二十二話
22
「お待たせしました」
キャスウェルが紅茶を淹れたポッドを持って戻ってきた。
儀式が終わり、後は彫金が終わるまですることもないということで、キャスウェルが新しい紅茶を淹れてきてくれたのだ。
「はあ……やっぱりとっても美味しいです」
「ふふふ。ありがとう」
代り映えのしない感想にもキャスウェルは初めと変わらず嬉しそうに口元をほころばせる。
「グリフィスさんも一緒にお茶会できたらよかったのに」
「そうだね。でも、グリフィスはどちらかというとコーヒー派なんだ。だから、お茶会というよりも一人で本でも読んでゆっくり自分の時間を楽しむ方が好きみたいなんだよね」
「そうなんですか。じゃあ、誘ってもご迷惑になっちゃいますかね」
「後で差し入れでも持って行くよ。ここ数日は頼み事をいくつかしちゃって、頑張ってもらったから」
「あの、変なことを聞くようで申し訳ないんですけど、グリフィスさんもキャスさんと同じでアシュマンってことでいいんですよね?」
紅茶を飲んでいたキャスウェルが一瞬呆けた顔をした。そして、持っていたカップを置いて首を横に振る。
「いいや、彼は人間だよ」
「え……人なんですか?」
「うん。工房の前で倒れているところを僕が助けてね……。ひどい怪我をしていて、一時は命の危険もあったんだけど、なんとか持ちこたえてくれた。今では僕右腕としてたくさん働いてくれているんだ」
キャスウェルはどこか懐かしむように遠くを見つめながら追想しながら語る。
その顔からきっと二人には大切な思い出がたくさんあるのだろうということが想像できる。
素直に羨ましいと思った。もっと二人の話が聞きたい。どんな生活をしているのか。どういった経緯で本当の家族と呼べるようになったのか。
家族という関係に飢えた心が、二人の思い出をもっと聞いてみたいと訴えかけてくる。
デリカシーがないとはわかりつつも、それでも好奇心を抑えることはできない。
意を決して口を開こうとした瞬間、テーブルのうえのカップが一瞬宙に浮く。
何事かと隣を見ると、アーリィの拳がテーブルのうえで強く握られており、研ぎ澄まされた剣のような眼光がキャスウェルを突き刺していた。
「人間がこの世界に滞在できるわけないだろう。人は心も体もこの世界には耐えられない。自身を見失って発狂して、最後には自死を選ぶ。例外は私のような特別な一族だけだ。お前一体どんな手を使った?」
喉元に刃を突きつけられたような錯覚を覚えてしまうほどの底冷えするような声。
隣にいるミーシャですらそんな感想を持つのだから、正面から直接浴びせられているキャスウェルの心中は穏やかではないはずだ。
その証拠に、キャスウェルは蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまっている。
「変換の、タトゥーを刻んでいるだけ……です」
ようやく絞り出すように発された声は真冬の乾燥した風のようにざらついていて、聞いていて可哀そうになってしまうほどだった。
「変換のタトゥーだと!?」
信じられないというように勢いよく立ちあがったアーリィが怒号をあげる。尻に弾かれた椅子が大きな音を立てて後ろに倒れた。
「お前、そんなもの持ってるのか!?」
「ひぃ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
キャスウェルが化け物でも見たかのように目を潤ませながら怯えて何度も謝罪する。ちなみに関係のないミーシャも反射的に小声でごめんなさいと謝ってしまった。
「見せろ!」
「あ、いや……僕は──」
「早く見せろ!!」
興奮したアーリィはテーブルに乗りあがらんばかりの勢いでキャスウェルに詰め寄る。まるで餌を前にした猟犬のようだ。少し想像してしまう。形のいい尻から艶のあるふさふさとした美しい毛並みのよいしっぽが生え、気の強さを表すかのような、ぴんと立った耳が生来の凛々しさを強調させる。それの姿は犬というよりも狼と言った方が似合うかもしれない。
アーリィ狼は要領の得ない返答しかしないキャスウェルにじれったくなったのか、ついにテーブルに膝を乗せて飛びかかろうとした。
「ちょっと、どうしたんですか。行儀悪いですよ!」
体を一瞬沈めて飛びかかろうとした瞬間、アーリィの脇から手を差し込んで抱きしめるように羽交い絞めにする。一気に体重を後ろにかけながら、テーブルから引きはがそうとするが、興奮しているからなのか意にも介さないといった様子のアーリィは、そのままの状態で再度キャスウェルに襲いかかろうとする。
「こいつがもったいぶっているのが悪い! おい、なににやにやしてるんだ! 馬鹿にしてんのか!?」
興奮が怒りに変換されつつあるアーリィはテーブルの向こうで恐怖に頬を引きつらせているキャスウェルに悪態をつく。
かわいそうに。キャスウェルはにやけていると言われた口元を必死に元に戻そうと手で押さえているが、それが余計にアーリィの気に障ったらしく鼻息を荒くして、「きっさまぁぁぁ」と唸るような声をあげた。
「違うんでふ! ちょうんです!」
阿鼻叫喚とはこのことだ。怒り狂った狼が殺気をむき出しにしながら吠えまくり、抑え込もうと必死の飼い主(?)と、完全にロックオンされた獲物は呂律の回らない口で必死に言いわけをする。
さっきまでの穏やかなお茶会はどこへ行ってしまったのか。一辺してしまった場の空気にミーシャは虚しさすら感じていた。
しかし、感傷に浸る時間はない。ミーシャの力ではアーリィを押さえつけ続けることは難しく、そのうちに力尽きるのは明白だ。元々体格差もあるし、怪我はほぼ完治したといってもよいほどではるが、体力までは完全とは言えない。現に腕はもう限界を迎えつつある。
「ああもう! ごめんなさい!」
奥の手を使うか。
ミーシャは一言謝罪をいれてから、一瞬羽交い絞めにしていた腕の力を解き、頭をのけぞらせてそのまま勢いよくアーリィの後頭部目がけて頭突きを繰り出した。
衝撃が皮膚から頭蓋骨を通って脳を揺らす。意識が朦朧となり前後感覚が弾き飛ばされる。
「こんの……石頭がぁ」
ミーシャは頭のなかが混ぜっ返されたような不快感と鈍痛に呻く。本当に人の体なのかと疑ってしまうほどに硬い頭だった。石頭というよりも鉄頭だ。ぶつけた額を撫でて、へこんでいないことに安堵する。
今の一撃が効いたのかアーリィは糸の切れた人形のようにテーブルに突っ伏して大人なしくなった。
「それで? 変換のタトゥーの原版はあるんだろうな。早く持ってこれば勘弁してやる」
と、思った矢先、首だけ動かしてキャスウェルを睨みつけてそんなことを言う。前言撤回。全く効いてはいないようだ。
「しょ、少々お待ちください!」
退路を示され、飛びついたキャスウェルはそのまま駆け足で部屋から出て行った。工房の主なのに全く威厳も発揮させてもらえず、使い走りをさせられている姿は不憫に思わなくもないが、それでアーリィの興奮がある程度落ち着くのならば、本当に申し訳ないが、ここは犠牲になってもらおう。心のなかで手を合わせてキャスウェルに謝罪した。
「こんなところで掘り出しものに出会えるとは想定外だ。遠いところを来た甲斐があったな」
ガンガンと鐘の鳴る頭を押さえながら、ほくほく顔のアーリィへ尋ねる。
「あの、さっきから話している変換のタトゥーってなんですか? すごい興奮していたようですけど」
「これが興奮せずにいられるか。変換のタトゥーは、は失われたアシュマンだけの技術だ。文献にも名前だけが記されているだけで具体的にどのような技術だったのかがわかっていないアシュマンのロストテクノロジーとされてきた。それがこんな辺境の土地に保存されていて、現在も稼働しているとなると、世紀の大発見になりうる。ルグリの末裔としてぜひこの目で見ておきたい」
灰色の目を爛々とさせながら少女のような笑みを浮かべて語る様子からよほど価値のある技術なのだということはわかる。
今か今かとキャスウェルが出て行った部屋の入口を見つめ続ける瞳は、なにも知らない人が見たら想い人を待ち焦がれている乙女にも見えなくもない。
「お待たせしました。これが原版になります」
若干息を切らせながら、舞い戻ってきたキャスウェルは薄い木箱を小脇に抱えていた。そして、テーブルに置くとそっと木箱の蓋を外してなかのものを取り出した。
「ほうほう! これが変換のタトゥーの原版か!」
興奮が再燃したアーリィは手をわきわきとさせながら鼻息を荒くさせる。
「ちょっと調べさせてもらってもいいかありがとう」
キャスウェルの返事を待たずにいそいそとトランクから赤いバレッタをとり出して簡単に髪をまとめ、金の刺繍がされた手袋を嵌める。そして、顔がついてしまうのではと、こちらが心配になってしまうほどに顔を近づけて、うんうんと感動をかみ殺すように頷いた。
「素晴らしい。保存状態も良好で、模様の滲みもない。それに刻印されたわけではないのに気の奔流が絶えず私を飲み込もうと、絡めとろうとしてくる。正直これほどの状態のものに出会えるとは思っていなかった」
アーリィはその白い頬を桜色に染めて感想を述べる。
「もう少し観察する時間がほしい」
「どうぞ。気のすむまで観察してください」
キャスウェルの返答に見えない尻尾が膨らみ、千切れんばかりに振り乱す様が見えた気がした。
アーリィは次いでトランクからルーペをとり出すと、文字通り食い入るように観察を始めた。
「えっと、あの、これが変換のタトゥーの原版っていうものなんですか?」
「そうだよ?」
アーリィが食い入るように観察しているのは一枚のボロ布だった。元々は白色だったのかもしれないが、今は蟻のような小さな黒いカビが全面に蔓延り、更に雨漏りにでもあったかのような染みが元の色を塗りつぶしてしまっている。
一見すると使い古された薄汚いボロ布にしか見えない。しかし、アーリィがこれだけ興味を示し、熱心に観察しているということがとてつもない価値を持つ重要な品なのだろうということを表している。
邪魔にならないようにアーリィの反対側に行き、同じように観察をしてみる。予想はしていたが顔を近づけるだけで強くカビの臭いが鼻をつき、とてもじゃないが耐えられない。それなのにアーリィはよくこの悪臭を前に眉一つ動かさずにいられるものだと、感心してしまう。
アーリィが満足するまでキャスウェルと話しでもして時間を潰そう。元々知識があるわけでもないし、観察したところでなにかがわかるわけでもない。諦めてアーリィの隣へ戻ろうとしたとき、ふとカビと染みのなかに目を引く模様があることに気がついた。
「これは……なんですか?」
ミーシャとしてはアーリィに尋ねたつもりだったが、自分の世界に入ってしまっているからか返答はない。
集中すると周りが見えなくなってしまう人らしい。
諦めて元の場所に戻ると、小声で疑問に答えてくれた。
「あれは人間とアヌウンの気を混ぜ合わせて互いに変換する回路を描いたものだね。右は人間、左は今回の場合はモデールの象徴である狼を模したアシュマン。そして、二つの間にあるのが互いに流れる気を循環させる通り道だ」
右に描かれているのは剣と盾を構え、いくつかの装飾を身に着けた人間。左に描かれているのは二本足で立って口を大きく開けた狼だった。二つの絵は向き合うように描かれていて、二人から伸びる管のようなものが組みひも状に絡み合い、丁度中間の位置に五枚の羽を持つ風車のようなものが、伸びた組みひもを絡めとるように巻き込んでいる。
「変換は高度で繊細な調整が必要な技術なんだ。毎回一から組みあげるには膨大な時間とセンスと技術力が必要になる。その手間を省くためにこうして設計されたものを布に描いて、誰が施しても同じような効果を発揮できる様にしてあるんだ」
「それだけじゃないぞ。タトゥーの劣化を防ぐために防劣処理もぬかりなく施してある。布自体はかなり汚染されているが、タトゥーが描かれている部分は清潔で浸食の跡も見受けられない」
キャスウェルの説明を補足するようにアーリィが顔だけこちらに向けてつけ加える。自分の世界に入り込んでいても話はちゃんと聞いていたようだ。
「聞こえてたんなら答えてくれてもいいんじゃないですか」
「おい。これはいつ頃作られたものなんだ?」
どうやらミーシャの質問に答える気はないらしい。
「大体二千年前に作られたものらしいです。二百年の周期で補修と綻びがあれば再構築している記録が残っています」
「ほう、つまり二千年以上前にはこの技術のひな型になるものがすでに確立されていたということか。だが、ルグリの記録ではこの変換のタトゥーの記述が確認されるのは五百年前からで、その記述にあるものが原点とされている……。ということは、ルグリの記録にあるものとこのタトゥーは別物ということか。こちらの方がさらに年代が古いということは、これが原点ということなのか……? いやそれよりも問題なのはどうやって──」
また自分の世界に入り込んだアーリィはなにやらぶつぶつと独り言をつぶやいていたが、不意に顔をあげると先ほどの鋭い眼光をキャスウェルに向ける。
「おい、これを人に施して問題はないのか?」
「はい。問題ありません」
「本当か?」
「アーリィ・リアトリス殿も見たでしょう? 問題はありません」
「……そうか」
納得の行かなそうな顔をしていたアーリィだが、口を閉ざして再びルーペ越しにボロ布の観察を始めてしまった。
「アーリィ・リアトリス殿は研究熱心な方なんだね」
キャスウェルが耳元で囁いてきた。
「どうなんですかね。あたしも最近知り合ったばかりなんでよくわからないんですけど」
「ルグリ一族はアシュマンと唯一対等に交流を持っていた民族だからね。アシュマンの技術に強い関心があるんだと思うよ」
「まあ、それはこの人を見てればそれはわかりますけど。このタトゥーってそんなに貴重なものなんですか?」
「そうだね。僕以外でこれを保全しているアシュマンはいないんじゃないかな」
「そんなに珍しいんですか、これ。そう言えばさっきグリフィスさんにこのタトゥーを刻んだと言ってましたけど、それって具体的にはなにが起こるんですか?」
「人間はアヌウンの世界に長く滞在することはできない。それはさっきアーリィ・リアトリス殿が言っていた通りなんだ。人間の世界とアヌウンでは流れる空気というか、目に見えない川の流れみたいなものが存在するんだよ。我々はそれをゲシュと呼んでいる。基本的にアシュマンは人の世界に長く滞在していても異常をきたすことはない。しかし、人間は違う。短期間ならば少し体調を崩す程度で済むけど、長期間となるとまずは肉体的な問題が生じてその状態が進行すれば精神に異常をきたす。幻覚、幻聴、心神耗弱。その状態に陥ってしまうと、人の世界に戻っても治療することはできない」
「どうしてそんなことが起きるんですか?」
「簡単に言えば、アヌウンに満たされているゲシュに侵されることによる拒絶反応ってとこかな。アヌウンと人間の世界は隣り合ってはいるけど、完全に異なる世界だ。体の設計がゲシュに対応できるようにはなっていないんだよ。だから、人間は基本的にアヌウンの世界では生きていることはできない」
「それじゃあ変換のタトゥーっていうのは、そのゲシュを人間にとって悪影響を与えないものに作り直す力がある?」
「そういうこと。だから、とても貴重なんだ。二つの世界を繋ぐかもしれない力なわけだからね。外部に情報が洩れることのないように厳重に管理されてきたんだよ」
「でも、まずいんじゃないですか。そんな貴重な力を持っているタトゥーをグリフィスさんに使って問題になったりしたら……」
「そうだね。人間がアヌウンで生きられないのは、二つの世界がほどよい距離を保つために必要な《《しばり》》だった。でも、このタトゥーはその縛りを断ち切るものになってしまう。だから変換のタトゥーは作り出されたときからその存在や力の扱いに対して議論が巻き起こって、実際に使われることはほとんどなかった。存在は秘匿されて厳重に管理され、限られたルグリとアシュマンにだけ伝わっていった。しかし、それは昔の話だ。僕はね、固定概念に縛られすぎることは二つの世界にとってよくないんじゃないかと思うんだ。だって僕たちはこうして言葉も交わすこともできるし、同じものを見て感動し、同じものを食べて美味しいと喜びを共有することができる。こんな素晴らしいことは他にはないよ。二つの世界が区切られたまま、永遠にお互いのことを知らないままでその生を終えるなんてあまりにも酷だ。僕はいつか、二つの世界の天秤をほんの少しだけ傾けて、争いも疑いも克服してお互いに認め合うことができる世界になればと願っている。グリフィスにタトゥーを施したもの、そのきっかけになればと思ったからなんだ」
それは理想論なのかもしれない。人がアシュマンやルグリの作り出したアーティファクトの存在を知ってしまえば、きっと新しい力を手にすると使わずにはいられない。
それが人だけに留まらず世界に悪影響を与えてしまう毒だったとしても、その効果をその目で見たいという欲求を抑えることはできない。そして、恐らくそれはよい方向には使われない。
世界は互いを知らないままの方がいいのかもしれない。無駄な争いを未然に防ぎ、未来の世界を守るために。
でも、それでも。
キャスウェルの未来を語る顔はとても楽しそうで。
空の彼方にある太陽を手に入れようと必死に手を伸ばす子供のようで。
ミーシャにはその想いを簡単に否定することなどできなかった。
「あたしもそんな日がきたら嬉しいです」
目を伏せて恥ずかしそうにはにかむキャスウェルは、とても人間らしかった。
「うん。そうしたらまた──」
次の瞬間、突如として轟音が工房を貫いた。天井からの埃がカップのなかに粉雪のように降り注ぐ。
「なに!?」
家全体を下から突きあげるような衝撃に体を縮めながら周囲を見渡す。観察に集中していたアーリィも突然のことに灰色の瞳を大きく見開いていた。
「まさか……グリフィス!」
しかし、ただ一人、キャスウェルだけはなにが起きたのか理解したようだ。そして、次の瞬間には居間を飛び出して行ってしまった。
ここまでお読みなってくださりありがとうございます。
気に入っていただけましたら、高評価、ブックマークをどうかお願いします。して頂くと作者がによによ喜びます。
カクヨム、アルファポリスにも同作を投稿しております。




