第31話 図書館の静寂と鼓動
午前の陽光が、図書館の大きな窓から差し込み、木の机や本棚を柔らかく照らしていた。
リリアーナ・ハーヴェイは、窓際の机に腰を下ろし、資料の整理をしている。亜麻色の髪が肩に落ち、光を受けて淡く輝く。脚立から落ちかけたあの出来事から数日が経ち、心の奥で少しずつ胸の高鳴りが残っていた。
その日も館内は静かで、ページをめくる音や遠くの足音だけが響く。
「……ふぅ」
ため息混じりにリリアーナは、手元の書類を整える。普段の仕事と変わらないはずなのに、あの時の記憶が心のどこかで疼く。
ふと、気配を感じて顔を上げる。
窓の外ではなく、館内の入り口付近。そこに立っていたのは――銀灰色の髪に蒼い瞳、騎士団長の姿で知られるレオニス。まさか今日も来るとは思っていなかった。
「あ……レオニス様」
思わず声に出す。微かに震える声を、リリアーナは必死に抑えた。
レオニスもまた、彼女の方を見つめる。瞳にわずかな緊張が滲むが、その表情はいつも通り落ち着いている。
「……今日は、少し手伝いに来ただけだ」
低く落ち着いた声が、図書館の静寂に響く。手には書類や本を抱えていない。助けるために来たときのように、ただ、そばにいるためだけの存在感。
リリアーナは頷き、手元の整理を続ける。
「……その、前のこと、ありがとうございました」
つい口にしてしまった言葉に、心臓が高鳴る。レオニスは軽く目を伏せると、微かに微笑んだ。
「……大したことではない」
その声が、さらに心を揺さぶる。
作業を続けながらも、リリアーナの意識は次第に彼の存在に集中していく。ページをめくる手がわずかに止まり、視線は何度もレオニスに向かう。
レオニスは、彼女が困らないように、さりげなく机の位置を調整したり、資料を整理する手際の良さを褒める。
「君は、こうして落ち着いて仕事をしている姿も、やはり見ていて安心する」
その言葉に、リリアーナは顔が熱くなる。声に出されていない思いも、心の奥で彼に届いているのを感じた。
しかし、あくまで冷静に振る舞おうとする。
「……ありがとうございます。ですが、私は一人で大丈夫です」
言葉はしっかりしているが、胸の奥では小さな波が立っている。
沈黙の中で、ふと手が重なる瞬間があった。資料を整理する際に、二人の手が同じ本に触れる。小さな接触だが、リリアーナの心臓は跳ねる。レオニスも気づき、ほんの一瞬だけ視線を合わせる。
「……気をつけろ」
低く呟かれた声が、胸に直接響く。助けたときと同じく、彼は守る者の顔をしている。その眼差しに、リリアーナは思わず息を詰める。
作業が一段落し、二人は少し距離を取って座る。
「……今日も静かで、落ち着きますね」
リリアーナは小さな声で言う。レオニスは軽く頷き、ただ黙って頷き返すだけだが、それだけで十分だった。
仕事を終え、リリアーナが立ち上がる。
「では、私はこれで……」
言葉をかけ、微かに笑みを浮かべる。レオニスも立ち上がり、扉まで一緒に歩く。
「……また来る」
その声に、リリアーナは思わず立ち止まり、胸の奥で小さく鼓動が高鳴るのを感じた。
図書館の扉の向こう、夕陽が差し込む通りを歩きながら、レオニスは静かに決意を固めていた。
――次に会うときは、もっと近くで、ちゃんと伝えよう。
リリアーナもまた、胸の内で微かに呟く。
――前より、少しだけ近くなったかもしれない、と。




