三十話
30
「この食事とも明日の朝でおさらばだな」
アーリィが湯がいた非常食粥をつつきながら噛みしめるようにいった。その顔はどこか憂いを帯びていて、ミーシャの目には、この時間を惜しんでいるようにも見えた。
今日は一日移動用道路を歩き通して、夕刻を迎える少し前に休むことになった。順調に進めたため、予定通り明日の午後には監督署に戻れそうだ。
今は小さな焚火にあたりながら、夕食をとっている。
「不味い食事もこれでお終いだと思えば少しぐらい味が変わると思いましたけど、結局不味いものは不味いだけでしたね」
「……そうかもしれないな」
僅かに間を置いて寂しさを混ぜ込んだ声でアーリィは呟く。ミーシャは最後のひと匙を口に運び、脳が味を理解しないうちに咀嚼せずに嚥下して、水で流し込んだ。
自分の使った食器を水筒の水で洗い流し、焚火側にある枝を組んで作ったラックもどきに吊るす。
食事が終って少しした後、ミーシャの体の塗り薬と包帯を交換してもらう。
「傷跡もだいぶ薄くなってきているな。これなら後は時間経過に任せておけば問題ないだろう」
アーリィの言うように、体にあった傷は完全に癒えており、痛みも突っ張るような感覚もなかった。気になっていた痕はまだ残っているが、消えるのも時間の問題と言われ一安心だ。
片づけを手伝い終えると、さっさと天幕へ向かう。
「すみませんが、今日はもう休みます。おやすみなさい」
「ああ。私は日課をすませてから休む」
軽く頭をさげて天幕に入り、毛布のなかに潜り込む。
天幕のなかはアーリィの香りで満たされていて、懐かしいような、どこか心がほっと安心してしまいそうな優しさに満ちている。
しかし、今のミーシャはその香りに身を任せることに抵抗を感じていた。今日一日キャスウェルの言葉が頭にずっとちらついていたからだ。
アーリィ・リアトリスを信じるな。
なるべく態度や表情に出さないようにしていたつもりだが、どうだろう。
アーリィが時折向けてくる視線にはこの数日間で見せたことのない探るような気配があった。その視線を向けられるたびに感づかれているのでは、と肝を冷やしていた。
早々に寝床に潜り込んだのも、そんな視線から逃れるためだった。
外ではアーリィが日課をしているのか、トランクを開ける音となにかをとり出す音が聞こえた。
「……あ、この匂い」
天幕の出入り口のわずかな隙間からお香のような香りが漂ってきた。
アーリィの吸う煙管の匂いだ。前回と違い、今回の香りは少し甘ったるく体に纏わりつくような香りだった。
瞼が重くなってきた。全身が脱力し、思考が流砂に沈むように圧迫されていく。
ふとアーリィが立ちあがる気配を感じた。しかし、重くなった瞼を開ける力はすでに残ってはいない。
微睡みの誘惑に意識を完全にまかせてミーシャは夢の世界に旅立った。
◇◇◇
朝日が背後にある窓のカーテンの隙間から差し込み、テーブルのうえに影を落とす。首筋に感じる太陽光の熱が、血液を伝わって全身をじんわりと温めてくれる。
せっかく仕事量の調整をしてくれたというのに、結局徹夜で執務室に籠ってしまった。
途中、捜索班からの報告を聞きに行ったが、それ以外はほとんどこの部屋から出ることはなかった。仕事が多かったわけではない。むしろ、夜中前には全ての書類仕事は片ついていた。だが、なんとなく気持ちが落ち着かなくて、帰らなかった。
ラウルの妻は立場や状況を理解してくれている。妻はミーシャとも面識があるので、ことの経緯を話すと笑顔で、見つかるまで帰ってくるな、と背中を押してくれた。妻らしい気遣いだった。甘えさせてくれる妻の度量には感謝しかない。
昨日も捜索班はミーシャを見つけることができなかった。手がかりになるようなものも見つからず、帰ってきた捜索班の皆の顔は濃い疲労の色が浮かんでいた。
もう限界かもしれない。残された時間はもう僅かだ。今日中に見つけられなければ、最悪の決断をくださなければならない。
椅子の背もたれに体重をかける。木の軋む音が、これ以上体重をかけないでくれと悲鳴をあげているように聞こえた。
「ラウルさん!」
突如、女性職員がノックもなしにラウルの私室に飛び込んできた。乱れた髪に気を配る時間も惜しいといった様子で、興奮と不安が入り交じった瞳をラウルに向けてくる。
「な、なんだいきなり。どうしたんだ」
ラウルは徹夜明けの上手く呂律の回らない口で女性職員に尋ねる。
「ミーシャちゃんが見つかりました!」
「なに!?」
「今医務室に運ばれて先生の手当を受けているようです。早く、ラウルさんもきてください」
「わ、わかった。すぐ向かおう」
ラウルの返答を聞くな否や、女性職員は弾かれるように廊下を走っていった。
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