三十二話
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「発見されたのは特別保護区Ⅰ。モデール狼と思われる個体が灰菌症に感染した状態で発見されました。発見時にはすでにモデール狼は死亡。体からは灰菌症中期に見られる綿の飛翔が確認されており、ただちに隔離処置をとりました」
「そうか。防護服はいくつある」
「現状モデール監督署にある防護服は八人分しかありません。アーレイなら数は揃っているとは思いますが……」
「わかった。この件に関しては引き続き調査を行う。一両日中に緊急事態宣言と、医療団の派遣要請を行う。本日から巡回活動に当たる職員は防護服を装着するように。それと消毒用のアルコールの在庫を調べて、不足が予想される場合は早めに報告をするように」
「承知しました」
「それでは皆、持ち場に戻ってくれ」
ミーシャが帰還してはや三日。モデールは以前の忙しさをとり戻していた。
ミーシャの現場復帰はしばらく見送りとなり、現在は寮で療養となっている。
これで今まで通りのモデールに戻れる。監督署の誰もがそう安心したのもつかの間、モデールでは新たな問題が発生していた。
灰菌症。治療法のない不治の病。
感染初期は、黒い斑点が全身を覆い、中期になると斑点から黒い綿のようなものが発生し対象を覆い尽くす。後期になると、黒い綿はタンポポの綿毛のように対象から飛び立ち、全ての綿が飛び去った後には、真っ白な灰が残る。
この灰菌症は人間や動物、植物はもとより、土や水まで汚染し、一帯を灰の海で飲み込んでしまう。
根本的な治療法はなく、対処療法として灰菌症に感染している対象を厚手の布で覆い、隔離したのち、焼却することが推奨されている。
王都ルデリアの専門機関の研究により、後期以前の状態であれば他に感染することはなく、焼却すれば感染を防げることまでは判明している。また、専用の防護服も開発されており、大陸の主要拠点に配備されている。しかし、この灰菌症の一番の問題は発生条件が判明しておらず、対処が後手に回ることが多く被害が拡大しやすいことだ。
「ようやく落ち着けると思ったが……」
ラウルは狭い会議室で灰菌症について簡単にまとめられた書類に目を通す。
過去の事例では、国が一つ滅んだことも、モデールと同じ規模の森が一か月後には灰で覆い尽くされてしまった事例もある。
報告によると症状は中期だったため、他への灰菌症感染はないはずだが、何事にも異例というものがある。
事態は楽観できるようなものではない。
最悪の事態を考慮する必要がある。
「ラウルさん」
会議室の扉が開かれ、トーラスが顔を覗かせた。その顔には明らかに疲れが見てとれる。
ここ最近、トーラスにはかなりの無理をさせてきた。本来であれば二、三日休みをとらせてやりたいが、現状を考えるとそうすることもできない。トーラスはラウルを覗けば、一番モデールの業務に精通している。現場から事務作業まで、業務を滞りなく進めることができ、トラブルに柔軟に対応できるのもトーラスだけだ。
上司として心苦しいが、今はトーラスを欠くことはできない。
「どうした?」
だから、ラウルはトーラスに負い目を感じていた。
「あー……なんだ、あれだよ……。ミーシャの具合はどうだ」
照れ臭そうに頭を掻きながら、視線を合わせないようにするトーラスにラウルはいじらしさを感じた。
「ああ。イーラさんからは健康状態については問題ないと報告を受けている。もうしばらく安静にしてもらう予定だが、特に異常がなければ内勤から始めて徐々に復帰してもらおうと思っている」
「大きい病院に入院させなくていいのかよ」
「本人の要望で今回は見送ることにした」
「そうか。ならいいんだけど」
トーラスの顔に安堵の色が広がる。
ミーシャがこのモデール監督署に入職して、先輩後輩関係になってから二人の関係は仲のいい兄妹といったものだった。ミーシャは否定するが、反抗期を迎え、兄を毛嫌いする様子はまさに兄妹だ。
そんなミーシャも仕事に関してはトーラスを信頼しているようで、なにかあればトーラスに相談している姿をよく見かけた。
昔、まだグリフィスさんがいたころは、たまに家に招かれるとミーシャはトーラスにべったりで、トーラスも満更ではないようだった。兄弟のいないトーラスにとってミーシャは本当に歳の離れた妹のような存在だったのかもしれない。
幼いミーシャが将来トーラスと結婚すると言い出したときは、グリフィスはショックを受けたような顔をしていて後で面接があるからと、血の涙を流しながらトーラスに詰め寄っていた様子は、今でも二人の間では酒の肴になっている。
「俺はあんまり近づけないからさ」
安堵を浮かべつつ、寂しそうに床を見つめるトーラスに、ラウルはそんなことはない、と否定する。
「俺には資格がないんだ」
「馬鹿なことを言うな。ミーシャを見つけられたのはお前の功績が大きい。どうしても自分を責めてしまう気持ちは理解するが、お前がいなければ今頃どうなっていたか」
励ましの言葉に、トーラスは力なく首を振る。
「そうじゃねえんだ。俺は……」
「トーラス……」
トーラスの疲弊は仕事だけが理由ではない。このときラウルはようやく気がついた。
トーラスにとってミーシャの存在は想像していたよりも大きい。血の繋がりこそないものの、トーラスにとってミーシャはなにがあっても守るべき対象なのだ。
それがアーリィ・リアトリスという危険人物に攫われ行方不明になった。その事実は精神に大きな負担となった。
ミーシャが戻ってきたとしても、それは軽減されるどころか、肥大化していたのだ。
「俺、もう行くよ。今日の当番は巡回なんだ。あの暑苦しい防護服着込んで歩き回るなんて最悪だぜ」
「体調が思わしくないなら、俺が変わろうか?」
「そんな暇ないだろ。都にアーリィ・リアトリスの件を報告しなきゃならないし、灰菌症の件だってあるんだからよ」
綺麗な金髪を掻きあげながら、無理やりとり繕った笑みを浮かべてトーラスは言う。
「現場は俺に任せな。アンタはアンタにしかできない仕事をすればいい」
トーラスはそれだけ言うと、じゃあな、と手を振って行ってしまった。
ラウルは自分の限界に辟易する。もしグリフィスなら、このままトーラスを行かせることはしない。無理にでも引き留めて、本心を引っ張りだす。
それができないのは、これからやらなければならない眩暈のする量の仕事のことを考え、ブレーキをかけてしまったからだ。
後輩の気遣いに甘えてしまう自分に憤る。これだから、俺はあのときも──。
「……さて、まだ仕事が山のようにあるんだ。こんなことをしている場合じゃない」
こんな風に無理やり気持ちを切り替えようとする自分も嫌いだった。
◇◇◇
重い体を起こしベッドから這い出でてカーテンを開ける。すでに日は落ちて、空にはいくつかの星が顔を覗かせ始めていた。
だいぶ眠っていたようだ。寝ぐせのついた髪を撫でながら、ベッド脇に設置されたテーブルのうえにあるカップの水を呷る。乾いて張りついた喉に久しぶりの水分が染みわたる。
一息つくと、入浴用品一式を持って部屋を出た。女子寮から歩いてすぐのところにある共同入浴場に向かう。この時間帯なら先輩職員と出くわす心配もない。
自分がどうやって監督署に戻ってきたのかはわからない。聞いたところによると、トーラスが森へ続く細道のそばで寝かされているあたしを見つけたそうだ。
何故そんな場所に、と記憶を探るも天幕で横になった後、甘い香りが漂ってきたことまでは覚えているのだが、それ以降のことはどうしても思い出せなかった。
恐らくアーリィになにかされたのだろうが、思い出せない以上は考えても仕方がない。それに、監督署に戻ってこれたのならどうでもいいことだった。
それよりも帰ってきてからの時間は本当に憂鬱だった。
監督署に戻ってきてから複数の女性職員が何度かお見舞いにきてくれたが、ドア越しに体調が優れないと言って帰ってもらった。
顔を合わせたくなかった。合わせれば自分がなにを言うかわからなかった。
父を見殺しにした人間たち。裏切り者。
普段と違う様子にイーラはいち早く気がついたようで、ここ三日間検診という名の雑談をしにきてはさりげなく探りを入れてきた。裏切り者に本心を悟られるわけにはいかない。適当に誤魔化し、疲れたから休みたいと言って帰ってもらう日々。
先輩職員が暇つぶしに小説などを部屋の前に置いてくれているが、テーブルのうえに読まずに積まれたままだった。
優しさが煩わしかった。皆恐怖している。あたしが本当のことを知ったのではと疑っている。だから表面上優しくしてくるのだ。そうすることで心の隙間に入り込み、こちらの寝首を刈ろうとしているのかもしれない。
気持ち悪い。このモデール監督署という場所も、人間も、すべてが気持ち悪い。
浴場で何度も水を浴びて寝汗と共に気持ち悪さを洗い落とそうとする。依然、肌に染みついた嫌悪感が残っているが、それでもいくらかはましになった。
脱衣所に戻りで手鏡で自分の顔を写す。顔色が悪い。なんとなく肌が乾燥している気がするし、唇もひび割れがある。瞼や頬が時折痙攣しているのは、精神的な負荷が原因だろうか。唯一爛々としているのは瞳だけだ。
ミーシャは鏡のなかの自分に語りかける。
「あたしはもう迷わない」
あたしが幸せになるため。家族が幸せになるため。そして、今まで幸せに暮らしてきた人間たちに告げる。
今度はお前たちが不幸せになる番だ、と。
◇◇◇
体と髪を乾かしてそのままモデール森林監督署にやってきたミーシャは二階にある一室を訪れていた。廊下を進み、突き当りにある一室を目指す。
「失礼します」
二回ノックして返事を待つ。しかし、いつまでたっても返答はない。もう一度ノックをしようと腕をあげかけたとき、後ろから声をかけられた。
「あれ……? ミーシャちゃん!? もう出てきて大丈夫なの?」
「はい。おかげ様で」
振り向くと書類の束を胸に抱えた女性職員が、驚きの表情を浮かべて立っていた。
「そうなの? でもまだ無理しちゃダメよ。あんなことがあったんだから……」
女性ははっと自分の口を手で押さえた。わざとらしい。湧きあがる苛立ちを隠さず、あたしは言った。
「それで、ラウルさんに用があるんですけど。どこに行ったか知ってますか」
「ラウルさんなら会議室にいるわよ。これから緊急会議なの。ちょっと問題が起こって……」
「問題?」
「ちょっと前に灰菌症に罹った動物が確認されたの。それで対策会議を開くことになって」
「あたしも参加します」
間髪入れずに答える。しかし女性は渋い顔になった。
「いや、それは……。ミーシャちゃんはまだ本調子じゃないだろうし……危険よ」
「危険かどうかはあたしが判断します。会議室でしたよね」
女性の制止を無視して会議室へ向かう。後ろから慌てた声が止めようとしてくるが、無視して歩を進める。
丁度いい。これを利用しない手はない。どうやっておびき出そうか考えていたが、これなら誰にも怪しまれずに連れていくことができそうだ。
会議室にはラウル、トーラス、数人の上位職の人間が集まっていた。
ノックもなしに突然入ってきたミーシャに全員面を食らったようだが、すぐにトーラスが席を立ち、ミーシャの元へやってきた。
「お前なんでここにいるんだ。今会議中だ。入ってくるな。いや、それよりも大丈夫なのか? その……体の調子は」
「お気遣い感謝します。でも問題ありません。ラウルさん、あたしも会議に参加させてください」
心配するトーラスに一瞥をくれ、すぐにラウルに向き直す。闖入者の要求に室内に緊張が走る。
全員の視線が自然とラウルに集まる。ラウルは微動だにせず腕を組み、目を閉じていた。
「ミーシャ」
「はい」
ラウルの覇気のある声が、緊張の糸を断ち切る。
「お前を参加させることに、俺は反対しない。だが、ここは今後の対応を話し合う重要な会議だ。重要な情報を共有し、一つの方針を打ち立てる。それはここで働く職員に余計な混乱を招かず、効率よく、そして迅速に職務を遂行してもらうために必要なことだ。ここに役割のない人間などいない。だが、お前はどうだ。ここでお前はなにができる」
一同のラウルに向けられた視線が、ミーシャへ移る。意味を問うているのだ。この会議にミーシャを参加させることに対する意義を。
ミーシャは会議内を見渡し、そして室内に通る明瞭な声で告げる。
「あたしはアーリィ・リアトリスと数日間行動を共にしていました。その間、森から出ることはなく朝も昼も夜も森の息を感じ、身を置いていました。灰菌症に関して提示できる情報はありません。しかし、あたしは灰菌症が発生しているとされる時間に森に滞在しておりました。皆様の持つ情報とあたしの見てきた森の状態をかけ合わせれば突破口になるものが見つかるかもしれません。いや、それ以上の価値を持つモノを生み出すことが可能になるかもしれません」
「それ以上?」
「あたしは灰菌症の発生原因について、一つ心当たりがあります」
会議室にざわめきが走った。未だ誰も解明することができていない灰菌症。その発生原因に思い当たるものがある。その発言が持つ意味は文字通り世界をひっくり返すことになる可能性を秘めたものだ。
「あたしは馬鹿だから、政治のことはわかりません。でも、あたしの心当たりがもし正しかったとしたら、その情報は途轍もない価値を生み出すものになるはずです。その価値あるものは交渉する武器になる。例えば……監督署を運営する資金を引っ張り出す強力な一手になる、とか」
ラウルの頬が一瞬引きつったのをミーシャは見逃さなかった。モデールは資金繰りに関して悩みを抱えている。
モデール森林公園は、都が運営する公園だが、その資金は毎年削減されている。
価値を理解できない政治家が、自身の懐に入る金を増やすため、又は軍備増強のための資金確保ためにモデール森林監督署の予算を減らしているのだ。
年々減額される資金のなかで活動を行うために、ラウルが神経をすり減らしていることをミーシャは知っていた。
「灰菌症の発生原因特定を出しに都と交渉をしろと? そんなことをすれば余計目の敵にされてしまう。お前の言うことが真実だとして、それを俺たちが独占するなど反逆行為ととられてもおかしくない。そうなれば、さらに立場が悪くなる可能性もあるんだぞ」
「そこはラウルさんたちの立ち回り次第でしょう。あたしはただ、可能性を示しているだけです。上手くいけば大きな財産を生み出すことができるかもしれない。それをどう利用するのかは皆さん次第です」
「お前、自分の言っている意味がわかっているのか」
「意味はたくさんあります。ラウルさんがそのうちのどれを差して言っているのかはわかりませんが、少なくともモデールに不利益をもたらすことにはならないはずです。いいんじゃないですか。自分のために誰かを犠牲にすることも、誰かの誰かを不幸せにするわけでもないんですから」
嘲るような口調にラウルの顔が歪む。その場にいた全員が同じような表情を浮かべていた。
「あたしの話に利用価値がないと判断したのなら追い出せばいい。皆さんがそう判断されるのならばあたしは従います」
反対する声はあがらなかった。というよりも、ミーシャの変わりように誰も口を挟めなかったといった方が正しい。
ミーシャは開いていた一番後ろの席に腰をおろした。戸惑いの視線が周りから向けられるが、気がつかないふりをして背筋を伸ばしてラウルを見つめる。
見つめ返してくるラウルの瞳には怯えの色が見え隠れしていた。
ここまでお読みなってくださりありがとうございます。
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