六十七話
67
春昼穏やかな空に一筋の紫煙の影がのぼる。前日と打って変って風も穏やかで、木の葉同士が触れあうことで奏でられる心地よい歌に、私は木を背にして寛いでいる。
こうして心を無にしていられる時間は貴重だった。
追いすがる死も、待ち受ける暴力もない世界に身を置くことができたのは本当に久しぶりのことだ。
左手に持っていた懐中時計を見る。もう出発しようと思っていた時間はとうにすぎていた。だというのに、少しだけのつもりで吹かし始めた煙管の煙が空に溶けていくのを、もう何度も見送り続けている。
「なんだお前。また私を騙しにきたのか」
頭上で音がしたので見てみると、木の枝に止った小鳥が小首を傾げながらこちらを見つめていた。くちばしには赤い実が生った小枝が咥えられている。小鳥は木の枝から飛び立つと、私の肩口に着地して咥えていた小枝を膝のうえに放った。
「食べろって?」
疑いの視線を向けられた小鳥がアーリィと赤い実を交互に見やる。
「仲直りってか。ああ? 守ってくれたお礼?」
小鳥は答えるように短く鳴いた。
「私は一度敵意を向けてきた相手は死んでも許さない派だが今日は機嫌がいいからな。これで手打ちにしてやる」
獣の分際で自分たちの悪戯に罪悪感を覚えていたのかと、少し可笑しく思った。
小枝から実を二つ千切りとり、一つは自分の口に、もう一つは小鳥のくちばしの先に持っていく。
「友人とは酒を酌み交わすのが人の慣例だが、お前は飲めないからな。これで交わそう」
小鳥は逡巡するように何度か肩で飛び跳ね、やがて差し出された赤い実を咥えて一飲みにした。
アーリィも倣って実を噛み砕く。ツンとした酸味の後に、ほのかな甘みとベリーに似た香りが口内に広がる。
「美味いじゃないか」
そう言ってやると小鳥は満足したかのように体を震わせて空へ帰っていった。
「ありがとう。友よ」
新しい友情を祝福するかのような晴天を見あげながら、去って行く友に感謝を告げた。
「それで……君はいつまで私を眺めていれば気がすむんだ?」
首を傾けて視線を左にやると、立ち並ぶ木々の間からこちらを覗いている影と目が合った。影は驚いたように一度木の後ろに隠れたが、無駄な行いだと理解したらしくすぐに姿を現した。
肩に触れるほどの長さの栗色の髪。目鼻立ちはそこまではっきりとしているわけではないが、少しだけ目尻のさがった目元に愛嬌がある。ぷっくりとした桜色の唇は、今は驚きに丸く開かれている。
きっとこのまま年齢を重ねれば、可愛らしい女性に成長するだろう。
随分前から彼女がこちらの様子を伺っていることには気がついていた。そのまま放っておいたのは、久しぶりの自由時間を邪魔されたくないという気持ちもあったし、正体はわかっていたので相手のしたい様にさせていればいいと思った。
ただ、あまりにもアクションがないのでいい加減しびれを切らしてしまった。
「はあ……自然破壊はしないでって言いしたよね?」
盗み見ていたことがばれて驚いていたくせに、やれやれと言いたげな顔をとり繕ってきたことに笑い出しそうになる。
「くふっ……。私は友人から贈り物を受けとっただけだ」
堪えきれなかった笑いを誤魔化すために口元に手をあてて、少し視線を逸らして言った。
彼女は納得していない様子で唇を前に突き出していたが、それ以上なにも言わなかった。
「この場所は誰から聞いたんだ?」
「ラウルさんに聞きました。さすがに貴方を寮に泊めるわけにはいかないから、動植物に比較的影響のない場所で野宿してもらっているって」
今いる場所は特別保護区Ⅱから更に西側のモデール森林公園と外部の境目になるところだ。
始めは監視塔なる場所を提示されたのだが、カビの臭いがきついと聞いて丁重にお断りした。
一日の終わりにわざわざカビの臭いを纏って眠るなど到底容認できない。
これまで通り野宿でいいと言うと、今度はラウルが渋い顔をしたが、最終的に向こうが折れてくれ、この場所を提供してくれた。
「それで? こそこそ私を観察して一体なんの用だ」
「えっと、あの……そのう」
途端に歯切れが悪くなる彼女は、わずかに頬を上気させながら目を泳がせつつ呟く。
「話をしたいなって思って」
「話だと?」
「はい。烙核の海から帰ってきても色々あって中々話す機会がなかったじゃないですか。あたしは寮で療養してなきゃだったし、貴方は灰菌症の対応で忙しかったみたいですし」
「そういえばそうだったな」
「まずはちゃんとお礼がしたかったんです。あたしを助けにきてくれて、モデールのために一生懸命になってくれてありがとうございました」
「別に礼を言われることはしてない。私は私のしたいようにしただけだ」
「そのしたいことで助けられた命がたくさんあるんです。だから、ちゃんと感謝を伝えたいんです」
「……そうか。まあ、そこまで言うなら素直に受けとっておく」
私がそう言うと、ミーシャはやわらかい少女らしい笑みを浮かべた。
「そっちに行ってもいいですか?」
「うん? ああ、構わないが」
私が頷いてやるとミーシャは安堵したようにそっと息を吐いた。
ミーシャは私の隣にやってくると、どう座ればいいのか迷っているようで結局向き合って座ることに気が引けたのか、人一人分の距離を置いて私に体の右側を向けるように腰をおろした。
暫し無言の時間が流れる。その間にも膝を抱えて控えめにこちらに視線を寄こし伺うような視線を向けてきたが、話し出す踏ん切りがつかないようで落ち着きなく体を揺らしていた。
その様子が可愛くてもう少し見ていたい気もしたが、いつまでもそうしてはいられないので私から水を向けることにした。
「それで? 話しはそれだけじゃないんだろう?」
「えっと……はい。これからが本題といいますか……」
「遠慮はするな。ここには私と君しかないんだからな」
「そうですよね。じゃあ……」
彼女は大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出すと、私を真っすぐ見据えて言った。
「貴方があたしを魔人と引き合わせた理由を教えてください」
ここまでお読みくださりありがとうございました。
気に入っていただけましたら、高評価、ブックマークをどうかお願いします。して頂くと作者がによによ喜びます。
カクヨム、アルファポリスにも同作を投稿しております。




