第6話 ほのめかされる身分
柔らかな秋の光が館内に差し込む朝、リリアーナは図書館の扉を押し開けた。
木の香り、紙の匂い、そして微かに漂う埃の匂い――この空間に入ると、彼女の心は自然と落ち着く。
今日も貸出中の本を元の棚に戻し、分類番号を確認しながら整頓する。
埃を払う指先も、慣れた動きで丁寧に作業する。
台の上も整理し、来館者がすぐに本を手に取れるように整える。
仕事に集中していると、周囲の静けさが心地よく、胸の奥の小さな不安も和らぐ。
ふと、遠くから軽やかな足音が近づく。
歩幅も所作も落ち着いていて、どこか威厳を感じさせる。
振り返ると、銀灰の髪、蒼の瞳――あの青年が立っていた。
名前も爵位もわからないが、すぐに高貴な身分の方だと察せられる。
胸に小さな警戒心を抱きながらも、リリアーナは手元の仕事に集中した。
「こんにちは。今日は、君がおすすめする本を、もう少し教えてもらえないかな」
静かに声をかけるレオニス。
その声は柔らかく、しかし確かな落ち着きがあり、空気ごと心を整えるようだった。
リリアーナは微笑みながらも、手を止めずに応える。
「はい、こちらはいかがでしょうか。最近人気のある詩集です」
棚から慎重に本を取り出し、分類番号を確認しながら差し出す。
レオニスは本を受け取り、軽く目を通す。
「なるほど、こういう作品もあるのですね」
小さく笑う表情から、図書館を訪れるのは単なる気まぐれではなく、この静かな時間を楽しみにしていることが伝わる。
リリアーナは棚越しに彼の手元を見つめる。
控えめだが上質な手袋の跡が指先に残っている。
指先の動きや立ち姿からも、やはりただ者ではないと直感する。
(……やはり、高い身分の方なのだろうか)
心の奥で思うが、口には出さず、静かに本の整理に戻る。
「この図書館、静かで落ち着きますね」
レオニスのつぶやきに、リリアーナは微笑む。
「そう言っていただけると嬉しいです。こちらの詩集も、きっとお気に召すと思います」
棚から別の詩集を取り出して差し出す。
言葉は少ないが、二人の間に流れる空気は穏やかで柔らかい。
リリアーナは胸の奥でそっと思う。
(……また来てくださった。名前も知らないのに、心が少し温かくなるのは不思議だ)
レオニスは本を手に、そっと立ち去る準備を始めた。
「それでは、今日はこの辺で」
軽やかな足取りで扉に向かう彼の後ろ姿を見送りながら、リリアーナは心の中で微かに手を振った。
扉が閉まった後、館内には再び静けさが戻る。
リリアーナは仕事を片付け、貸出台を整えて図書館を後にした。
帰宅すると、柔らかい夕暮れの光に包まれながら、荷物を片付ける。
ろうそくを灯し、静かに呼吸を整えると、胸の奥にあたたかい余韻が広がった。
恋心とはまだ違う。
ただ、心地よい静けさと、ほんの少しだけ温かい胸の感覚。
リリアーナは微笑み、ろうそくの灯を消して寝室へ向かう。
その夜も、静かで優しい時間が彼女を包んでいた。




