第35話 夜の告白と、ほどけた距離
夜の静寂が、王都の街を包み込んでいた。
図書館の灯りが消えたあとも、レオニスは中庭の影に佇んでいた。
胸の奥が落ち着かない。
夕暮れに交わしたリリアーナの声が、何度も耳の奥で反響していた。
――「……レオニス」
呼び捨てで名を呼んだ、あの瞬間。
心臓が焼けつくように跳ねて、もう後戻りはできないと思った。
足音がして、彼女が現れた。
淡い亜麻色の髪が月光を受けて、静かに揺れている。
「……まだ、お帰りになっていなかったのですね」
「お前に会いたかった」
あまりにも率直な言葉に、リリアーナの瞳が瞬いた。
息をのんで、それでも逃げなかった。
彼女の手には鍵が握られている。今日の閉館を任されていたのだろう。
「その……さっきは、いろいろと……」
「謝るな」
レオニスがそっと一歩近づいた。
「お前が困る顔をするたびに、俺は……どうしようもなく惹かれていく」
リリアーナの指が小さく震え、鍵が手の中でかすかに音を立てた。
「だ、だめです……そんなことを言われたら……」
「だめな理由を教えてくれ」
低い声。
逃げ場を失うような視線に、リリアーナは言葉を失った。
「俺は、お前の縁談を止めた」
「……え?」
「子爵家には、もう話をつけてある。」
「そ、そんな勝手なことを……!」
レオニスは彼女の肩に手を置いた。
その手は熱く、震えていた。
「勝手でも構わない。
……俺は、お前が好きだ。
誰かのためじゃなく、自分のために――お前を守りたい」
言葉が胸に落ちた瞬間、リリアーナの中で何かがほどけた。
怒りも戸惑いも、すべてが彼の真剣な瞳に溶かされていく。
「……レオニス、様……」
「“様”はやめろ」
囁きと同時に、距離がなくなった。
リリアーナがわずかに目を伏せると、レオニスの指先が彼女の頬をなぞり、顎をそっと持ち上げた。
月明かりの下で、唇が触れる。
それは一瞬のようで、永遠のような、甘く静かな口づけだった。
彼が唇を離すころには、彼女の呼吸が震えていた。
「……どうして、こんなに乱されるんでしょう」
「俺もだ」
レオニスが静かに微笑む。
「お前を抱きしめたら、もう手放せなくなると思っていた。……でも、もう限界だ」
そのまま、彼はリリアーナを胸に引き寄せた。
彼女の小さな身体が腕の中にすっぽりと収まり、互いの鼓動が重なって響く。
「……こわいです」
「俺もだ」
「でも……もう、抗えそうにありません」
「じゃあ、抗うのをやめよう」
リリアーナの目から、一筋の涙がこぼれた。
それを唇でそっと拭い取りながら、レオニスが囁く。
「お前を泣かせるのは、もう俺だけでいい」
夜風が二人の髪を揺らす。
その中で、ふたりの距離はもう完全に消えていた。




