四十六話
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「ほら、見えてきた」
声に促されてアーリィ越しに洞窟の先を見る。右に緩く曲がった先に水面に反射する日の光りのような揺らぐ影が見えてきた。よく耳をすませると、なにかが動くような音に混じって水の落ちる音も聞こえてくる。
歩を進めると、目の前に洞窟内には似つかわしくない一軒家が現れた。
「これは?」
「キャスウェルの工房で、目的地だ。ここにミーシャの元へ向かうためのものがある」
水車がゆっくりと回り、水路に流れ落ちた水が岩のなかに消えていく。
洞窟内に突然現れた一軒家を前に漠然と呆けていたら、アーリィは持っていた松明を玄関脇にある篝火台に差し込み、ノックもせずにドアを開け放った。
あまりの無作法に思わず咎めそうになったが、アーリィは構わず進んで行ってしまった。
ラウルも逡巡してから小さく「ごめんください」と一声かけて玄関に足を踏み入れる。
一軒家のなかには人の気配はなく無人のようだ。室内は明るく、まるで陽の光りが差し込んでいるかのようだが、光源になるようなものは見当たらない。
不思議なものだと感心しているラウルを置いて、アーリィは勝手知ったるといわんばかりに進んでいく。これだけ遠慮がないのだから、きっと気心のしれた相手の家なのだろうと思うことにした。そうでなければ緊急時とはいえ、良心が痛む。
特段室内に変わったところはない。洞窟内に建っているという一点を除けば、一般的な家屋と変わりはないように感じた。
玄関から入って正面にある螺旋階段は工房の二階へと続いており、アーリィは階段の前で立ち止まって、考えごとをするように形のよい唇に手を添える。
「以前、ここにミーシャときたことがある」
アーリィの視線は螺旋階段が繋ぐ二階に注がれている。
ラウルは綺麗な横顔を眺めながら続きを待つ。
「あの子と行動を共にしていたとき、キャスウェルに会うために虹の橋を造りここへきた」
「どうして?」
「簡単に言えば願いを叶えてもらおうとした」
「グリフィスさんか」
アーリィは答える代りに、ゆっくりと瞬きをした。
「あの子は父親をとり戻したがっていた。そして、私はその願いを叶えたいと依頼されたんだ。だが、さすがに十年前にいなくなった人間を探し出すなんてことは私にだってできない。だから、モデールの管理者であるアシュマンの力を借りようした」
その結果がどうだったのかは、現状を鑑みれば聞くまでもない。
「アシュマンの願いを叶えるという力は正直な話、そこまで便利なものではない。選択肢を与えるだけなんだ」
「それは願いを叶えると言うのか?」
「理解しにくいかもしれないが、アシュマンの願いを叶えるという言葉の意味は、本来なら存在しなかった選択肢を手繰り寄せて縁を結び、新たな未来を手にするチャンスを与えるという意味合いなんだ。だから、言葉通りというわけじゃないんだ」
「なんだか詐欺みたいな話に聞こえるが」
「そう思うのも無理はないが、ありえなかった選択肢を選ぶ機会を与えてもらえるんだぞ? それは本人にとってなにものにも代え難いものであるはずだ。私はミーシャに選択する機会を与えようとした。その後のことは、選択をしたミーシャ本人の責任だ。状況が好転するも悪変するもミーシャ次第。未来はミーシャが責任をもって生きていくしかない」
「……人生山あり谷ありってか?」
「ああ。だが、山の頂上をどこにするか決めることができるというのは重要なことだ」
厳しい。だが、同時に慈悲も多分に含まれている。
「城に匿い兵士を並べて脅威から守ることを悪いとは言わない。善悪や危険を知らない子供はきちんと保護者が守ってやらねばならないからな。しかし、ミーシャは子供から大人になろうとしている。世間も知らず、考えも足りないが、自分で人生を変えようとしていた。私はそういう人間は好きだ。だから、あの子に選択と事実に向きあうチャンスを与えたいと思った」
託されたから守ろうとした。守り、未来の道筋を示そうとした。それが幸せに繋がることだと本気で考えていたから。
谷底に子を落とし、這いあがらせる力を蓄えさせることも成長には重要だ。だが、ラウルはそれを意図的に避けてきた。
もしミーシャの身になにかがあったら。
もしミーシャが悲しむことになったら。
もしミーシャが命を落とすことになったら。
無限に湧き出る不安に押しつぶされ、庇護することでしか安心を得られなかった。だから、目の届くところに、手の届くところに置くことで自分の安心とミーシャの成長があると思い込んでしまっていた。
「俺は……なにもわかっちゃいなかったんだな」
思えばミーシャは成長したがっていた。そして、実際に行動に移していた。
その姿を見て不安だからと成長の芽を潰していたのは他ならない自分だった。
どれだけ残酷なことをし続けていたのか、ラウルはようやく思い至った。
「後悔の仕方を間違えるなよ」
「なに?」
「うじうじと悩むような後悔はするだけ無駄だ。どうせ後悔するのならば正しく後悔するべきだ」
「それはそうだが……」
気づかされた罪の重さに視線を落とすと、アーリィはわざとらしいため息をついて続ける。
「ミーシャのためにもアンタのためにも助言する。心配するな。始めから全部わかっている親なんて一人もいない。親子ってのは、愛し憎まれて成長していくもんだ。その過程を経て、家族ってものが形成されていく」
「……」
「あの子にとっての血の繋がりを持った家族は二人だけかもしれない。だが、精神的に繋がりを持った家族だってちゃんと心にいるはずだ。お前が自分を否定してしまったら、あの子のなかにあるもう一つの家族を否定することになるんだぞ。それでお前はいいのか?」
ぐっと喉が詰まる。奥歯を噛みしめて、首を振る。
「家族を迎えに行くんだろう?」
これからミーシャが経験することになるだろう未来を思うと、やはり怖い。だが、その恐怖は乗り越えていくべきものだ。ミーシャもラウルも、そして、グリフィスもクレアも。
「ああ」
ラウルは力強く頷く。アーリィは静かに頷き、螺旋階段を見あげる。
「よし、通じたようだな」
気がつくと、ついさっきまで明るかった二階の光りが消えていた。
底なし沼のような深く濃い暗闇が誘い込むかのように浮いて見える。
「さっきは明かりが点いていたような……」
「この螺旋階段は念い段というアシュマンが作ったアーティファクトなんだ。一見すると二階へと続いているなんの変哲もない階段に見えるかもしれない。しかし、ある特定の条件を満たすと、階段の先は任意の空間へとつながる」
「任意の空間?」
「そうだ。この螺旋の念い段は心のなかで強く念じた場所や、人のところへ続く道を作ってくれる。想いが強ければ強いほど、時間の拘束に縛られずに行きたい場所に行くことができる」
「じゃあ、この階段をあがればミーシャの元に行けるのか?」
「そういうことだ」
アーリィが顎をしゃくってのぼれと促す。
戸惑いはあるが、それも一瞬のことで意を決して一段目の階段を踏みしめる。木の板がラウルの体重に悲鳴をあげるように嫌な音を立てた。続いて二段目に足を乗せた瞬間、足の裏を無数の虫が這いまわるような感覚が襲い、思わず飛び降る。
「嫌な感じがするかもしれないが、気にするな。問題はない」
アーリィの言葉にラウルは無言で頷く。一段二段三段と、足の裏の感覚を堪えながらゆっくりと階段をあがっていく。
視界の先に待つ暗闇は、空間を切りとって黒く染めあげたかのように漆黒の口を開けて待っている。
「いいか、ミーシャのことだけを考え続けるんだ。それ以外のことは頭から追い出せ。じゃないといつまで経ってもミーシャの元へはたどり着けない」
こめかみを伝う大量の汗が首筋に流れ、服に染み込んで跡を残す。
全身から噴き出す汗で服が水に浸かったように重い。しかし、グリフィスは足を止めない。
あと一段で暗闇に飛び込むというところで足を止めた。
暗闇の先からは音も光も感じない。よく目を凝らすとなにかが蠢いているような気もするが、それが実際にあるものなのか、恐怖による幻視なのかはわからなかった。
手を伸ばし、暗闇にそっと触れる。指先にわずかに抵抗感のある柔らかな感触がした。
「……行くぞ」
汗で水分を失って乾いた口内に唾液を溜めて、大きく嚥下する。
爆発しそうな心臓の鼓動がより激しくなる。一瞬ためらってから、思い切って右腕を差し込んだ。
暗闇のなかはとても冷たかった。虹の橋を渡ったときよりも遥かに冷たい。
ミーシャ。
心のなかで会いたい人物の名を思う。
「今迎えに行くぞ!」
ラウルは自分に言い聞かせるように大声で叫ぶと、暗闇のなかに身を投じた。
第八章 了
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