四十二話
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「さてと……サンプルは摂れたし、今日はこの辺で戻るとするか」
額にかいた汗を手で拭いながら、採取したサンプルの入った試験管をバッグに仕舞う。
「これだけ広いとサンプルを採取するだけでも一苦労だな」
溜息をついて腰に手を当てて体を反らす。腰骨が小気味いい音を立てた。
モデール森林公園に潜入してからすでに三日。作業の進捗はそれなりだ。
肩にかけたバックのなかには土壌サンプルと、いくつかの植物を採取した小瓶が入っていて、それぞれに黒い粉が付着している。
森の深部に入り込んで拠点となる場所に天幕を設置し、それからはサンプル採取と分析。そして、内容を記録するだけの日々。
地味で退屈な作業を続けた反動か、少し肌の張りが悪くなったような気がする。
「美味いものでもあれば少しは違うんだろうが、こんな場所じゃあまともな食い物もないし」
事前に食料を持ち込んではいるがあまり多くはない。残りを節約したとしても二日かそこらが限界だ。
もっと買い込んでおけばよかった。そう後悔しても遅い。
一旦アーレイに戻るかとも考えたが、あまり気が進まなかった。戻るにも時間がかかるし、一度立ち寄った町に短期間のうちに再訪するのはリスクがある。それに──。
「あいつが留まっているうちに接触だけでもしておきたいんだよな」
こんな鬱蒼とした森に滞在しているのは目的があるからだ。アーレイの住民が見たという竜。人生を賭けて探し出すと決めた存在が、この森にいる。
ここ半年、全く目撃情報がなかった竜の目撃情報をこんな辺鄙な土地で聞くとは思っていなかった。
元々アーレイには仕事の帰りに寄っただけだったのだが、気まぐれに入った酒場で男たちが竜の話をしているのを聞いたときは、思わず間に入り込んで問い詰めてしまった。その結果怪しまれて、飲み勝負をする羽目になったのは誤算だったが、話を聞き出すことには成功した。
店主には感謝の意を込めて大盤振る舞いのリーン銀貨二枚をくれてやったが、後で財布の中身を確認して後悔した。
旅をしながら生計を立てているというと一種の憧れの視線を向けられることが多いが、実際はそんないいものではない。
帰る家がないというのは、表しようのない寂しさがある。それに金銭的にも旅費などの出費がかさむので実は余裕はあまりない。
あの晩店主にはガキの飲み自慢には負けないなどと大口を叩いたが、本当はかなり酔っぱらっていたのかもしれない。
「こりゃ、戻ったらまた仕事斡旋してもらわなきゃだな」
◇◇◇
三日間森を歩き回ったおかげで、ある程度の地図は頭のなかに入っていた。
現在アーリィがいるのは森を流れる小川が出会う合流点。森の木々の合間から差し込む太陽光が川に溶け込み、川全体が星屑のように煌めいている。また植物も豊富な栄養を含む水と太陽を浴びて、一段と濃く色づいていた。
気持ちがいい。
普段、騎士やバウンティハンターに見つからないように旅をしているせいか、人の目がない森のなかは変装することも気を張って周囲に目を配る必要もない。
久しぶりに素のままでいられる。それがアーリィにとっては一番の喜びだった。
だが、至福のときも長くは続かなかった。
「そこの者、止まれ」
警戒の色を多分に含んだ男の声。
アーリィは即座に外套のフードを被り、上着の内側に仕込んであるナイフの位置を確認する。
「ゆっくり手をあげて振り返れ。変な気は起こすなよ」
アーリィは言われた通りに両手をあげ、ゆっくりと振り返る。離れたところに森林保護官と名称の入った制服に身を包んでライフルを構えている男がいた。
金髪蒼眼。女のように長い髪は後ろで一括りに結んでいて微笑むだけで簡単に女を落とせそうな整った顔をしている。
なるほど。アーレイの酒場で聞いた森の守護者か。
「ここは都の管理する森林公園だ。許可のない者の立ち入りは禁止されている。許可書を持っているのならば右手に持って提示しろ」
口調は丁寧だが、形式上訊ねているだけなのは明白だ。
男の目は鋭く、獲物を狩る狩人の目をしていた。
「そんなもの持っていないよ」
鼻を鳴らして嘲るように言うと、男の目が一瞬見開かれ半歩後退した。
より警戒の色が濃くなった声が静かな森に響く。
「ここへの不法侵入は重罪だぞ。それを承知うえでのことか」
「そんなこと聞いてどうするんだ? お前の仕事は変わらんだろうに」
「……そこを動くなよ」
男はそう言うとじりじりと距離を詰め始めた。
さて、どうするか。拘束される瞬間を狙ってライフルを奪い、一撃入れて逃げるか。いや、それではこの男が他の保護官に私が森に侵入していると報告してしまう。相手はこの森のプロだ。大人数で捜索されれば捕まるのは時間の問題だろう。
アーリィはゆっくりと瞬きをしながら思案する。
どうする。殺しはありえない。あれはそういう穢れに敏感だ。ここで殺しをしてしまえば接触は絶望的だ
「手を頭の後ろで組んで跪け。俺が許可を出すまで目を瞑っているんだ」
男が立ち止まった。これ以上は近づかないようだ。
仕方がない。今はこれ以上考えていても答えはでなさそうだ。とりあえず、この状況を打破することだけに集中しよう。
アーリィは言われた通りに手を頭の後ろに回した。男の目がその動きを追う。
よし。ここだ。
アーリィは男の視線が丁度自分の顔辺りに集まった瞬間を見計らって、後ろ手でフードを外した。
「なっ!」
一瞬男の顔に驚きと、悦びの感情が浮かぶ。これだから男の相手はやりやすい。
僅かにできた隙に地面を蹴って一気に距離を縮めると、ライフルを手前に引きバランスを崩したと同時に鳩尾目がけて蹴りを放った。
鴨のようなうめき声を発して男が跪く。そのまま素早く後ろに回って腕で首を絞める。
「うっ……ぐうっ」
男は必死に抵抗しようともがくが、鳩尾の一撃が重く効いているのか、手足に力があまり入っていない。これなら簡単に締め落とせそうだ。
「まっ……まって……待っでぐれ!」
「命乞いか? 残念だが、私はそれを受け入れるほど優しくはない」
男の暴れていた手の動きが緩慢になり、しまいには力なく垂れさがる。もう少しだ。
最後の締めに力を込めようとした瞬間、蚊の鳴くような声が聞こえた。
「あん、た……に、た、頼みがあ……る」
そんなことを言われたものだから、ほんの少しだけ締める腕の力が弱まった。
「どういうつもりだ?」
アーリィが顔を寄せると男の赤くなった顔が必死の形相で腕を離してくれと訴えかけてくる。
くだらない手だ。不利を悟ってこちらを油断させるための嘘を吐いている。そんなものに引っかかる馬鹿などいない。
依然、腕に込めた力は保持したままだ。この後のことを思うと辟易とした。まだ十分な調査も終わっていないのに、面倒なことになってしまった。こいつをここで締め落として、一度天幕まで連れて行ってその後はどうする。
拘束するのは簡単だが、目を離すわけにはいかないし、かといってこいつを連れて調査など現実的ではない。薬でも嗅がせて眠らせておくのも手だが、変に後遺症でも残ればこちらの目覚めが悪くなる。
ただでさえ、犯罪者として追われている身なのだ。これ以上罪状が増えるのは御免被りたい。
つくづく私はついていないな。
そんなことを思いながら空を仰ぐと、肺のなかの空気を全て吐き出すように「ル……ルグリだ!」と男が叫んだ。
「……ちっ、クソが」
アーリィは悪態をついて首を絞めていた腕を外すと、男が落としたライフルをとり数歩分だけ距離をとった。
ようやく解放された男はうずくまりながら吐くような咳をした。
「その名をどこで知った?」
アーリィの問いに男は答えない。いや、答えられない。全身を痙攣させながら喘ぐように空気を吸い込むことに集中している。
「はあ……本当に面倒くさ」
アーリィは隠さずに大きなため息をついて、空を仰いだ。
◇◇◇
「トーラス・ウィンターだ」
男はそう名乗ると握手を求めてきた。
「アーリィ・リアトリス」
アーリィは近くにあった朽ち木に腰かけ長い脚を組みながらぶっきらぼうに名乗った。トーラスは差し出した手をしばらく握ったり開いたりして持て余している。
「握手するつもりはない」
「ああ……はい」
そして、つれない返事に悲しそうに眉を歪めて手をおろした。
「それでなんでお前は初対面の私に頼みごとがあるなんて言い出すんだ? というか何故ルグリという言葉をお前みたいな軽薄そうなやつが知っている」
「いや、軽薄そうってそれは──」
「聞かれたことにだけ答えろ」
「……はい」
「で? どうなんだ」
「……アーリィさんは悪い意味で有名人ですから、名前だけなら聞いたことのある人も多いはずです。俺は軍に友人がいるので手配書を見せてもらったことがあって、そのときに顔写真も見て覚えてたんです」
軽薄そうだと言われ不服そうな表情を浮かべたトーラスだったが、アーリィの有無を言わせない態度に渋々といった様子で答えた。
「軍の知り合い? アーレイのか?」
「そうです。今はかなり大きな規模になってますけど、三年ぐらい前は少人数の駐在軍がいるだけだったんです。俺はまだ軍拡が進む前からちょくちょく顔を出していて、そこで知り合った奴と仲良くなって色々話を聞いたり、内緒で軍の宿舎に遊びに行ったこともあって。手配書はそのときに見せてもらいました」
「だが、手配書で見た程度の私をよく覚えていたな」
「そりゃあ覚えますって! アーリィさんのような美しい方は早々いませんから。俺も手配書の写真を見たときに、こう、体の芯を雷に打たれた様な──」
「それで? ルグリの方はどうして知ってたんだ?」
「……」
「……? なんだ? 話したくないのか」
わざとやっているわけではない。アーリィからすれば容姿を誉めそやされるのはいつものことだった。
シミやそばかすといったものとは無縁の純白で絹のようなきめの整った肌。長い手足に適度にメリハリのある体。世の理想をかき集めて一つにした完成体。
他と比べて劣るところなど皆無であり、これまで出会った人々の大抵は男女問わず初対面のアーリィに対して似たような感想を持つ。
ある芸術家に美の化身だ、と言われたときはさすがに言いすぎだとも思ったが、後にその芸術家のアーリィをモデルに描いた絵画が業界内で高く評価され、一つの美の終着点だと世間でも話題になったと知ったときは流石に背中がむずがゆく感じた。
他人の目に自分がどう映るのかはちゃんと理解している。それが外面のみを評価したものであるというのもまた同じように。
「もう一度聞く。何故ルグリという言葉を知っているんだ」
だから、目の前のトーラスと名乗る男が外面を見て鼻のしたを伸ばしていることにも嫌気がさしていた。どいつもこいつも同じような反応ばかりしやがってと。
頼みごとがあるというのもただの方便なのではと疑いの気持ちが湧いてくる。
次ふざけたことを言えば、もうこいつから話を聞き出すのは止めにしよう。何故こんな男がルグリを知っているのか気にならないわけではないが、時間がどれくらい残されているのかもわからないのだ。本当ならばこうしている時間すら惜しい。
面倒だからあまり使いたくはないが、心身に影響を与えずに拘束する術がないわけでもないのだ。
顎を引いて目元に力を込める。その眼力に気圧されたのか、トーラスは喉を鳴らして唾液を飲み込んで、一つ深呼吸をしてからおずおずと口を開いた。
「少し長い話になってしまいますけど、それでもいいですか? 俺説明が得意じゃなくて、上手く順序立てて話すとかしたことないし……」
「私が必要ないと判断したら、そこで止める。お前の好きなように話せ。だが、私も暇しているわけではない。時間は有限だからな。そこを踏まえて話せ」
アーリィの言葉にトーラスは無言で頷いた。そして、視線を落とし、記憶を解すようにゆっくりと話始めた。
「俺がルグリという言葉を知ったのは森林保護官としてこの森で働き始めて半月ほど経ったころのです。ある事件がモデールで起こり、それが原因で一つの家族の運命が大きく変わってしま今した。それは、なんて言うか……いや……」
「難しく考えるな。ありのままを話せばいいんだ」
「はい……。少し回り道になってしまうんですけど、聞いてください。アーリィさんはモデールの妖精って昔話は聞いたことがありますか?」
「いや、ないな」
「じゃあ、まずはその話から。遥か昔、この森はドランという妖精の庇護の元、人と妖精が互いの文化や知識を共有し合い、協力しながら暮らしていました。ドランは特別な力を持っていましたが、その力のなかでも特筆すべきものが願いを叶える力です」
願いを叶える妖精。
恐らくドランという妖精はこの地を管理しているアシュマンのことだろう。
「ある日、ドランの噂を聞きつけた貴族がこの森を訪ねてきて、問いただします。『私はここに国を興そうと思っている。しかし、障害が多く、その願いを叶えるには多大な犠牲と労力が必要になってしまう。私はそんな犠牲も労力も払いたくはない。そこでドランとやらの力を借りにきた。お前たちは居場所を知っているのだろう。私とドランをとり次ぐのだ』。モデールで暮らす人々は困惑しつつも、その要求を妖精ドランに伝えました。でもドランは願いを叶えることはできないと断りました。ドランの返事をそのまま貴族に伝えると、途端に機嫌を損ね、怒り狂った貴族に人々は惨殺されてしまった。そのことに責任を感じたドランは、貴族を森の牢獄に閉じ込め、以降誰もモデールに人を招き入れないようにし、森を大きく要塞のように成長させた、という話なんです」
「ふん。こういう辺境によくある昔話だな」
「ええ。俺もこの辺出身じゃないんですけど、先輩職員から聞かされたときは同じような感想を抱きました」
「それで? それがルグリを知っていることにどう繋がる?」
「他の人が聞いたら、俺はいい歳でお伽噺を本当に信じている痛い奴って思われるでしょう。でも、アーリィさんなら違う。貴方なら俺の話の意味を理解してくれるはずです。俺は十年前、その昔話に出てくる妖精と出会い、大切な上司を失いました」
ここまでお読みなってくださりありがとうございます。
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カクヨム、アルファポリス、ノベルアップにも同作を投稿しております。




