第一話:図書館での出会い
王都の朝は、まだ淡い薄曇りの光に包まれていた。
石畳を踏む足音が静かに響く中、**リリアーナ・ハーヴェイ(19歳)**は籠を抱えて王立図書館の階段を上っていた。
没落寸前の辺境男爵家令嬢。
父は誠実だが商才はなく、母は病弱。社交界デビューはままならず、家計を助けるため図書館で働く日々を送っていた。
だが、古書の香り、頁をめくる音、静寂に包まれた空間――すべてが彼女にとって心地よく、日常の疲れを忘れさせてくれる場所だった。
リリアーナは質素なワンピースに身を包み、亜麻色の髪は三つ編みにまとめられている。
淡い若草色の瞳には、知識への好奇心と、ほんの少しの疲労が混ざった光が宿っていた。
普段あまり人は来ず、
彼女の指先は丁寧に古書を扱い、一冊ずつ埃を払っては棚に戻していく。
この仕事は決して華やかではないが、自分の居場所を確かめる作業のように感じられた。
その時、図書館の静寂を破る落ち着いた声が響いた。
「……すみません。この辺りに“王国古典詩集”はありますか?」
リリアーナは顔を上げた。
そこに立っていたのは、上質な貴族服を身にまとった大柄な男性。
銀灰色の髪が光を受け、瞳は深い蒼色。背筋は真っ直ぐで、威圧ではなく、静かな品格を漂わせていた。
誰なのかは分からない――だが、高い身分の人に違いない。
控えめに頭を下げ、彼に答える。
「その本なら、あちらの棚にございます」
指差すと、男性は軽く会釈しただけで歩み寄り、ページを丁寧にめくった。
彼の指先は器用で、文字を傷めぬよう慎重に、しかし迷いなく頁をめくっていく。
その様子に、リリアーナは思わず息をのんだ。
「……なるほど。古典詩は読むだけでも、王国の歴史や民の心が見えてくるな」
高貴な人が、自ら知識に触れ、真剣に向き合う――
その姿に、自然と心を惹かれる自分に気づき、リリアーナは胸の奥が小さくざわつくのを感じた。
二人は言葉少なに本を見つめ、静かな時間を共有した。
「……ここで働いているのですか?」
「はい、リリアーナ・ハーヴェイです。男爵家ですが、家計の都合でここで働いています」
男性は一瞬、彼女を見て目を細めた。淡い笑みが浮かぶ。
「なるほど……そうですか、珍しいですね」
皮肉ではなく、淡い尊敬を含む声だった。
リリアーナは心臓が高鳴るのを感じながらも、動揺を隠すように手元の本に目を戻した。
彼の瞳は深く澄み、しかし感情を完全には表さない。
「高貴な人だろうし、こんな私に関心を持つはずもない」
そう自分に言い聞かせつつ、心の奥で小さな期待が芽生えるのを止められなかった。
しかし、その日を境に、彼はしばらく姿を見せなかった。
数日経っても、数週間経っても、図書館には来ない。
リリアーナは静かに籠の本を整理しながら、心のどこかで探してしまう自分に気づく。
「……あの人、もう来ないのかな」
静かに呟く。
彼の存在は確かに強く、そして遠く、まるで手の届かない星のようだった。
それでも、図書館の静寂の中で過ごす時間の中で、彼との出会いを思い返し、胸の奥で小さく微笑む自分がいた。
「もう会えないかもしれない……でも、また会えるなら……」
リリアーナは知らず知らず、その日から心の奥で、彼の来館を静かに待つようになっていた。




