53 希望を繋いで④
(やはり教科書通り、強い悪魔ほど防御をしない。先攻にチャンスがあると思っていたけれど、まさか成功するとは)
もちろんユーグに油断はない。水属性、火属性、風属性、雷属性といった別に仕込んでいた魔法陣も次々に発動させ、アビゴールを追い込もうとする。
だが、どれも決定打にはならない。
魔法陣をすべて使い切り、ほとんどがアビゴールに当たったはずなのに、巨体の悪魔は倒れることなく立ち続けていた。
「ここまで強いとは……っ」
ユーグは奥歯を噛み締めて、悪魔を睨み上げる。
アビゴールはそんなユーグの視線を受けて、ニタァと笑った。
「くくく、解呪で少なくなった魔力を補うように、魔法陣で強度を上げてもこの程度の攻撃……まぁ、魔術師ひとりではこんなものか。複数人で挑めば、勝機はあっただろうに――」
たっぷり息を吸ったアビゴールは、全身に力を入れた。紫色の湯気が噴出し、刺さっていた氷の槍をあっという間に溶かしてしまう。同時に傷口が修復されていく。軽く肩で息をしながら、また優越した態度でユーグを見下ろした。
「まぁ、我に攻撃以外の力を使わせたのは褒めてやろう。なかなか面白い。だが、次は凌げるかな?」
アビゴールが悠々と手を横に薙いだ。その瞬間、教会の中は暴風で吹き荒れ、風圧で飛ばされユーグは床を数メートル転がってしまう。
暴風でステンドグラスも砕け散り、虹色の破片が降り注いだ。
慌ててオフェリアを確認するが、魔道具に囲まれて暴風の影響を受けていないし、ガラスも結界に弾かれる。オフェリアは静かに横たわったままだ。
(良かった。さすが魔塔主ブリス様の作った結界の魔道具!)
オフェリアは魔道具に任せていれば大丈夫だろう。ユーグは杖を強く握り返し、風魔法をぶつけて暴風を相殺してみせるが――
「隙だらけだ、ユーグ」
「――ぐっ」
暴風が止んだ瞬間、アビゴールの放った閃光が太ももをかすめた。肌の表面を少し焼いただけなのに、痺れるような痛みが全身に走る。悪魔の閃光は状態異常を引き起こす性質があり、怪我以上の負傷を伴う。
攻撃に意識が向きすぎ、対悪魔の保護魔法がわずかに緩んでしまっていたらしい。
体が言うことを聞かず、ユーグは太ももを押さえてその場で両膝をついてしまう。魔力も残り少なく、今攻撃されたらなかなかに防ぎきるのは厳しい。圧倒的にユーグが不利な状況になってしまった。
それはアビゴールも分かっているのか、恐れることなくユーグの前に立ちはだかる。蟻を見るように、真上から黒髪の魔術師を見下ろした。
「くくく、もう魔力も底をつきかけているようだな。お前では我に勝てないのは、もう分かっただろう? 可哀想に。若い魔術師はすぐに無敵だと勘違いする。本当に可哀想だ。力量の差も読めなかった哀れな子どもに、我が慈悲を与えてやろう」
「……悪魔の慈悲は蠱惑的と聞きますが、はは……気になりますね」
ユーグは笑いを漏らしながら野心的に目をギラギラとさせ、悪魔を見上げた。
(あぁ、オフェリア……あなたの読みは凄いです。僕を殺せばオフェリアを得るチャンスがあるのに、強欲な悪魔は僕という新たな理想の器が欲しくなって殺せない。アビゴールが人間を乗っ取る条件が“生きたまま”という仮説は事実のようですね)
人間をいたぶるのも好きだから、簡単に殺すことなく余興を楽しむだろうという予想も当たっている。
ユーグはオフェリアへの崇拝レベルをあげつつ、アビゴールの提案に耳を傾ける。
「選択肢はふたつ。ひとつめ、ユーグが大人しく器を我に譲れば、オフェリアを殺さないであげよう。残されたオフェリアは、我がお前のふりをし続けながら優しく愛でてやる。ユーグの顔があれば、簡単に落ちるだろう。どうだ? お前の勇敢な選択が、あの女を幸せにするんだ」
「……で、ふたつめは?」
「あの魔道具の発動を切り、オフェリアの器を我に渡せ。そうしてくれたら、お前の命は助けてやるし、好きなように器を貪れる権利を与えよう。自分は助かり、美しい女の体を存分に楽しめる。最高だと思わないか?」
アビゴールは本気で素晴らしい提案だと思っているようで、ニタニタと得意顔だ。もう契約ができると確信した様子で、ユーグの目の前に手を差し出した。
だがユーグは悪魔の手をじっと見つめるだけで、提案を選択することも、手を重ねることもしない。
しばらくして、返事の代わりに、アビゴールの鳩胸に風魔法をお見舞いした。
無防備だったアビゴールの体は軽く浮き、後ろへと押される。しかし突発的な魔法は鋭さに欠け、距離をあけるのが関の山。
無傷の悪魔はケラケラと笑い出した。
「選べないのか。愚かだな」
「当たり前ではありませんか。どちらを選んでも最悪です」
体はユーグのものだとしても、自分以外の存在がオフェリアを愛でるなんて、受け入れられない。それにこの身も心も、生きるも死ぬも、己のすべてはオフェリアに捧げると誓った。彼女の許可なく、悪魔に勝手に渡すつもりはない。
また、オフェリアを悪魔に渡すなんて論外だ。ユーグが愛したのは、呪いに苦しみながらも抗い続ける心の強さを持ち、陽だまりの温かな優しさと海のように深い寛容さで孤児だった自分に愛情と知識を注ぎ、感情豊かで少し素直になれないときがある可愛らしい性格のオフェリアだ。
そんなオフェリアの魂がない器だけ好きにできても喜べるはずがなかった。むしろ、一部でも彼女を奪われるなんて腹立たしい。
ユーグは足の痛みを堪えながら、立ち上がり杖を構えた。
「提案を断ります」
「くく、まぁよい。とりあえずお前の器から奪おう」
アビゴールが突風を巻き起こし、ユーグへと向けた。
ユーグが張った障壁が次々に破られていき、彼もろとも吹き飛ばされてしまう。壁に叩きつけられ、床に落ちれば転がされ、意識を失わないギリギリの加減で痛めつけられる。
だが、数回繰り返してもユーグは怯む様子を見せないまま抵抗せず転がる。勝ちを諦めた、負けを悟ったというわけではなさそうだ。むしろ瞳の奥は希望を宿したまま輝き、血がにじむ口元にわずかな弧を描いて横たわっている。
アビゴールはこめかみを引き攣らせた。
「その表情、癪に触るな。どうやらやり方が温いらしい。全身の骨を折ってやる!」
そう叫んでもユーグの顔は恐怖で歪まない。ぜぇぜぇとした絶え絶えの呼吸が返ってくるのみ。
苛立ったアビゴールは拳を振り上げ――拳を床に落とした。肘から先だけ、ボトリと音を立てて……。
何が起きたか理解できないアビゴールと、横たわるユーグの間に魔術師が立つ。
その魔術師は怒りを滲ませ、アビゴールに杖を向けていた。
「うちのユーグに何してんのよ!」
ユーグの目には、美しい銀髪を靡かせる愛しい人――オフェリアの背が映った。





