六十二話
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「見苦しいところを見せてしまったね。もう大丈夫だ」
キャスウェルは涙声のまま、仕切り直すように言った。
「ミーシャ、助けにきてくれてありがとう」
「うん。体は大丈夫?」
「ああ。全く問題ないよ」
「そっか」
「ああ。ミーシャも、その……怪我はしていないかい?」
「え……あ、うん。大丈夫だよ。昔から体だけは丈夫だから」
「そうだったな。おてんば娘なミーシャを追っかけるのは大変だったなぁ」
「あはは……」
乾いた愛想笑いが虚しく流れる。弾まない会話に戸惑いともどかしさが募る。
次会ったら今度こそ、父さんに言いたいことがあったのに。
追い詰められていくような感覚に責め立てられながら何度か口を開くも、上手く言葉にできずに尻すぼみになっていくのを繰り返していると、背後から聞き覚えのある声に呼ばれた。
「おーい、ミーシャ!」
振り返ると離れたところに大きく手を振るラウルの姿があった。
「ら、ラウルさん!?」
「ミーシャ無事か! 怪我してないか!?」
「ど、どうしてここに?」
「そんなことよりお前は無事なのか!?」
泳ぎの下手な犬のように手足をばたつかせながら、ミーシャの元へたどり着いたラウルは、逃がさないと言わんばかりに両肩を掴むと鬼気迫る表情で矢継ぎ早に捲し立てる。
その勢いに圧倒されたミーシャは壊れかけのオートマタのようにぎこちない動きでカクカクと頷く。
「あぁ……本当によかった」
ラウルは天を仰ぐと、糸の切れた人形のように脱力し、魂の抜けるような長いため息が零ぼした。
ああ。この人は裏切ったあたしを心配してくれるのか。
ラウルは罵声を浴びせ依り代として利用しようとした人間を助けるためにこんなところまで追いかけてきた。
どれだけ心配されていたのかを、どれだけ愛されていたのかを、ミーシャは思い知った。
「ラウルさんごめんなさい。あたしラウルさんにとてもひどいことを……」
「いいんだ、お前は悪くない。俺がちゃんと向き合って寄り添ってやれなかったからいけなかったんだ。だから、謝らないでくれ」
「でも、でもあたしっ」
「俺はお前が怪我もなくこうして生きていてくれたことがなにより嬉しい。それだけで……十分なんだ」
ラウルの無理に作った笑顔を見た瞬間、鼻の奥がつんと痛くなった。
普通こんなことは誰にだってできない。命を狙ってきた相手を前に生きていたことを喜んで、涙を流してくれるなんて。
堪えることなどできなかった。
涙の雫が流れ落ちて、烙核の海を揺蕩う。
今思えばずっと不安だったのだ。ラウルを依り代として選び、魂移しを行うと決めたときから、ふとした瞬間に本当にこのまま進んでしまってもいいのかと心のなかの誰かが訴えかけてくるような気がしていた。
ミーシャはその訴えから逃げていた。手で耳を覆い、聞こえないふりをし続けていた。
そうすることで自身の行いを正当化できた。奪われたものをとり返すだけなのだと、言いわけすることができた。
ただ、本心では止めて欲しかったのかもしれない。馬鹿なことをするな、俺たちと一緒に解決策を考えようと言ってもらいたかった。
「ラウル、さん……うぐっ……うわああ」
小さい子供のように声をあげて泣くミーシャを、ラウルはなにも言わずに落ち着くまで頭を撫でてくれた。
嫌だったはずのごつごつとした手の感触がとても切なくて、嬉しかった。
◇◇◇
泣いて赤くなっているだろう鼻を手で気にしつつ、鼻声でミーシャはラウルに尋ねる。
「ラウルさんはどうやってここにきたんですか? もしかしてラウルさんも魔人に食べられちゃったんじゃ……」
「いいや、そうじゃない。俺はアーリィ殿と一緒にここにきたんだ」
「え!?」
ミーシャとキャスウェルの声が綺麗に重なった。
「アーリィさんと一緒に!? あの人は今どこにいるんですか?」
「あーっと……工房とかいう場所の階段をあがるまでは一緒だったんだが、気がついたらいつの間にか俺一人だけだった。だから、アーリィ殿がどこにいるのかはわからない」
「……念い段! その手があったか!」
ラウルが申しわけなさそうに言うそばで、キャスウェルが手を打ち鳴らした。
「そちらの二人は……?」
ラウルが不審そうにミーシャの後方を見やる。
「あ、そうでした。えっとこっちの白いローブを着ている方がキャスウェルさん。そして、もう一人が……」
「……グリフィスさん、か?」
ラウルの目が信じられないものを見たというように大きく見開かれ、ミーシャに視線を移し答えを求める。
ミーシャは笑みを浮かべながら頷く。
「ああ……ああ……」
ラウルはグリフィスの手を握るとそのまま顔を押しつけて嗚咽を漏らした。
「グリフィスさん……。よくぞご無事で」
グリフィスは始めこそ戸惑い困惑した顔を見せはしたものの、人目を憚らずに涙するラウルに思うところがあったのか、目尻をさげてラウルの肩を摩っていた。
「感動の再会の最中に申しわけないが、君には聞きたいことがあるんだ。そろそろいいかな?」
水を差すことをほんの少しも悪いと思っていないキャスウェルの一言で、ラウルの表情が一変する。
「貴様がミーシャをたぶらかしたキャスウェルってやつか。よくもうちのミーシャを危ない目に合わせてくれたな」
憤怒の顔で体から殺気を放つラウルは今にも飛びかかりそうな雰囲気だ。
ミーシャは慌てて間に入ろうととするが、キャスウェルが片手をあげて制する。
「この度は僕の身勝手な願いで君たちにたくさんの迷惑をかけてしまった。また、ミーシャちゃんに対する愚行については、君の怒りもごもっともだと思う。謝ってすむことではないが、謝らせてほしい。本当に申しわけなかった」
キャスウェルは佇まいを直し、ラウルに向かって深く頭をさげて謝罪した。
「だが、聞いて欲しい。僕らは今とても困難な状況に置かれている。この場所の異様さは君も理解しているだろうが、ことは楽観できるような状態ではない。ここへやってくるために使った念い段の場所まで案内をしてくれないだろうか。僕も考えを巡らせたが、ここから脱出する方法はもうそれしかないんだ。もし、ここから無事に出られれば、きちんと全ての責任をとると誓う。君が僕を殺したいと願うのならば、抵抗はしない」
「ちょっとキャスさん!」
「ミーシャは黙っていろ」
抗議の声をあげたミーシャをラウルが一喝する。
「俺は責任を果たすために命を差し出す奴が一番嫌いなんだ。自分を差し出せば、これまでの行いが清算できると思っているんだろう。ふざけるなよ。命は尊いものだが、お前の命一つに一体どれだけの価値があるっていうんだ? お前にとって命は最大の価値を持つものなのかもしれないが、俺たちにとってはなんの価値もない。命と命は等価ではないんだ」
「では、僕はなにを差し出せばいい」
「差し出すことでしか罪を償えないというのなら、お前は永遠にここにいろ」
とりつく島もない。だが、拒絶されたキャスウェルはラウルの言葉に一度頷き、そして「なら僕は僕のできることをしよう」と答えた。
「それで、あの、アーリィさんはどこに?」
口を挟みづらい雰囲気だったが、ミーシャは意識しないようにラウルに問いかける。
「ああ、さっきも言ったが気がついたときにはもういなくなっていたんだ。全く、なんの説明もなくいきなりこんな場所に一人きりにされるとはな。運よくミーシャたちを見つけられたからいいものの、会えなかったら遭難死するところだった」
「そうなんですか。でも、よかった。ラウルさんが魔人に食べられちゃったんじゃなくて」
「自分が情けなくなるよ。魔人ってのにお前が襲われているというのに呑気に寝入ってたんだからな。もしかしたら、その魔人ってのも呆れて食っちまう価値もないと思ったのかもしれない」
「そんなことは……」
「だが、そのおかげでこうして迎えにこれたんだ。怪我の功名ってやつかもしれん」
「あたしもラウルさんがきてくれて本当に嬉しかったです」
「本当はトーラスもきたがっていたんだがな」
「トーラスさんがですか?」
「ああ。あいつは今回のことで強い責任を感じている。あいつも俺と同じくらいの過保護だからな。気持ちはわかる。だからミーシャ、戻ったらあいつから話があると思うが嫌がらずに聞いてやってくれないか?」
意外な申し出だった。ミーシャとしては、トーラスは完全に部外者で被害者だ。だからトーラスが強い責任を感じていると知っても、何故という気持ちしか湧いてこない。
「そうですか……。わかりました」
「そうしてくれると助かる」
ラウルはミーシャの答えに安堵した様子だった。
「まだまだ積もる話はあるが残りは後にしよう。俺がきたのはあっちだ。急ごう」
指を立てて烙核の海の先を指しながら、ラウルは頼りがいのある笑みを浮かべた。
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