歩くみのりんおつかい員なのだ。
ギルドの前ではカレンが待っていてくれた、オジサン達の間を歩いてきただけに一気に視界が光り輝いたようじゃないか。
赤い胸当ての鎧にミニスカート姿、黒髪のツインテールが朝日を浴びてキラキラ輝く。
太陽のような笑顔でボクに手を振っている。
そうそうこれだよ、オジサンのひげなんて詳しく見ている場合じゃないのだ。
詳しく見なければいけないものは、この世には別にあるのだ。
今日もカレンはめちゃくちゃ可愛い、顔を見て目線が合い慌てて胸を見る。
赤い鎧に守られた胸。
この前お風呂屋さんで一瞬だけ見てしまったカレンの胸を思い出して、歩きながら気絶しそうになった。
朝のコント以外にも、日課はもう一つある。一日一善ならぬ一日一体、カレンとのパーティでの討伐だ。
彼女と初めてパーティになった日から、毎日討伐に出かけているのだ。
「おはようみのりん、今日もお肉強盗団の出撃だよ!」
「うん、おはよ」
彼女の胸がボクを優しく出迎えてくれる。
実に清々しい朝だ。
次回 「カレンとボクのモンスターお肉強盗団」
みのりん、お肉を強盗する。




