五十話
50
翌朝、僕はサーシャを連れて村を後にした。
サーシャは僕の「薬を買いに行きたい」と言う言葉に少しの疑いも持っていないようだった。
正直、当日にどうやってサーシャを連れ出すのかが一番の問題だと思っていた僕としては、素直に着いてきてくれることにほっと胸を撫でおろす。
遠くなっていく村に何度か視線を送っていることには気がついてはいた。でも、サーシャはなにも言わなかった。
道程は事前にフードの彼女と打ち合わせをしている。
まずは僕たちの村から半日ほど行ったところにあるミューラという町だ。
普段から打ち身などで使う塗り薬を購入している町で、よく僕とサーシャもお使いを頼まれて訪れることのある場所だ。そこでいくつかの薬を購入し宿をとる。
翌日にローブの彼女が手配した荷馬車が行商人を装ってミューラにやってくるので、その荷馬車に相乗りさせてもらって、トーバル村という大きな湖のある村に向かう。そこで渡し舟を使って湖の反対岸に向かい、そこからは山道と平原を進むことになる。
道中いくつかの村があるそうなので、食料の補給や、物資などは随時購入していけばいい。路銀はすでに受けとっている。
ひと月程度もあれば都に着くことができるはずだ。
「はあー! 今日晴れててよかったね」
「うん。気温も丁度良いし、行楽日和だね」
だが、サーシャになにも説明もせずに旅を続けることはできない。
今こうして僕についてきてくれているのも、僕のお使いのお供としか思っていないのだから。
どのタイミングで打ち明けるか。残された時間はもう一日もない。今日中にサーシャに打ち明けて、必要ならば説得をしなければならない。
事の如何では、計画が瓦解してしまう可能性もある。正直言って、僕はそれが一番怖い。
とはいえ、避けて通ることはできない。僕がこうまでしてサーシャを連れて村を出た理由。
それは、サーシャの見てきた世界を根底から壊すことになってしまうかもしれないようなものだ。
綺麗な世界だけをサーシャには見ていて欲しかった。サーシャにはいつまでも綺麗なままでいて欲しい。
そんな僕の身勝手な願いを僕自身の手で壊さなければならないのは、きっと神様が与えた試練なのだ。
「ねえ……本当に大丈夫なの?」
「うん。任せてよ」
僕の返答に未だ疑いの視線を向けるサーシャは居心地が悪そうに身をよじっていた。
ミューラに無事到着した僕らは早々に宿を決めると、目的である塗り薬を購入した。
ミューラは小規模ながらも商館のある町で、それなりの大きさの市場があり時間を潰すのには事欠かない。サーシャもこの町にくるときには、市場を巡るのを楽しみにしている。
夕刻までたっぷりと時間を使って物見遊山を楽しんだ僕らは、そのまま町で一番大きな酒場に入った。
「この肉料理美味しい。なんて言ったっけ? ラム肉の……」
ふとサーシャを見ると、まだ不安そうな顔をして周りに視線を送っていた。
「どうしたの? 食べなよ」
「だってこんな高そうな食事……本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だって。ちゃんとお金は持ってるから」
「でも……」
「せっかく頼んだ料理が冷めちゃったら勿体ないじゃん」
「わかった……」
まだ納得したわけではなさそうだけど、サーシャはおずおずとテーブルに並べられた料理に手をつけ始めた。
ローブの彼女から渡された路銀はだいぶ余裕がある。都までよほどの贅沢をしなければ幾らか余るほどだ。
今日は僕にとってもサーシャにとっても色んな意味で特別な日になるだろう。だったら、せめて今日くらいは二人で贅沢をしても罰は当たらないはずだ。
「あ……美味しい」
「でしょ」
僕が笑うと、サーシャもようやくいつもの笑みを向けてくれた。
しばらく食事に舌鼓を打っていると、周りの喧騒が大きくなった。どうやら、一日の仕事を終えた男たちが酒という癒しを求めて酒場になだれ込んできたようだ。
広い酒場があっという間に埋まり、埃と汗と酒の臭いが室内に充満し始める。
「こんな贅沢したなんて村長に知られたら怒られちゃうよ」
「別に言わなきゃいいだろ」
「そういうことじゃないでしょう。今日だっていきなりついてきてって言うもんだから、慌てて仕事を変わってもらったんだからね。こういうことはもっと早めに言ってもらわなきゃ」
「ごめん。言ったつもりになってたんだって」
「キャスはいつもそうだよね! 肝心なことは直前まで言わなかったり、はぐらかしたりしていっつもあたしを驚かせるんだから。それなのにどうでもいい嘘は聞いてもないのにべらべらと……」
少し顔が赤くなったサーシャは人差し指を僕に勢いよく突きつけて不満を零している。
滅多に口にしない酒を飲んでいるから、というのもあるのかもしれないが、きっとこの酒場の熱に飲まれている方が大きいのだろう。酒をかっ食らった男たちの大合唱にサーシャの体が左右に揺れている。
「そもそもこんないいご飯とお酒の料金を払えるだけのお金なんてどうやって稼いだのよ!」
「えっと……臨時収入があったんだよ」
「はあ? うちの村で臨時収入が得られる仕事なんてないでしょう! まさか、怪しい仕事してたんじゃないでしょうね……」
「いや……そんなことは、ない、よ?」
「なんで言い淀んだの……。怪しすぎる」
サーシャの探るような視線を受けながら、僕はこめかみを流れる汗をそっと拭った。
本当のことはまだ言えない。せっかく楽しい気分で食事をしていたのだから、せめてこの時間だけでもとり繕いたかった。
「まあ……ちょっとは怪しい仕事だったけど。でも危ないことじゃないから! サーシャが心配するようなことはないよ」
「本当に~?」
「本当だって」
「じゃあそれあたしに誓える?」
「……誓える」
二人の間に流れる空気が一瞬だけ醒めたものに変わった気がした。サーシャの瞼がゆっくりと落ちて、開かれる。
「そっか……。じゃあ、信じるよ」
◇◇◇
宿に戻るころにはすっかり夜の帳はおりた後で、空に浮かぶ星々がとても綺麗に瞬いていた。
いい気分で酔った僕らは千鳥足で宿の部屋にたどり着くと、そのままベッドに倒れ込んだ。
勿体ないから部屋は同じにしようというので、ベッドが二つある部屋をとっただけど、僕もサーシャも同じ一つのベッドにうつ伏せのまま倒れ込んでいた。
決して寝心地がよいとは言えないベッドだが、それでもふわふわと空を浮かぶような気持ちの今ならば、瞼を閉じて次の瞬間には夢の世界に旅立つ自信がある。
このままもう寝てしまおうか。そんな甘美な誘惑に理性が根をあげようとした瞬間、隣からくぐもった声で呼びかけられた。
「キャスさあ……」
「うん?」
「あたしを都に連れて行こうとしてるんでしょ」
思考に纏わりついていた霞が一瞬で吹き飛ばされる。熱した鍋に流した水があっというまに蒸発するように酒の余韻がかき消えた。
「どうして……そう思うの」
「キャスのことはなんでもお見通しだよ」
首の後ろが熱い。自分の浅い考えを読まれていたことに焦燥感が募り始める。
別に本当の目的が見抜かれたところで不具合があるわけではない。むしろ、こちらから打ち明けなければならないことだ。丁度いいじゃないか。これで話しやすくなった。
だというのに脇の下にうっすらと水気を感じ始める。緊張しているのだと自覚する。
「理由、聞いてもいい?」
きた。
「サーシャは、好きな人いる?」
「……なんの話?」
「僕は、サーシャが好きだよ。友達としてじゃなくて、一人の女の子として好きなんだ」
こんな告白になってしまうのは、僕としては不本意だ。でも、不思議と今が言う場面なのだと思った。
「それは、どのくらい?」
ベッドに顔を押しつけたまま、できるだけサーシャに聞こえないように深呼吸をする。
少しの間を置いて、僕は思いを告げる。
「これからの人生、ずっとサーシャが隣にいてくれたらと思う」
どくどくと脈打つ心臓の音がミーシャに聞こえていないか心配になった。
「サーシャは……」
胃の中身が逆流しそうなほどに緊張しているはずなのに答えを急かしたのは、僕の独りよがりではないのかという気持ちが胸やけのように残っているから。
サーシャがこちらを向く気配があった。
「そんなの確認いる?」
からかうような声に誘われて見ると、簡素な作りの窓から差し込む月明りを浴びながら、いたずらな笑みを浮かべるサーシャと視線が交わった。
「僕はこれからどんなことがあってもサーシャを守ってみせる。誓うよ」
気の利いた愛の言葉なんて思いつかない。でも、そんな質素な誓いの言葉にミーシャは一瞬驚いた顔をして、それからはにかんで頷いてくれた。
「そのために、都に行くんだ」
「それは刺激的なものがあるから?」
「いいや」
こんな話をする雰囲気ではないことを承知のうえで、僕は決断した。
きっと僕たちならどんな困難も乗り越えられると信じていたから。
「このままじゃ……サーシャは殺されてしまうから」
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