二十三話
23
居間を出ると視界の端にキャスウェルが螺旋階段をのぼっていくのが見えた。
「キャスさん待って!」
「いいからあいつの後を追うんだ!」
未だなにが起こったのかわからずまごつくミーシャを押しのけ、アーリィはキャスウェルの後を追って螺旋階段を駆けあがっていく。
数舜遅れてミーシャもその後を追う。
「待ってください!」
「早くこい!」
ミーシャが居間を出たとき、すでにアーリィは二階へ続く螺旋階段をあがりきる寸前だった。
慌ててミーシャも続こうとするも、階段の手すりに手をかけたときにはすでにアーリィの姿はなかった。
「二人とも先に行ったんだよね……?」
あれだけ慌てていたのだから、二階から二人の足音や声くらい聞こえてきてもいいはずだ。しかし、家中は不気味なほどに静まりかえっていた。
まるで今のこの家にはミーシャしかいないかのように。
背筋を走る悪寒から逃れるように螺旋階段の一段目に足を乗せ体重をかけると、ミシミシと嫌な音が響く。
正直に言って怖かった。しかし、だからと言ってここで立ち止まるわけにもいかない。二段目、三段目と階段をあがっていく。背後になにかいるような気がしてしまうが、振り向く勇気はなかったので口のなかを噛んで恐怖を痛みでかき消した。
そのまま階段をあがりきると、どこからともなくカビの臭いが鼻をついた。
二階には光源になるようなものはなく、一階からの明かりが螺旋階段からわずかに届いているのみだ。限られた明かりを頼りに目を凝らす。二階の構造は至ってシンプルで、螺旋階段をのぼりきった正面に部屋が一つ。左右に伸びる廊下があり、部屋が一つずつある。
二階にあがっても二人の気配はなかった。それがまた不気味で不安を煽ってくる。
「あっ」
が、右手側の木製のドアがわずかに開いており、室内から細く光が漏れているのを見つけた。
「あのー……キャスウェルさん?」
薄暗い廊下にミーシャの声が通り、そのまま廊下の壁に飲まれていく。
返答はない。代わりにドアの隙間から苦しそうに呻く声が聞こえた気がした。
「……グリフィスさん?」
漏れ出る光に向かって問いかける。しかし、やはり答える声はない。震える手でドアノブに手をかけ、なかの様子を伺える程度に開いた。
「大丈夫ですか……。さっきすごい音がしましたけど──」
部屋のなかは工房らしく様々な工具が所狭しと並べられていた。作業台にはランプが一つと、彫金に使用すると思われる鑢や金槌、タガネが乱雑に置かれている。
グリフィスはどこにいるのだろう。部屋へ一歩足を踏み入れた瞬間、ドアの影になって見えていなかった仕事道具の並べられた棚のすぐ下で、黒いローブを纏ったグリフィスが倒れているのを見つけた。
「グリフィスさん! 大丈夫ですかっ」
駆け寄って声をかけるが、グリフィスは体を折り曲げて唸るだけ。下手に起こすわけにもいかず、できることといえばそばで見守ることぐらい。
しばらくそうしていると、ようやく痛みが引いてきたのかグリフィスが頭を抑えながら体を起こした。
「まだあまり動かないでください。頭を打ったんですか? 眩暈は? 吐き気はありますか?」
「頭と背中を少し。でも大丈夫です。痛みも少し和らいできましたから」
「動かないで。医師の資格は持っていませんけど、多少の処置ぐらいなら心得がありますから」
もし頭を切りでもしていたら大変だ。一応監督署に入職したときに怪我の応急処置は教えてもらったが、ここに必要な道具はあるだろうか。もしなければ代用できるものを探さなければならない。
錆びついた知識を総動員してこれからの対応を整理しながら、後方を振り返る。薄暗い廊下は依然静まりかえったままだ。
あたしより先に二階にあがっていったのに、どうしてこの場に二人がいないんだ?
「えっと、とりあえず後頭部を確認させてください」
この状況はなにかおかしい。そう思いつつも、今優先しなければならないのはグリフィスの手当だ。
ミーシャはグリフィスのフードと仮面を外して後頭部に優しく手を這わせる。よし、どうやら出血はないようだ。しかし油断はできない。頭部の怪我は後になって症状を見せるものもあるし、そういった場合かなり厄介なことになる。
場合によってはアーレイに連れて行って医者に診てもらう必要も出てくるかもしれない。とりあえず、担架かその代わりになるものはないか室内を見回すも、流石に使えそうなものはなかった。
仕方がない。キャスウェルがきたら使えそうなものがないか聞いてみよう。
「後頭部の出血はないようです。でもまだ安心はできません。背中の方は──」
ミーシャは再び視線をグリフィスに戻して、そして言葉を失ってしまった。
露になった顔には大きな傷があった。右目のこめかみ辺りから斜めに上唇を通り左下顎にかけて爪で引き裂かれたような傷跡。ただ、ミーシャは傷を見て言葉を失ったというわけではなかった。
仮面のしたにあった顔に強烈な既視感を覚えていたのだ。
ところどころ白髪の混じってはいるが短く整えられ清潔感のある黒髪。目鼻立ちがはっきりとした精悍な顔立ち。目元に目立ち始めた皺と、薄くあるほうれい線が印象を変えているが、それでも人違いの可能性を考慮しなければならないほどではない。
頭をハンマーで殴られたような衝撃があった。記憶のなかで一番大切な時間が走馬灯のように駆けめぐる。
釘で打ちつけられてしまったように視線を動かすことができない。瞬きも忘れ、グリフィスを茫然と見つめ続ける。
それはまさにミーシャにとって青天の霹靂だった。
「おい! どうして階段をあがるだけでこんなに時間がかかるんだ!」
「すみません。ここの造りは特別で、すぐにはたどり着けないんです!」
廊下が騒がしい。言い争う声がどんどん近づいてくる。
「グリフィス!」
一つの入り口に肩を押しつけ合うようにしてキャスウェルとアーリィが飛びこんできた。
「グリフィ……あれ、ミーシャちゃん? どうしてここに……」
「なんで君が先にいるんだ。私の後にいたはずだろう」
二人とも口々にミーシャが先にたどり着いていたことへの驚きを口にする。しかし、ミーシャにとっはそんなことどうでもいいことだ。
「いや、そんなことよりもまずはグリフィスを──」
「おとうさん……」
騒然とした空間に落ちた言葉。それは室内の空気を一変させる。
「おとうさんだよね……?」
「……君は、一体……?」
「あたし、ミーシャだよ? わかる? お父さんの娘のミーシャ。もう十五歳になったんだよ。来月で十六歳になる。変わりすぎてわからないかな……」
「ああ……むすめ、娘。君が娘……?」
「そうだよ! お父さん」
紛れもなく目の前にいるのは父親だった。十年ぶりの再会。本当ならあって文句の一つでも言ってやりたかった。でも、いざこうして前にしてみると、そんな気持ちは一切湧いてこない。
ようやく会えた。それだけで、これまでの苦しい生活も、幾度となく感じてきた悔しい思いも、神を恨んで呪った日々も、どうでもよくなってしまうほどに嬉しい。
「おとうさんっ……」
ミーシャがグリフィスの頬に触れる。昔は目一杯手を開いても頬の半分も覆えなかった手は、十年の間に大きくなってしまった。しかし、手に伝わる髭の感触。少し高い体温。少し脂っぽい頬の質感。
なにもかも十年前と変わらないままだった。
「ミーシャだよ、わかる……?」
「あ……あ……ミーシャ……?」
「そうだよっ! ミーシャだよ!」
「ああ、ああ……あ、い」
震える唇が形をとろうとする。しかし、吐息が零れるだけで言葉にはならない。
「大丈夫だよ、お父さん。あたしは……あたしは、ここにいるから」
声が震え、涙でグリフィスの顔が滲んでいく。でも目を拭うことはしない。ようやく会えたグリフィスの顔を一秒でも長く目に焼きつけたかったから。
しかし──。
「いや……いや、いや、いや。知らん……知らん。お前など知らん」
拒絶されたのだとすぐには理解できなかった。
「え、お父さん……?」
「父と呼ぶな!」
血走った目。声が裏返るほどの怒声。
「どうしたの? ミーシャだよ? 思い出し──」
「俺に娘などいないぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
喉が裂けてしまいそうなほどの慟哭。体を震わせて唾を飛ばしながら、眼球が飛び出してしまいそうなほど目を見開いたグリフィスの顔は耐えきれない恐怖に発狂してしまった狂人のようだった。
ここまでお読みなってくださりありがとうございます。
気に入っていただけましたら、高評価、ブックマークをどうかお願いします。して頂くと作者がによによ喜びます。
カクヨム、アルファポリスにも同作を投稿しております。




