十三話
13
やはり体は本調子には程遠いようだ。泉のそばで昼食をすませた後、体の不調を覚えたミーシャの訴えで、その日の探索は中止になった。
「元々今日一日で全ての場所を回ろうとは思っていなかった。気にする必要はない」
拠点に戻るとすぐに火を起し暖をとる。午前中は日が出ていたが、午後からは雲が空を覆い始め、冷たい風を体に受けながら帰ってきた。
正面から受ける火の暖かさが芯まで冷えた筋肉を解し、ようやく一息つく。
「塩と胡椒を見つけた。ささやかだが、これでスープを作ろう」
トランクの中身を整理していたアーリィが二つの小袋を掲げて言った。
「角砂糖ならいくつかありますけど」
「ナイスだ。ならそれは食後のティータイムに口直しとして頂こう」
早口なのは喜んでいるからだろうか。
「だが、夕食まではまだ時間がある。食事の準備をすませる前に──」
アーリィは天幕に向かうと上半身だけ入れてなにか探し始める。尻を向けて無防備な様を晒している姿は、監督署で飼育している犬の姿を思い起こさせた。
「なに笑っているんだ?」
「ああ、ごめんなさい。今の貴方の姿が、監督署で飼っているボタって名前の犬にそっくりでちょっと可笑しくて」
「犬と比べられるのは心外だ。これでもプロポーションには自信がある方なんだけど」
ボタという名前からでっぷりとした犬を想像したのか、アーリィは不満そうな顔で抗議する。
確かに上着を着ていても胸のふくらみを十分に感じるし、引き締まった尻から伸びる細く長い脚はパンツスタイルも相まって抜群のプロポーションと言える。本人が自負するだけあって、女のミーシャから見ても羨ましいほどのスタイルだ。
「どうしたらそんな風になれるんだろう……」
「あん? なにか言ったか?」
「いいえ、なんでもないです。というかさっきからなにしてるんですか?」
天幕から出てきたアーリィの手には薬草の入った瓶や包帯が握られていた。
「まずは君の傷の手当をしよう。さあ、そこで裸になれ」
「え……ええぇ……」
劇的な回復とはいえ、体の違和感が完全に消えたわけではない。折れていた足も強く踏ん張ると骨が軋むような感覚があり、腹部も体を伸ばすと引きつる感覚がある。
気にしないようにしていたが、やはり一応女の子だ。訓練などで体が引き締まるのは、スタイルがよくなったと割り切ることができるが、傷跡となると気持ちが落ち込む。
アーリィは綺麗に治ると言っていたが、本当にそうなるのかと不安になっていた。
シャツを脱いで下着姿になる。腹部に巻かれた包帯には血と薬の染みが広がっていた。包帯が外されると、患部周辺の血と薬やらを綺麗な布で拭きとられる。
「うん。化膿もしていないし、傷はもう塞がっているみたいだ。痛みはどれくらいある?」
「引っ張られる感覚はありますけど、痛みはそこまで」
「なら問題はなさそうだな」
薬研ですり潰しペースト状にした薬草を包帯に塗り、傷口に当てる。なんとも言えない薬草の香りが鼻の粘膜に纏わりつく。
「うわっ、くっさ」
「我慢しろ。苦い、臭い、染みる薬は良薬の証だ」
「なに使ってるんですかこれ」
「ヨウラという薬草に数種類の香油を混ぜている。臭いはほとんど香油が混ざり合ったものが原因だが、これが人体によい影響をもたらす」
慣れているのか、アーリィは淡々とミーシャに包帯を巻きつけている。一方、ミーシャは激臭で鼻水が出始めてきた。
「よし、次は打撲痕だ」
次は違う薬草を煎じた塗り薬だ。先ほどのものより少し粘性があり、肌に触れるとひんやりとする。肋骨や腰に薬を塗り、そのうえに清潔な布を張りつけていく。
「よし、次は胸だ。下着を外して」
「え、や、そこは……」
やはりというか、考えないようにしていた言葉に咄嗟に手をつき出して距離を確保しようとする。
「なに恥ずかしがってるんだ。女同士だろう。ほら」
早くしろという目線と共に吐き出される溜息が焦りを更に加速させる。突き刺さる視線から逃れるように体を捩じって抵抗をしてみるが、それは事態を収集する手段にはならない。
アーリィの両手は包帯と張り薬で占領されているので、無理に脱がされるようなことはないが、自ら他人に裸を晒す勇気は中々湧いてこない。
「別に始めてというわけじゃないんだ。今更裸の一つ見てもなんとも思わないよ」
「い、いつあたしの裸見たんですか!?」
「君を治療したときだ。ほら、早くしろ。日が完全に落ちる前にすませたいんだよ」
ああ。神様。あたしはどうしたらいいんでしょうか。
「さっさと服を脱いでくれれば、それで終わる話だ」
こちらの心の声を読んだかのような発言。じれったくなってきたのか膝立ちになって距離を詰めだすアーリィ。そして胸元をぎゅっと握りしめて後退るミーシャ。
ああ。もう腹を決めろあたし。
「……せめて顔を逸らしてくれませんか」
「手当ができないからそれは無理だな」
羞恥に震える声でようやく絞り出した精一杯の譲歩は、無常にも一刀の元に断ち切られた。
◇◇◇
全ての手当が終わったころにはすでに日はほとんど落ちていた。手当に使った道具の片づけを終え、夕食の支度を始め、できあがったころにはすでに夜の帳が下りていた。
「げろ」
「やめてください」
匙で掬った非常食粥をぼとぼとと皿に落としながら、食事を始めようとしているときに最もふさわしくないであろう言葉を発したのはアーリィだ。非常食に慣れているミーシャでも、さすがに直接的な言い方をされれば食欲もなくなる。
なんでわざわざ言うのかな。
「さすがに乾パンをそのまま食べるだけじゃお腹は膨れませんからね。非常時はこうやって食べることもあるんですよ」
ミーシャの説明に、アーリィは頬を引きつらせながら皿の中身に視線を落としている。
そこまで嫌な顔をしなくてもいいじゃないか。作ったこっちの気持ちも考えてほしい。
げんなりとした気分を変えようとスープに口をつけた。
「あ、コショウがきいていて美味しいですね」
「そうだろう。このコショウはヴィシュという港町で購入したものでね。貿易船が多数寄港するヴィシュは、大陸中からあらゆる物資が集まってくる。そのなかでも特に香辛料の豊富さには目を見張るものがあってね。唐辛子、ターメリック、ショウガ、ニンニクなどが売れ筋だな。特にコショウは、コルツェンという大陸の最西端にある高級コショウの産地から運搬されてくるから少々値段は張るんだが、それでも飛ぶように売れていく。都で一流のシェフも愛用しているというくらいだから、とても評判のいいコショウなんだ」
「そんな高価なものだったんですか。すみません、あたしまでいただいてしまって」
正直、普通のコショウとの違いは貧乏舌のミーシャにはわからなかった。ただ、饒舌に語るアーリィを見ていれば、本当に価値のあるものなんだろうな、と十分に伝わってくる。
後で請求とかされないかとひやひやしていると、アーリィはスープをひと匙すくった。
「旅をするうえで一番気をつけなければならないことはなんだと思う?」
「ええ? なんでしょうか……。わかりません」
「それは食事さ。人の体の基本は食事と運動と睡眠だ。そのうち運動と睡眠は、特に意識しなくても問題はない。旅で体を動かさない人間はいないし、体を動かしていれば自然と人間は眠りにつくものだから。しかし、食事に関しては違う。よほどの道楽人でなければ、旅というのは清貧になるものだ。持ち物だって限られてくるし、金の使い方にはかなりの制限が課される。食事をぜいたく品と捉えて質のよい小麦のパンではなく、スープに浸さなければ食べられないようなパンを根性だけで腹に収めるなんてことは日常茶飯事だ。ただそういった食生活は精神に多大な負荷を与える可能性がある。食事は旅を色よくするための香辛料なんだ。どれだけ上等な肉も、味つけがなければただの肉の塊でしかない。そこに芳醇な香りを添えるからこそ、材料を引き立てることができるんだ。そして、一日の最後の幸福に身を浸しながら、眠りにつく。これができないと旅はひどく退屈で憂鬱なものになってしまう」
アーリィは匙を口に運び嚥下する。視線で君も、と促されたのでミーシャも倣った。
「だが、残念なことに旅とは大抵の時間が退屈で憂鬱になってしまうものだ。よい香辛料は高いからね。そう簡単に手を出せるようなものではない。すると、旅人はこの苦痛を受け入れ耐え続けなければいけないのか? 答えは否だ。もっと簡単に、それも金をかけずに旅を有意義にすることが可能な手段がある。それがなにかわかるか?」
貧した状態でも、お金をかけずに食事を楽しむ方法。
しばらく考えてもミーシャには、その答えがわからなかった。
「正解はね、誰かと食卓を共にすることだ」
当たり前すぎる答えにミーシャは頭を傾げかけてから、ああ、とその言葉の意味の重さに思い至った。
「寒さや飢えに震えながらも、一つの焚火を囲んで話に花を咲かせる。とある商人が崖から落ちて、谷の底に住むわけありの美女と大恋愛の後に夫婦になる話。この世の果てにある終末の剣を求めて旅を続ける勇者の話。国や人に裏切られ人外に身を落としてもなお、人として生きる道を追い求めた番の話。誰かと感情を共有し合ってする食事は、どんな上質な食材にも高級な香辛料にも勝る価値があるんだ。君はその価値を私に与えてくれているんだ。ならば、今できる限りのもてなしをするのが礼儀というものさ」
父がいなくなる前は食卓というのは幸せの空間だった。季節によっては食料が乏しく、食卓に並ぶのは雑穀粥や野菜くずを煮込んだ味の薄いスープのみ。それだって三人でわけ合って食べることは珍しいことではなかったし、それすらまともに食べられないこともあった。
それでも、一度たりとも食卓が暗い雰囲気になることはなかった。父はいつだって美味しいと母の料理を褒めて、母も少しでも美味しくなればと創意工夫していた。
そんな食卓が好きだった。だから、始めて父がいない食卓について昨晩と同じ食事が味気ないことに気がついたときの驚きといったらなかった。
戸惑いながら母の顔を見ると、無表情で坦々とスープを口に運ぶ人形がいた。
その日からしばらくなにを食べても味がしなくなってしまった。母は徐々に落ち着きをとり戻し、食卓でも笑顔を浮かべることもあったが、失われた味覚は戻ってくることはなかった。
変化があったのはモデール森林監督署に入職してすぐのことだった。
まだ仕事にも新生活にも慣れず、誰にも隙を見せてはいけないと気を張り続け、心身ともに強い負荷がかかっている時期だった。
辛いとは口が裂けても言えない。ここから追い出されれば、それは事実上の死刑宣告だと本気で思っていた。
そんなある日、昼食を摂っていると、ラウルやトーラス、他の先輩職員が示し合わせたように集まってきた。まだ会話をしたことも名前すら知らない人もいて、とても緊張した。
そんなミーシャを、笑うでもなく、揶揄するでもなく、世間話の間に話を振って自然と会話に入れるようにしてくれた。
そんなことが数日続くと、自然とミーシャも会話の輪に入るようになり、いつの間にか笑うことが増えていった。
ミーシャは皆の気遣いが嬉しかった。日を追うごとに凝り固まっていた心も体も解れていくのがわかった。
味覚が戻ったのは、そんな生活が一か月ほど過ぎたころだった。
監督署で出される食事はどれも安価な材料で作られていて、節約のためにと調味料も最低限の量しか入っていない。味の薄さを嘆く職員は多かった。
そのときも同席していた職員が「お前もそう思うだろう」と同意を求めてきた。それはいつもの光景で、味がわからないことを隠していたミーシャは曖昧に頷こうとした。
頷こうとして、手にしていた匙を落としてしまった。
口に運んだ食事の味がわかったのだ。それは素朴な味で、なるほど、皆が愚痴をこぼす気持ちがわかる。
それでも、十年ぶりに感じたあの味を忘れることはない。
失った感覚をとり戻させてくれたのは、言うまでもなく誰かと食卓を囲む幸せを新しく見つけられたから。
そんな経験をしているミーシャだから、アーリィが食事の重要性を語る姿勢に親近感すら覚えた。
だから、大きく頷いた。
「そうですね。食事は一人で食べるよりも二人で食べる方が何倍も美味しいです」
互いに笑みを浮かべて粥を口にする。やはり不味い。なにかを足せばましになるという段階の話ではない。しかし、心なしか味が優しく感じられた。
数回噛んで飲み込む。視線をあげると、アーリィと丁度ぶつかった。
きっと考えていることは同じだとわかった。
「まあ、これはこれで慣れると悪くないかもしれないな」
「そうですね」
二人は声を潜めて笑いあった。
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